第12話 重要な選択
二十一時になり、私は今日も『恋甘』の世界に飛んでくる。
三回目となると、だいぶ違和感はなくなってきた。まだ夢を見ているのではないかとも思うが、それにしてはやけにリアリティ溢れる夢である。実際ゲームを実体験していると考えたほうがいいだろう。
休憩スペースの絨毯の上に立っていると、ヨリコさんが現れた。
「さあ、このエプロンをつけたらゲーム開始だから。今日も張り切っていこうね」
なるほど、エプロンがセーブデータから始めることを意味しているのか。ゲーム機のスイッチみたいだなと思うと、それはそれで面白い。
白いギャザーフリルエプロンを身につけ、私は【ローズスイーツ】ストロベリー売店内に入った。
「こんにちは、浅岡店長」
「あ、こんにちは、黒岩さん」
売店で一番に黒岩エイジさんから挨拶をされた。彼は副店長で、早番の九時から十八時勤務か、遅番の十一時から二十時勤務のどちらかであるようだった。シフト表を見ると、今日は二見ヨリコさんと黒岩さんが早番らしい。彼は優しく笑った。
「どう? 浅岡店長、ここの仕事に慣れてきた?」
「一通りの物の置き場所や売り上げなどはわかってきましたが、それでもまだ慣れないことが多いですね。色々教えてもらえると嬉しいです」
「任せてよ、なんでも訊いていいからさ」
そう頼もしげに言う黒岩エイジさんは、岩波英二さんの面影が垣間見える。なんだかお兄さんみたい、と同い年ながら思ってしまった。岩波さんも頼りになるお兄さんという印象がある。
十二時に萩尾トオルさんが来店してケーキを買い求めて、またバスに乗って帰っていった。萩尾さんはどうもシフォンケーキがお好みのようである。ふわりとしたケーキが萩尾さんの柔らかい雰囲気と合っている気がした。
でもなあ、と思う。彼の気安い物言いは常連のお客さんとして接する分には楽しいが、逆に言えばあくまで「お客さん」の範囲から出ない。恋愛対象としての感情は持てないのである。
「浅岡店長、このデータを見てから『母の日』のこと考えて」
萩尾さんが去ったあと、黒岩さんがパソコンのデータを示した。『母の日』という単語に身体がびくっとなる。ヨリコさんが昨日言っていた「イベント」──『母の日』イベントが始まるのか。
黒岩さんが昨年の『母の日』のデータをパソコン画面に表示していた。来客数や売り上げ、特別ケーキの種類などが記してあった。それを見ていると、不意に私の目の前に、パソコン画面と違う表示がぽんっと浮かび上がった。
「え……?」
急に現れた表示を見てみると、数字が四つ書かれていた。数字……? 不思議に思いつつ、短く書かれたそれを読む。
『1 黒岩エイジに母の日の発注について相談する
2 上杉タクヤに母の日のアイデアを訊く
3 中峰コウキに店長として母の日の傾向を尋ねる
4 萩尾トオルに母の日にどういうケーキを買いたいか問う』
「こ、れは……」
戸惑っていると、黒岩さんの陰からヨリコさんが出てきた。ヨリコさんは笑顔で告げる。
「『母の日』イベントの始まりだよ。カオルちゃんならこの数字の意味、理解できるよね?」
私の反応を面白そうに窺っているように思える。私は数字を見つめた。
──何度も選んできた数字。つまり──乙女ゲームの選択肢であるのだろう。ここで選択することによって、誰かの好感度が上がることは乙女ゲーマーとしてわかった。私は顎に手を当て、考え込む。どの数字を選ぶべきだろうか──。
まず真っ先に3の中峰コウキ店長は除外した。彼は攻略したくない。
そうすると黒岩エイジさんか、上杉タクヤくんか、萩尾トオルさんの中から選ぶことになる。
「イベント」というくらいなのだから、『母の日』は成功させなければ好感度は上がらないのだろう。成功率を考えると、お客さんである萩尾さんの選択は危険である。ひとりのお客さんだけに話を訊いても、あまり参考にならないだろう。
それに──萩尾さんは攻略対象として見られなかった。
「うーん……」
果たして黒岩エイジさんか、上杉タクヤくんか。黒岩さんの助言は、副店長なのだから恐らくためになるはずである。
だけど私は──2のタクヤくんを選択した。こればかりは、攻略対象として見られるか見られないかの差であった。
──私はタクヤくんと恋愛してみたい。現実の杉浦拓也くんも優しくて思いやりがあり、そういうところは好ましく思っていた。ゲームの中のタクヤくんとも話していて楽しいし、何よりあのくっきりとした双眸に惹かれた。終礼のときも適切な意見だったし、素晴らしいアイデアが聞けそうである。
私が2のタクヤくんを選択したことに、ヨリコさんは目を見張った。
「その選択肢でいいの?」
「はい。決めました」
私は晴れやかにヨリコさんに向かって決意を表明した。
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