キャンプにて②
朝になり、太陽が砂漠を固めた町の道を焼き始める。しかし、まだ日陰は涼しく、寒暖差から得られる水滴を垂らす軒下があり、その軒から伸びる細い樋を伝ったその水滴が落ちる場所は、桶だった。桶にわずかに溜まり始めた湿り気が、水音がまどろみの中に侵入し始めると、人々は朝が来たことを知るのだ。
キラもワカバも同じように目を覚まし、キラは出掛ける準備を始める。
ワカバは、ぼんやりする頭で窓の外を眺めた後、もう一度ベッドに潜り込む。
出掛けるにしてもワカバはキラが出て行った後。出掛ける準備をしていると思われたら、また叱られる。
もちろん、キラはそんなワカバの心の中は知らない。
ただ、彼女がこっそりと抜け出していることだけを知っているだけで。
そして、キラがワカバの散歩を黙認していることを、ワカバも知らない。
「留守番くらいは出来るだろ」
を守っていないだけ。
朝露の溜まった桶には鳥が水を飲みに来ていた。そして、その背後から古書店の茶虎猫が目を光らせている。
お尻を振って飛びつくが、野生を生きる鳥の方が一枚上手。
仕方なく、猫も短い舌を桶に突っ込み、お茶を濁した。キャンプの水はとても貴重だ。
太陽の位置が少しずつ高くなってきていた。そろそろ人が起きてきて、活動する時間。猫にとっては朝寝をする時間。
猫はいつもの場所、積み上げられた古書の上に寝そべって、人の進む足元を見るともなしに見つめていた。いつもならまどろみに襲われる頃、見つめた先にどこか人とは違い靄のようなものがいた。瞳をまん丸にしたその猫は、相手の様子を見つめつつ、目が合ってしまったその人物を前に、瞼をゆっくりと閉じて敵意がないことを伝えた。向こうの敵意も感じられない。
すると別の気配が近づいてきた。
「おはようございます」
最近、毎日やってくる少女が、その猫を見つけて声をかけると、人とは違う靄のような気配は消えていた。
「あのね、今日は、熱を下げる薬の作り方を覚えようと思っているの」
ほんの少し抑揚の付き始めた言葉に、猫は小さく「にゃぁ」とだけ伝えて、彼女を通した。
この娘も、さっきの気配に少し似ている。だけど、安全。
猫はそのまま昼寝に入った。この少女は猫の時間を邪魔しない。ただ、本を読んで帰るだけ。
☆
炎天下。奇妙な品々が並べてある御座を眺めながら、キラはやはりワカバを考える。
昨夜もワカバがやってきて、また怒鳴ってしまった。
このもやもやは後悔ではないはずだ。ワカバが頓珍漢すぎるのだ。そうやって自分を庇いたくなることすら、鬱陶しい。
「知るかよ。そんなことでいちいちこっちに来るな」
キラの声と言葉にワカバがみるみるうちに縮んでいった。
だいたい、呪いの歌の結果、あの子どもらが消えてしまったわけがない。
「でも、だって風の子が……」
その言葉にキラは自身の幼いころを思い浮かべた。
風の子は魔女に仕える妖精の類だ。誰にも受け取られなかった言葉を魔女に運ぶという悪戯をする。言葉を運ばれてしまった者たちは、言葉を必要としない生き物にされる。
だいたいは魔獣にされると言われるのだ。
ワインスレー地方ではよく語られる、わがままを叫ぶ子どものしつけ道具でもある。
魔獣にされるとその上に君臨する魔女に使役されるというもの。
そう、魔女に。
「あんなのは、子ども騙しだ」
目の前にいた魔女が魔獣を使役するとは、思えない。
実際、あの子どもらは、兄が熱を出して寝込んでしまっただけらしい。だから、ふたりとも家から出てこないのだ。ワカバが心配してどうなるものでもない。
「あぁ、お客さん、それはぁ、黄トンボの目玉。良いものに目ぇ付けられましたな」
何を見るでもなく御座の商品を眺めていたキラに、やっと店主が声をかけてきた。そして、金歯の生えた臭い口から、説明が吐き出された。そして、思う。
そう言えば、ワカバは意味のない丸いものが好きなんだよな。
飴玉にガラス玉。店主によって持ち上げられた瓶の中身も丸いもの。魔女なのならば、こんなものも好きなのだろうか。
「黄トンボの目玉は、どんな痛みでも一時的に無効にさせるもんでぇ、そうそう、魔女を狩るんだったら持っていて損はないねぇ」
店主はガサガサ音を鳴らしながら、その黄トンボの目玉の瓶を振っていた。黄色と黒の目玉が瓶の中で飛び跳ねる。こんなものが好きなら、良かったのだ。
「魔女を狩るなら、ね」
キラも彼に話を合わせる。
キャンプにも魔女の話は存在するし、リディアスの手配書もそこいら中に出回っている。魔女を狩るということは、キラのような賞金稼ぎには当たり前のように掛けられる言葉であるのだ。しかし、実際キラはここで小銭稼ぎをしたいだけ。魔女とされる者は、キラの手元にある。
「ここにも魔女の逸話があったっけ?」
黄トンボの目玉に興味を示さない客に目を逸らした店主が、つまらなそうに続けた。
「そうさねぇ。逸話というよりも、現実に近いのかねぇ」
「現実の魔女?」
キラは傍にあった退魔の布を手に取りながら、ここソラのキャンプにある魔女を思い浮かべる。
ここには魔女の墓がある。そして、その墓守は、かつてその魔女を狩った勇者・ドンクだ。
今は、外れの小屋にいる老婆。誰もかつての英雄を称えてはいない。
「魔女の墓守がいるんだよ。本気で変わり者だねぇ、あれは」
そんなことをしなければ、今も彼女は英雄だったはずだ。しかし、彼女は魔女を狩ったことを悔いている。魔女は、銀の剣でしか殺せないわけではない。
そう、違うのだ。
「面白いな、その人。なぁ、よかったらその墓守の住んでいる場所、教えてくれないか?」
キラは手順を踏んで、そんな彼女に会いたいと思ったのだ。そんなに悔いてしまうのに、どうして魔女を討ったのか。その魔女は、本当にリディアスの求めた魔女だったのか。
トーラと言われる、あの魔女だったのか。ドンクは銀の剣を持っていたのか。
もし、違うのならば……。
「その代わり、この退魔の布もらうから」
ワカバと関わるのであれば、魔術から身を守ってくれるとされる退魔の布が適当だ。キラはどこかあの新緑色を恐れている。
どこか、何か……『キラ』を暴いてしまいそうな。記憶の遠く向こうに押しやったものを引きずり出してしまいそうな。
店主が手を揉みながら「へぇへぇ。毎度あり」とやはり臭い息と共に、嫌らしい声を吐き出した。
リディアスが狩る魔女が『トーラ』を持つ魔女と同位でないのなら、ワカバはキラの知る『トーラ』を持つ魔女ではないかもしれない。
そうであれば、リディアスから逃れられれば、生きていく道だって……。
現に銀の剣を持つ者が現れたとも聞かない。
キラは太陽の下では生きていけない。そんな道を歩んだのだ。
しかし、もし、ワカバが魔女でないというのであれば、ワカバが太陽の下で生きていくことをどこかで望んでいる。キラと別れた後のワカバが日陰で生きていくことなど、想像できないでいるのだから。
ワカバは望んで、あの場所にいたわけではないのだから。
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