第4話 新条景歌とのおしゃべり

 お休みの日は快晴だった。

 眩しい太陽のもと、私はカフェのオープンテラスで本を読んでいた。爽やかな風が吹き抜けて、私の緩いくせ毛が舞い上がる。


 やがて、大学のときからの親友である新条しんじょう景歌けいかが現れた。彼女はカフェ巡りが趣味で、新しいカフェができると必ず私を誘うのである。


 今回新規開店したカフェ【ヤルヴィエン】はウッディな洒落た雰囲気で、景歌の冴えた美貌と合っていた。彼女も気に入った様子で辺りを眺めまわす。


「いい感じね、このカフェ。これで紅茶が美味しければ最高なんだけど」

「さっき頼んだけど美味しいよ」


 私は自分の青いカップを持ち上げた。景歌はそれを見てから、真剣にメニュー表に没頭する。

 しばらく悩んでダージリンファーストフラッシュを選び、注文した。


 ややあって、景歌の前に木蓮をモチーフにした鮮やかなカップが運ばれてきた。彼女は紅茶を一口すすって、満足そうに息をつく。


「うん。味も合格点ね。この季節のダージリンは美味しいわ」

「そうなの?」


 私はそこまで紅茶に詳しくはない。働いているお店のカフェスペースで紅茶もメニューにあるが、主に私は売店担当なので、紅茶について本格的な勉強をする機会はなかった。


「そうよ。薫も今度飲んでみなさい」

「そうだね。飲んでみるよ」


 景歌と会うのは二週間ぶりくらいだろうか。彼女もお休みが不規則な仕事をしている。


 実は航希と同じ職場──ショットバー【ムーンライト】で女性バーテンダーとして活躍しているらしい。【ムーンライト】に行ったことはないので、航希や景歌の仕事ぶりを見たことはなかった。


「で?」


 唐突に短く問われ、私は目を丸くする。頬杖をついた景歌は無遠慮にじろじろと、私を観察していた。


「いつもバカみたいに明るいあなたとはかけ離れているわね。……まあ、大体は予想できるけど」


 バカみたいに明るいとは、随分失礼な物言いである。だけど長年友達として付き合っている私は、彼女が毒舌であることを承知していた。

 なんでも言い合える友達というのは貴重であるので、私は気にしてはいない。


「薫。……峰岸航希と別れたんでしょう?」

「な、んで、それを……」


 景歌も婚約破棄のことを知っているの?

 ──航希が職場で話したのかとも思ったが、彼女の次の言葉で勘違いであることがわかった。


「峰岸がこの頃、ホールアルバイトの女の子と仲良くしていたから、まあ、見ていれば察することはできるわ。彼、かなり浮かれていて、バイトの子にハイブランドのバッグとかプレゼントしていたし」

「……そう」


 景歌の話に私は気持ちが落ち込んでいく。航希は私にハイブランドのバッグをくれたことはなかったな、なんてことを考えたりしてしまった。彼女はもう一口紅茶を飲む。


「薫も冷めないうちに飲みなさいよ」


 頷いて、青いカップを手に取る。紅茶の水面が波打ち、私の動揺が表れていた。

 それでもなんとか紅茶を飲んで、気持ちを静めようと努力する。景歌が珍しく優しい声を出した。


「ほら、美味しいでしょう。薫、あのね、そういう風に気分を変えることが大事だと思うのよ」

「気分を、変える……?」


 暗い表情にならないよう気をつけながら景歌を見つめると、彼女はまたカップを口に運んだ。


「私は紅茶が好きだわ。飲むと仕事とかで嫌なことがあっても、気分転換できるもの。薫にも、そういう気分転換が必要だわ」


 そうね、と彼女は口に指を当てる。そして何か閃いたように表情を明るくした。こんなときの景歌は、大抵興奮したように早口で思いつきを話し出す。


「薫が好きなのは乙女ゲームじゃない! いつも楽しそうに話しているわよね。乙女ゲームをやったらいいのよ!」


 彼女の提案を聞いて、私は驚きを隠せなかった。


 乙女ゲームは、男性と恋愛を楽しむゲームである。景歌は自分がやらないせいか、私がする乙女ゲームの話をそこまで興味ありげに聞いてはいなかった。

 それでも恋愛ゲームであることは承知しているはずなのに、失恋したばかりの私にすすめてくる意図が掴めなかった。


「ね、やりなさい。帰ったらすぐにやりなさい。これは命令よ、いいわね?」

「う、うん。だけど恋愛ゲームだよ?」

「わかっているわよ、そんなことは。でも擬似恋愛でも楽しめばいいと思うわ!」


 景歌の迫力におされて私は首肯する。

 買っていた乙女ゲームの『秘密の恋の甘い味』を思い出した。そんな気分になれなくて、まだプレイしていなかった。


 確かあれは洋菓子店が舞台……また少し憂鬱な気持ちになる。顔に出ていたのだろうか、景歌は首を傾げながら私に尋ねてきた。


「まだ何かあったわけ?」

「ちょっとね……」


 景歌は私が隠し事をするのを好まない。なんでも言い合える親友同士だと信じているからである。


 私はやや躊躇いながら、由良ちゃんとの出来事を話した。──彼女が私に嫌がらせをしたことを。それを聞いた景歌はものすごく怒ったようだった。


「なんなの、その女。ふざけているとしか思えないわ。ああ、幼稚な考え方しかできない子なのね、きっと。薫、そんな大学生のことなんて放っておきなさい」

「そう、だね。それが一番なんだろうね」


 今日景歌と会ってよかったと心底嬉しくなった。気兼ねなくなんでも話せる大切な親友は、私のことを心から案じてくれている。


 景歌に感謝し、また会おうねと約束してから別れて、帰路についた。



 ◇ ◇ ◇



 マンションに帰りつき、私はシャワーを浴びてから夕ご飯を食べた。洗濯物も片付けると、いつの間にか時間が経っていて、二十時四十五分になっていた。


 私は改めて『秘密の恋の甘い味』を手にする。

 瞳がぱっちりとしたヒロインを中心に、四人のイケメンたちが描かれているパッケージを見て頬が緩む。


 そうだ、この高揚感を私はすっかり忘れていた。新作乙女ゲームを前にすると否が応でもテンションが上がる。私は携帯ゲーム機にソフトを入れた。


 ざっと取り扱い説明書に目を走らせる。けれど、大抵は乙女ゲームの性質は似通っているので、深くは読みこまなかった。操作で躓いたときに読めばいい。そんな軽い考えで私はゲームを始めた。


 最初にヒロインの名前を決める。

 ゲームによってはデフォルト名だと声優さんが名前を呼んでくれることもあるが、『秘密の恋の甘い味』はそうではないらしいので本名を入力することにした。


 私個人的に本名だと感情移入できるので、デフォルト名で呼んでくれないゲームは自分の名前をヒロインにつける主義である。


「ええと……『浅岡カオル』、と」


『秘密の恋の甘い味』オープニング曲「スイーツブーケ」が流れる。美しい旋律の曲を聴いていて、そして──。


 ──画面から輝きだした白い光に私は飲み込まれていた。

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