第6話 乙女ゲーム世界の説明と決意
「……乙女ゲームは、攻略対象の男性と恋愛することはわかります。けれど……この世界がゲーム内だと仮定して、私は現実世界には戻れないのですか……?」
夢でないとすれば、現実に戻れないと困る。私は仕事をしているし、リアルで親や友達もいるのだから、みんな心配するに違いない。
私の質問に、ヨリコさんは丁寧に答えてくれた。
「戻れるよ。カオルちゃんは大体毎日二十一時から二十三時に乙女ゲームをプレイしているでしょう。仕事や用事がない日だけ、その時間に『恋甘』の世界へ自動的に飛んでくるの」
「……自動的にゲームの世界へ飛んでくる?」
私は驚いて聞き返した。自動的に乙女ゲームの世界に飛んでくる? 到底信じられる話ではない。
──確かに私は一日二時間だけ乙女ゲームをやると決めている。日付が変わる前に眠らないと、次の日の仕事に影響が出るからである。
時間帯もヨリコさんの言う通りだ。仕事から帰ってきて家事をしたりお風呂に入ったり、雑用を片付けると、ゲームを始めるのはおおよそ二十一時からだった。
ヨリコさんは眉を寄せ、悲しそうに私に告げた。
「そうなの、ごめんね。『恋甘』をクリアするまで、カオルちゃんは毎日この世界に飛んでくるの。誰か攻略対象をひとり、好感度を100にしたらゲームから解放されるから、それまで我慢してね」
私は沈黙した。誰かを攻略しなければ、この世界から出られない──。攻略するのは乙女ゲームとして当たり前だけど、まだわからないことがあった。
「……好感度を100にするのは、どれくらいかかります?」
「うーんとね、今が四月でしょう? 洋菓子屋のメインイベントがクリスマスなのは知っているよね。だからゲーム内のクリスマスイベントが最終イベント。それまでに誰かと好感度100にならないと、『恋甘』からカオルちゃんは出られなくなるの」
「え……?」
ヨリコさんの説明に、私は愕然として絶句する。
ゲームから出られない? そんな馬鹿げたことがあってもいいのだろうか。ゲーム内でクリスマスになる期間も予測不可能である。
乙女ゲームの中に入ってみたいとは思っていたが、まさかこんなことになるとは、と頭の中が混乱を極め、喚きだしたい気持ちになった。
「出られないって、一体……? 出られなかったら私はどうなるんですか……?」
「そうなったら、ずっとカオルちゃんはこの世界で暮らさなきゃいけないんだよ」
「……ずっとこの世界で、暮らす……」
ヨリコさんが近づいてきて、私の気持ちを落ち着かせるように手を握る。温かい手に、今更ながらゲーム内に存在していることを実感してしまった。
「大丈夫だから、不安にならないで。私もできるだけカオルちゃんを応援するし、攻略対象者たちも助けてくれるから。何よりカオルちゃんは、洋菓子店で実際に働いているでしょう。イベント対策はばっちりのはず。今度のクリスマスまでに頑張ろうね!」
「今度のクリスマス……」
いっぺんに色々言われても、理解力が追いつかなかった。私は改めて頭の中を整理して考えてみる。
──私は『秘密の恋の甘い味』、略して『恋甘』の世界に入り込んでしまった。
──洋菓子店の店長職をしながら、攻略対象者の好感度を上げる。
──二十一時から二十三時までの間のみ『恋甘』の世界に飛んでくる。
──ゲーム内で今度のクリスマスまでに誰かと好感度100にならないと、ずっとこの世界で暮らすことになる。
「……はあ」
私は深く溜息をついた。拍子にふんわりとした自分の栗色の髪が目に映る。ゲームのパッケージに描かれていたヒロインの髪色だった。
私は『恋甘』に入り込んでしまったんだなあ──その事実がじわじわ心に浸透してくる。「今度のクリスマスまでに」という時間制限が非常に気にかかるが。
ヨリコさんが仕事仲間の依子さんと瓜二つと言ってもいいくらい優しいので、このような信じがたい出来事が起こっても、私は狂乱することはなかった。
──未だ頭の中は滅茶苦茶であったけれども。
「とにかく」
ヨリコさんは口を開き、私に白いギャザーフリルエプロンを渡した。
「ワンピースとエプロンが制服だから、よろしくね。男の子の制服は違うけど。着替えたら出てきてちょうだい」
そうして彼女は部屋から出ていってしまった。私はひとり、ぽつんと残される。
どうしようか──私は十分ほど思い悩み、それから覚悟を決めた。
ゲームの中に入ってしまったことは、もう取り返しがつかない。潔く受け容れてゲームから早く脱出しよう。どうせ一日に二時間だけらしいという話である。
乙女ゲームの基本はわかっている。誰かひとりに攻略対象を絞り、選択肢を間違わずにひたすら追いかけ続けていれば、好感度は必ず上がるということは今までの経験上学んでいた。
それを実践するだけ──伊達に乙女ゲームを四十九作品クリアしていない。
私は乙女ゲーマーとして闘志を燃やし、ギャザーフリルエプロンを身にまとい、置いてあった大きな鏡で自分の姿を確認した。
ふんわりフェミニンな栗色ショートヘアに、ぱっちりした瞳。ピンクの制服とエプロンがヒロインとしての自分を際立たせている。
──乙女ゲームを始めて数年が経過した今、たとえ夢の中だとしても、初めて生でゲームを体験する一歩を私は踏み出した。
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