魔玉奇譚
小石原淳
第1話 刻み屋ニック その1
薄暗い。
石の壁に囲まれた、決して広くはない部屋だが、天井はやけに高い。出入り口は一つだけ、窓にしても小さなものが北と西に一つずつあるのみ。
「まだこんな馬鹿げたこと、やってんのか?」
「放っておいてくれ、カイン。私の自由だ」
ぴしゃり。石の床を、天井からの水滴が打つ。
壁のほとんどは居並ぶ棚に隠れていた。棚を飾るのは様々な色の液体や粉末の入った瓶。有象無象という表現が正しいのかどうか、誰もが知るような薬品から、怪しげでまだ効能が明らかになっていない暗黒大陸由来の代物まで、様々に揃っている。
「動くのかねえ」
「今度こそ動くさ。いや、動くという言葉は正しくない。生まれる、だ」
室内にいる人間は二人。そして部屋のほぼ中央に置かれた巨大な寝台には、その大きさに相応しいサイズの肉体が横たえられていた。ただし、寝台上のやつは生きてはいない、今のところ。
「は! 何様のつもりだい? エフ・アベルは神になったてか?」
「生命を創造するということが神の業であるならば、それもよかろう」
横たわる身体は冷たい。けれども強烈な存在感を放っている。あちらこちらに縫い目が走り、つぎはぎのあとが明らかだ。
「ふん。どこから身体をかき集めたか知らんが、こんな……。最後の仕上げは、雷ぴっしゃんか」
「遠く東の方角にある島国では、雷とは『神鳴り』に通じるという。ふさわしいではないかね。さあ、その雷だ。危険があるかもしれないから、カイン、下がってくれないか」
不器用な金属の箱から伸びたレバー。一気に下ろされる。がちゃりという音がして、間髪入れぬ閃光。衝撃が続く。
そして――『僕』は目覚めた。
* *
~エピソード1.刻み屋~
「あ、そこの人」
どう、あたしの声。この魅力的な声を聞いて、振り向かない野郎はいないよ。夜の屋外、暗い中で男を呼び止めるには、まず声がよくなきゃね。
「そう、そこのおにいさん。ねえ、あたしといいことしていかない?」
ほら、身体の方もいいでしょうが。少しくらいなら、触れさせてやってもいいよ。料金の話がまとまる前に、お試しってことで。
「分かるでしょう? だめかしら?」
「……」
何さ、黙っちゃって。お高く止まってるね。いいわよ、ここからが腕の見せどころってもの。
「ね、恥をかかせないで」
しなを作る。最上の艶やかなポーズよ。ほら、近付いてきた。
「あら、暗くて気付かなかったけど、凄くいい男なのね」
お世辞じゃない。あたしの頭上の外灯に照らし出された相手の顔、これまでで最高。これからもないかも……。
「身なりもばっちり決めちゃって。さぞ、もてるんでしょうねえ」
そしてさぞ、お金を持っているに違いない。
「……」
いつまで喋らないつもり? まあ、いいわ。帽子もコートも高価そう。そんだけ身なりがよけりゃ、たんまりとお代をもらえるってもの。気前がいいことを願うわ。
「ねえ、いいでしょ? 場所はこっちで用意してるんだし。こっちよ」
あれ、案外と素直についてくるじゃない。むっつりスケベというタイプかしら。どうでもいいけど。
「あそこよ。でも、まだ入らせない。先に声を聞かせて。きっと素敵な声だと思うんだけど」
「……」
聞き取れなかったけど、今度は何か喋っていた。
「なあに?」
「欠陥品は取り除く」
あ? な、何を言ってんの、こいつ?
「どういう意味なのかしら? あんまり難しいこと言われたって、分からないわ。……そ、そうだ。名前を教えて。まだ聞いてなかった」
「……近頃は、ニック、と言えば通じるようになったらしい」
ニック!
あのニック? 冗談? で、でも、こいつの眼……。逃げなきゃ! 固い地面を蹴って身体の向きを換え、駆け出そうとした。
「無駄だ」
痛い! 背中に鋭い痛みが走る。だけど、今そんなことに構ってられない。逃げなくちゃ!
「悪性の細胞は切り刻むのみ」
あ!
音が……聞こえる。ざくざくって。これ……私の……身体が……。
石畳が敷き詰められた霧濃い都市は、殺人鬼の話題で持ち切りであった。
殺人鬼に付けられた名は『刻み屋ニック』。こう聞けば察せられるだろうが、犠牲者の身体を執拗に切り刻むことに由来する、畏怖すべきあだ名である。
最初の事件が発生してからすでに一ヶ月と少し。犠牲者はちょうど十を数えていた。最近になって、ようやくその猛威は弱まっている。が、それは当初と比較してのことで、現在も七日から十日に一人の犠牲者が出る気配に満ちている。
狙われる者に、男女年齢の区別はない。犠牲者に共通する他の条件も見当たらぬ様子で、正しく無差別殺人と見なされている。
さらに付け加えるならば、刻み屋ニックに襲われ、助かった者はいない……。
「警部! あ、あの、大変、申し上げにくいのですが、十一人目が」
その若い男に、部屋に飛び込んできたときの勢いはなかった。無理もなかろう。大した情報を持って来たのだが、その内容が上司の不手際――新たな犠牲者を出したなると、伝えにくくなるに違いない。
「何てこった! どこでだ?」
コナン警部は中身の残っていた紙コップを床に叩きつけると、派手な音を立てて椅子から立ち上がった。当然ながら、これまでの十人の事件全部を、コナン警部が担当しているのではない。それでも彼にかかる責任は重かった。
「ギョーム街の……」
先に飛び出した警部の背中を追いながら、部下の刑事は必死に答えていた。
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