第7話 不思議な乙女ゲーム世界

 緊張しながら扉を開け、外に出てみるとそこは洋菓子店の売店内だった。私がいた部屋は、【パティスリーフカミ】と同じく休憩室だったようである。


 ヨリコさんを探すと、程なく彼女の深緑のボブカットが見つかった。


「……ヨリコさん」


 恐る恐る声をかけると彼女は振り向いた。


「ああ、カオルちゃん。エプロン似合っているね。ゲームを攻略すること、自分の中で納得できた?」

「はい、まあ……。まだ認識不足は否めませんが、それでも夢の中の出来事だとしても、乙女ゲームは好きですので……やってみたいと思いました」


 ヨリコさんもピンクのワンピースの制服に、白いギャザーフリルエプロン姿である。可愛らしい制服は彼女の雰囲気と合っていた。


「そっか。まだ始まったばかりだからわからないことだらけだと思うけど、やってくれる気持ちになってくれて嬉しいよ。私もサポート役として頑張るから、解説は任せて!」


 頼もしい二見ヨリコさんは、現実の深見依子さんと重なる。そういえば、と不思議に思ったことを訊いてみた。


「ご主人さんの深見麻人店長は……?」


 ヨリコさんはきょとんとした表情になった。


「フカミアサトって誰……?」

「え? 誰って……ヨリコさんの旦那さんで、【パティスリーフカミ】の店長じゃないですか!」


 何を基本的なことをヨリコさんは言っているのだろう。彼女は自分の思考の中に入って、しばらくしてから言いづらそうに答えた。


「フカミアサトっていう人は、この世界にいないの。カオルちゃんが店長だから」

「……え?」


 深見麻人店長がいない? それは私の心に不安をもたらした。あの頼りになる深見店長がいないなんて……どうすればいいのだろう。


 私の心情をよそに、ヨリコさんは「浅岡カオル」が店長だと決めつけているようである。挨拶の手順を話し始めたので、私は仕方なく割り切って聞くことにした。


「これからみんなに紹介するから、店長として堂々と挨拶してね。店長は悩んだり迷ったりしているところをみんなに見られたら信頼をなくしちゃうからね」

「……はあ」


 深見店長の仕事ぶりの記憶を必死でたどる。

 いつもみんなを引っ張っていくリーダー役だった。彼が悩んだり迷ったりしている姿を見たことはない。そういうところが店長たるゆえんなのだろう。


「はい、ではみなさん! 新任店長の挨拶でーす!」


 ヨリコさんが大きな声を出すと、この狭い売店の中のどこにいたのだろうという人数が集まった。


 私以外にヨリコさん含めて四人が目の前にいる。私はなるべく冷静さを心がけて挨拶した。


「初めまして、浅岡カオルです。えと、このお店……」


 いきなり躓いてしまったことが恥ずかしい。冷静なつもりだったのだけど。


「【ローズスイーツ】のストロベリー店」


 ヨリコさんが察したように耳打ちしてくれた。


「……【ローズスイーツ】ストロベリー店の新任店長です。至らない点も多いかと思いますが、どうぞよろしくお願いします」


 深く頭を下げると、みんなから拍手で迎え入れられた。従業員たちも次々と挨拶をしていく。


「副店長の黒岩くろいわエイジだ。浅岡店長とは同い年だから気軽に接してくれ」


 その自己紹介に「え?」と黒岩と名乗った副店長を見つめてしまった。

 優しげで柔和な顔立ちは見覚えがありすぎる。──今の彼のように、ゆるふわミディアムの黒髪ではなかったが。


 不意にぽんっと彼の顔の下に表示画面が現れた。びっくりしてその文字を読む。


【黒岩エイジ・攻略対象のひとり・高卒六年目の副店長・責任の重くなる店長職を嫌がって副店長のまま・優しく相談に乗ってくれる】


 ──岩波英二さんより顔立ちは整っているけど、【パティスリーフカミ】での立場と同じだった。

 私が言葉を失っている間に、次の従業員が自己紹介を始める。


「浅岡店長、初めまして。俺はアルバイトの上杉うえすぎタクヤです。このお店で働き始めてから四年目になりますね。ちょっと癖がある性格だと言われますが、あんまり気にしないでください」


 ──今度は杉浦拓也くん? 茶色がかった髪色でなく、鮮やかな茶色のショートボブだった。彼はもともとイケメンなので、それ以外変わったところは見当たらない。

 また表示画面が現れる。


【上杉タクヤ・攻略対象のひとり・果実かじつ大学四年生・カオルに対して冷たい態度で接することがある・基本は思いやりある性格】


 岩波さんと拓也くんが攻略対象? あまりのことに茫然自失していると、最後に女の子が挨拶した。


「こんにちは。アルバイトの柿江かきえユラです。まだ二年目なので仕事でわからないこともたくさんありますが、教えてもらえると嬉しいです」


 金褐色の髪ではなく、金髪セミロングの彼女──柿本由良ちゃんだった。可愛らしい顔で私を見上げてくる。彼女は背が低くて、百五十センチだと聞いた覚えがある。背が低い女の子は、背の高い男性にモテるという話も聞いたことがあった。

 彼女の下にも表示画面が現れた。


【柿江ユラ・果実大学二年生・攻略対象者によって応援したり邪魔したりすることがある・特技はお菓子作り】


 最後にパートさんであるヨリコさんが挨拶をして解散となった。


 ──なんだろう、この現実世界と似すぎている世界は。こんな乙女ゲームはプレイしたことがない。

 だけど、ここで呆然と立ち尽くしている場合ではないことはわかる。何か行動を起こさないとゲームの世界から出られないのだから。次にやるべきことは──?


「カオルちゃん。新任店長として、隣の駅の支店店長にも挨拶に行ったほうがいいよ。隣のレモン店の店長にはお世話になることも多いだろうし」

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