第3話 刻み屋ニック その3

 警部は相手の顔を正面から見て、改めてぎょっとした。右目の下辺りから鼻を跨ぎ、左頬まで、面を横断する大きな傷跡があったのだ。そのすさまじさにややたじろいだが、警部は警告を重ねた。

「おい、どいてくれと言ってるだろう。おまえ……医者の卵か何かか? これだけの遺体を見といて、ちっとも動じとらんとは」

「医者じゃない」

 早口で答えてから、さらに男はこうつぶやいたようだった。

「やっぱり……」

 聞き咎めた警部は、何のことだと問い詰めようとしたが、そのときにはもう、男はきびすを返し、遠ざかって行くところだった。巨体の割に素早い動きだ。

「何者だ、あれは……」

 訝しむものの、他にやるべき項目が山積していた警部は、深く詮索しようとは思わなかった。


 舞台は、ちょっと洒落た喫茶だった。窓際の席はどこも、カップルらしき男女が占めている。

 その反対側、光も必要以上は差し込まぬ奥の、二人用の席に、男が向かい合っていた。一人は巨体で顔に傷のある男。もう一人はがっしりした身体つきだが、相手と比べるとはるかに小柄だった。こちらは整った顔立ちをしている。

 二人は濃いコーヒーを前に、始めた。

「今さら何なんです、マスター・アベル」

「マスターはやめてくれ。久しぶりの対面だからと言って、改まる必要はない。アベルでもエフでも、好きなように呼んだらいい。私も君をフランクと呼ばせてもらうよ」

「では、アベル。どうした風の吹き回しですか? 僕とは縁が切れたものと思っていましたが……」

「あれは昔の話だ。ほんの少し、感情のすれ違いがあったのは事実だが、今となってはさしたる問題ではない」

「……現在の返答を期待してよろしいのでしょうか?」

「……『何故、僕を造ったのですか?』というあの問いか」

 アベルは難しい顔になった。間を持たすためにか、カップを手に取り、のろのろと口をつけ、またのろのろとテーブルに戻す。

「答は変わらない。残念ながらと言うべきかね。私は信念だけで君を造ったようなものだ。カインや他の連中を見返してやるためにね」

 フランクの眼が寂しそうになった。アベルはわずかに慌てたように、急いで言い足した。

「だが、現在は君を我が子のように思っている。本当だ。当時の気持ちは不遜なものであり、君には受け入れがたかったかもしれぬが……この通りだ、どうか許してくれないか」

 アベルは大げさまでの身ぶりで、頭を深く下げた。

「やめてください、マスター・アベル。他人の眼があります」

「どうせ恋人しか目に入ってない輩がほとんどだろう。それに」

 顔を上げ、上目遣いでアベルは言った。

「君はまたマスターと言ったね」

「……はは。昔の癖は抜け切らないってことですか、お互いに」

 ようやく表情をゆるめたフランク。

「それでは、どうして最近になって、あんなに激しい調子の手紙をくれるようになったのです? これまでも近況報告まがいの手紙はいただいていましたが……」

「そこなんだよ、フランク」

 身を乗り出すアベル。真剣さが増した。

「刻み屋ニック、知っているだろう」

 唐突に飛び出した殺人鬼のあだ名に、フランクは戸惑いの色を見せた。それでもうなずくと、

「ええ、もちろんです」

 と、すぐに答えた。

「でも、何故、その名が?」

「私が見るところ、あれは『魔玉』の力を帯びた者の仕業だ」

「魔玉……魔界の宝石ですか」

 感慨深げなフランク。それも無理ない。彼、フランク・シュタイナーは、魔玉の力があったからこそ、この世に生み落とされ得たのだから。

「どこからそれが分かったのですか?」

「悪い予感がしたのでね、直接、現場に足を運んだんだよ」

「そうなんですか?」

「驚くには当たるまい。警察関係者と親しくなって、聞かせてもらったんだが、どうやら君も現場を見に行ってるね」

「ご存知でしたか……自分でも理由はよく分からないんですが、導かれるようにして現場に行ってしまうことがあるのです」

「それもまた、刻み屋ニックが魔玉に関わっている証左だろうね。君の全身をおおう魔玉の気と、犯人の魔玉の気、そしてそのときどきの天体の位置によって、引かれることがあるらしい。まあ、私の推測がかなり混じっているが」

「なるほど、それで……。アベル、あなたが私に使った玉と、犯人のそれとは同じ種類なのですか?」

「そこまでは分からない。魔玉に、いくつかの種類があるのは確かなんだが。さて、本題だ。断言しよう、刻み屋ニックは警察には捕まえられない、と」

「犯人が魔玉の力を得ているからですか?」

「そうだ。例え警察がニックの姿を目の前にしても、魔玉によって引き出される特殊能力により、切り刻まれてしまうだろう」

「そんな相手に対して、僕が役立てると?」

「魔玉の力を帯びているのは、君も同様だ。特殊能力も発現していることは、自覚していよう」

「身体の割に素早く動けるだけです」

「それは過小評価だ。君は拳銃の弾をよけられるほど素早い。気を悪くしないでほしいのだが、肉体の方も不死身と言っていいじゃないか」

「街の喧嘩とはレベルが違うのでしょう?」

「そりゃあ比べることが間違っているが……」

「それに、相手の正体がつかめていない。どんな特殊能力があるのかはもちろん、相手に出会えるかどうかさえ、不確かだ」

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