キャンプにて①


 ここソラ地域のキャンプは砂漠の中にある町のひとつである。ただ、リディアスが先導して作ってきた他の町とは違い、流れ者や行商、そんな人間達が一時的に棲み着くことにより、作られてきた継ぎ接ぎの町である。

 そんな継ぎ接ぎの町も今はリディアスの配下。


 現在は水脈管理もされており、流れ者ばかりが住んでいるわけではない。

 ここの宿屋の主人やいくつかの商店のように、住人と言って良い者たちも住んでいる。常勤ではないが、国の衛兵だって立ち寄る。

 取り立てて他の町との違いはない。

 キラはそんなことをワカバに教えた。


 しかしながら、それはワカバに教えるために伝えたのではなく、ワカバがあまりにも無言なので、キラが耐えかねて喋りだしたことでもあった。

 そして、何より本当にキラが伝えたかったのは『取り立てて他の町との違いはない』の部分だけだった。

 もちろん、宿の窓から外を眺めて、キラの帰りを待っているだけのワカバにはまったく伝わっていない。

 だから、ワカバは窓の外を見つめながら、宿屋の前にある端布屋を見下ろし、幼い兄弟を眺めている。


 呪文のような歌のようなものを兄が歌いながら、籠の中にいる簡素な布を纏う赤ん坊を覗き込んでいるのだ。いつもしばらくすると、その母親が店から出てきて、赤ん坊を兄から取り上げると、敷かれた蓙の上に座り込み、その乳を吸わせるのだ。

 それが終わると、店にある端布を腰にたくさん巻き付けているようなその母親は、兄とは違う節回しで、よく似た歌を歌い始める。

 兄の方も幸せそうにその膝に寄り添いじっとする。


 きっと、眠りのまじないがかけられているのだ。


 そんな風に思う。


 ワカバは彼らの様子がとても不思議だった。

 赤ん坊は知っている。あれが大きくなって、あの兄のようになって、あの母親のようになるのだ。

 昨夜キラに尋ねたから間違いない。

 驚いたことに、キラもあんなに小さかったというのだ。

 そして、自分を思った。


 わたしも、あんなふうに小さくて、母親というものにいだかれていたのだろうかと。


 ただただ、不思議だった。考えれば考えるほど。

 何に変わるか分からない赤ん坊を、あんなにも慈しみ深い眼差しで育てられることが。


 キラはワカバに食べものを食べるように言う三人目の人間になった。

 食べると大きくなるらしい。それはマーサが言っていた。

 だけど、ワカバは大きくなるということが少し怖い。

 どうしてなのか、それは分からない。だから、ラルーに会いたいと思ったのだ。だから、ラルーと出会った場所であるときわの森へ行きたいと思ったのだ。きっと、ラルーなら知っている。


 だって、ラルーはとても物知りだったから。


 キラは『仕事として』なら連れて行ってくれると言った。

 仕事はお金と交換するものだ。それはマーサが教えてくれた。

 ワカバは思い出したようにベッドの上に置いてあるポシェットをひっくり返す。

 マーサがくれた金銀銅のお金に加え、青い色のガラス玉と飴玉が増えている。

 マーサがくれたお金は銀色のもの一枚が減っていた。飴玉もひとつ減っている。

 だから、昨日、それらを宿屋に回ってきた行商から買ったことを伝えたワカバをキラは叱ったのだろうか。


 飴玉はとても甘くて美味しかった。だから、キラにもあげようと思って……。

 仕事のお金が足りなくなるからと、怒った顔のキラは、ワカバを部屋から追い出したのだろうか。


 結論を出したワカバはすりこ木とすり鉢を眺めた。



 ☆


 ワカバの行動範囲はこの四日で増えている。きっと、キラも悪いのだ。ワカバに近寄りたくなくて、一人で行動することが多いから。日が暮れる前には部屋に戻っているようだが、夕食を持っていくと、まるで悪戯を隠す子どものように、居心地悪そうにキラを見つめるようになった。

 言うまでもなく、ワカバの行動範囲は知れている。


 端布屋の子どもと話をして、その後、古書店へ向かい、日が傾き始めるとここに戻ってくるのだ。そして、さっき、夕食前だというのにワカバがやってきて、手紙を二通、キラに渡したのだ。ひとつはマーサ宛。もうひとつは、あの老婆宛。

 老婆宛の手紙には薬が添えられていた。

「あのおばあちゃん、孫が病気だからって、言ってたから……」

 列車が通っていない砂漠地域においての流通手段はもっぱら駱駝便である。手紙を運ぶのもこの駱駝便。


 手紙がキラの手元にある理由は、月下にある駱駝便居留地で、紙飛行機を飛ばそうとしていたワカバに、キラが説明した結果だった。

 どうやら、ワカバは手紙を風に乗せて運ぶという不思議なことを信じていたらしい。もちろん、根拠があればキラだって否定しなかっただろう。

 なんと言っても、魔女の術であるのならば、否定など出来ないのだから。

 しかし、キラに手紙を出したことがあるというワカバの手紙を、キラは受け取っていなかった。要するに、道に棄てられた紙である。


「ご飯を食べました。たくさん眠りました。明日はお買いものです。外は楽しいですか?」

 たったそれだけだったそう。


 宛名も差出人名も書いていなかったそうだから、落ちていても気に留められず、ただ踏みにじられ続けただろう、道ばたの紙切れだ。マーサもガーシュも気にしなかったのかもしれない。

 しかし、だから、ワカバはこの手紙をわざわざキラに持ってきたのだ。

 扉を叩き、開いた扉の向こうからおどおどと差し出された手紙を眺めながら気が重くなったのも確かだ。

 おどおどするのは、おそらく昨日の出来事にある。


 キラが、勝手に行商なんかと会うなと、不機嫌に怒鳴ってしまったからだ。

 もちろん、ワカバの行動が軽率であるから、なのだが、それよりも今は自身に大きな溜息を付いてしまうのだ。ワカバが軽率なのではなく、キラがワカバに本質を伝えていないから、ワカバは行商からガラス玉と飴玉を買ったのだ。

 別に購入価格を責めた訳ではない。決して、そうではないのだ。

 ただ、もし同じものをキラが購入したのなら、ガラス玉は少なくとも五十程、飴玉なら商売が出来るかもしれないくらいの数は手配できただろうとしても。

 そして、意味もなく小さな部屋を見回した。


 ベッドと簡易手洗いと浴室。素泊まりにしては良すぎるその部屋は、ふたり合わせて銀貨一枚で泊めてくれている。これは、普段なら一人分の五日分の宿代だった。

 取り立てて他の町との違いはない。

 ときわの森がある場所はワインスレー諸国だ。リディアスではない。国を渡るためにはマナ河の畔にある港町スキュラへ移動し、そこから船に乗るというのが定石である。


 真っ直ぐ進めなかった理由として、そのスキュラでリディアスの大臣や研究所所長とワインスレー諸国の元首らが参加する臨時会議があるからだ。

 議題は『現状報告と逃亡魔女』

 おそらく重きは『逃亡魔女』にある。

 もしかしたらラルーも含まれているのかもしれないが、主たる話題はワカバだろう。

 そして、そんな会議が開かれるスキュラの警備は、現時点でもちろん厳戒態勢。

 すり抜けられるわけがない。


 臨時会議自体は二日ほどのものだが、様々な距離や事情を抱えた各国元首が集まる故に、滞在期間はゆるく設定されている。そして、その会議が終わる日時が約十日後。徒歩で行くわけにも行かないので、駱駝を借りる手筈は済んでいる。後は水と携行食糧。

 ただ、スキュラまでに掛かる日程は、早馬で二日半。駱駝便の手紙だと四日ほど。

 リディアス精鋭の馬だと、砂漠の道ですら二日で着くと聞かされていた。


 宿屋の主人を疑いたくはなかったが、どこの町とも変わらない現状のキャンプに、魔女を逃がそうとする気質はないだろうと思われた。

 だから、駱駝便の男の言葉が脳裏に過ぎってしまうのだ。

「君の連れ、気を付けてあげなよ」

 彼はワカバを魔女だと認識してそう言ったのではない。


 大昔、この辺りがリディアスではなかった頃を描いたおとぎ話の魔女の娘を指しているだけなのだ。


 かつて、月下を含めたこの砂漠地帯は、魔女の治める国があった。魔女は不死であり、戯れに人間を連れ合いにしたのだ。

 魔女の国は争いが絶えなかった。魔女がそうしていたと、リディアスのおとぎ話は言っている。


 その二人の傍にはいつも一人の娘がいた。

 その娘の瞳が緑色であり、魔女の娘だとも言われていた。


 ただ、その娘は争いを好まず、姿を消した。それが、その国滅亡のきっかけだったのではないかとも言われている。

 銀の剣の勇者が現れたのだ。

 リディアス出身ではないキラですら聞きかじったことのある、そんな有名なおとぎ話。


 宿屋の主人が知らないわけがない。


 もう一度、手紙に視線を落とす。

 ワカバは、病気だという孫を助けようとこの手紙をキラに渡した。

 しかし、受取人はすでにこの世におらず、ルリという名の孫以外に、孫の存在はいない。魔女を探し出そうとするようなルリが、病気であるはずはない。


 そして、そんなワカバに『お前は国に狙われている魔女だ』と言えない。

 仕事として受けた保証に彼女の褒賞金を思い浮かべたくせに、キラはどこまでも卑怯だ。どこかで、ワカバを捨てようとしている。出来れば、不可抗力でいなくなって欲しいと思っている。


 仕事としてなら受けてやる。心配しなくても、お前に払えない金額じゃない。


 一千万ニード。国に突き出すだけで、ワカバがそのまま報酬に変わる。


 そう、ワカバが指名手配されている魔女でなければ、誰と仲良くなってくれても構わない。何を買ってどこに価値を見出しても構わない。

 キラがそれを制限する理由はないのだから。

 どうして、ワカバはキラに着いてくるのだろう……。

 どこか鬱々とした気持ちを体現するかのようにして、キラは自然と頭を抱えていた。

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