被害を受けた者②

 マーサに追い出されたキラが、一階の酒場に下りるとガーシュがグラスを磨いていた。彼の几帳面な性格は、その厳つい顔から想像できないが、クイーンとしても繊細な仕事を扱うことが多かったらしい。

 そんなガーシュが、マーサの親友に傭兵の話を持って行った。


 だから、マーサにとっての元凶はガーシュだった。しかし、マーサがガーシュに狙いを付けた時点で、ふたりともこの稼業の第一線から身を退いたのは確かだった。

 腕の良いジャックとクイーンの消失は皆に惜しまれたとも言われている。

 こんな風に身を退くことの出来るジャックなど、他にいないだろうとも言われている。しかし、彼らが身を退いてくれたから、キラは彼らに拾われ、養われた。

「迷惑かけて悪い」

 キラはガーシュの横顔に向かって言葉を落とす。ガーシュの視線は持ち上げたグラスへと。曇りひとつなく、向こう側がわずかに歪んで見える。


「あの……魔女のことだけど」

 一瞬、言葉に悩んだキラだったが、隠す必要などないことに気付いた。マーサはワカバのことを知っているのだから。元より無口なガーシュは答えない。

「準備が出来たら、迎えに来るから……それまで預かっておいて欲しい」


 首都ゴルザムでなければ、どうにか生きていけるかもしれない。ワカバはとても魔女には見えないのだから。どこか、リディアスが列車を整備させていないような片田舎へ。情報が途切れるだろう、そんな場所。

 適当な理由付けがしやすい場所を探して、そこへ。

「よろしくお願いします」

 深く頭を下げたキラに、ガーシュの溜息が聞こえた。これは、ガーシュが話し出すときの合図だった。


「命の保証は出来ない。こっちも命をかけるようなことはしない」

 そして頭を掴まれる。

「お前、シガラスの居場所を今、把握しているか?」

 言い終わると頭の手が離れた。そして、また淡々とグラスを拭き始めるガーシュ。


 シガラスの居場所……。


 ガーシュがそんなことを言うということは、シガラスは姿を眩ませているということなのだろうか。いや、この依頼だって、シガラスからのものだ。結局不履行になっているから、報告は必要になってくるのだ。シガラスの居場所を、キラは知っておかねばならぬ立場でもある。だが、今一番遭いたくない相手であることも確か。


「マーサだって分からない」

 キラは無言だった。しかし、ガーシュは続けた。

「お前は、今、あの魔女を殺してほしいという依頼を請けたら、その依頼をどうするんだ?」

 それはキラが目を背けていた事項でもあった。

 例えば、シガラスがあの老婆の孫ルリの依頼を請けたなら。

 あいつなら、どんなに釣り合わない依頼料でも請け兼ねない。

 キラは、跳ね除けられるのだろうか。自分のないキラには、判断出来ない。

 そんなキラを見兼ねたのか、呆れたのかガーシュの声は柔らかくなる。


「この世の中は理不尽で出来てしまってるんだ。何が正義かなんて分からない。情報をうまく掴め。そして、気を付けろということだ」

「……ありがとう」

 頭を下げたままのキラは、ガーシュの言葉を胸に刻み、酒場を後にした。


 ☆


 紫煙を燻らせ、その煙の行く先、灼熱の太陽のある空へ視線を上げた。山高帽の影に遮られ太陽は見えない。

 先ほどまで、シガラスの目の前で騒ぐだけ騒いでいた赤い髪の女は、悪態をつくだけついて、魔女の棲む町オリーブの雑踏に消えた。

 赤い髪の女は、あの魔女狩り以前に魔力を缶詰めにした魔獣に対抗出来るという不思議な技術を有した会社のご令嬢だった。


 名前はシャナ・クロード。

 気弱そうな男をひとり連れていた。確か、缶詰め工場長の息子、アブデュルだったはず……。

 そこまで思い、あいつらも所謂魔女狩りの被害者なのだろう、とシガラスは、もう一度、その口から紫煙を吐き出す。


 彼らの工場を倒産させたのはリディアスだ。その力が魔女に通じるとされたのだ。

 確かに尋常ならざる技術であることは確かだ。しかし、そのリディアス自身が、国の保持のために彼らを罰したのは確かだった。

 リディアス国立研究所内を考えれば、彼らの扱った力など、魔女の足元にも及ばないことくらい分かっていたはずだ。しかし、あの研究所は秘匿の温床だ。

 誰も口を割らない。舌を噛み切る奴もいる。あそこに勤める研究者すべてが、自らの死よりも別の何かを恐れている場所だった。シガラスは、何が『魔女』なのかを考える。魔女とされた者は、城の庭にある公開処刑場で、磔にされる。


 だから、あのご令嬢の父親は、リディアスに召し捕らえられる前に首をくくった。

 そして、リディアス自身が魔女に通じる力とは思っていなかったために、自殺未遂で寝たきりになった彼女の父親を召し捕らえなかった。

 今度は、ラルーの失踪に伴い、いまや二代前となってしまったランネル国立研究所長官を思い巡らせる。

 今回のターゲットはキングだった。しかし、同時にランネルだったのだ。


 ランネルは、恐ろしい男だった。それこそ、世に言う鬼や魔王に近いのではないだろうか。

 表向きは研究所長官として魔女を研究する第一人者。そして、裏の顔として、先代のキングを騙し、その手の中で飼い慣らし、その座にまんまと座った男だった。

 キラを遣ったキング邸に、手下がいないことは分かっていた。

 そこで、シガラスは、自らの情報収集のどこに穴があったのかを考えたかったのだ。


 シガラスは、キラを危険極まりないキングの元へ遣ったが、キラを死なせようとはまったく思っていなかったのだ。だから、手下の動きがないことに気付き、その存在が消されていることを知っていた。

 やったのは、おそらくランネルだ。

 先代のキングよろしく、上手く言って、毒でも飲ませたのだろう。


 他人を信用させる能力が際立っていた。生真面目な顔をしていて、説得力のある口上を述べる。弱みなど掴まずに、ただその場でその心を鷲づかみにする能力は、どのキングよりも長けていた。

 人が住まう気配もあった。疑うこともなかった。


 シガラスの読み違いは、そのキング邸に『魔女』がいたことだ。

 『キラ』をあの魔女に近づけてしまった。

 それも個人的な依頼で。

 ランネルに弱みを握られたシガラスが、奴を消そうとキラを嗾けたのだ。あの魔女、ラルーの言葉を信じておけば良かったのだろうか。


「ご心配なさらなくても、その依頼の遂行義務はもうなくなりますわ。だから、命が惜しければもう二度と、魔女に近づかないよう、ご忠告に参りました。せっかく拾った命ですもの、お大事にしていただければと」


 あの魔女は『依頼』だと言いやがった。まるで、心を見透かすような冷たい瞳で、シガラスを見つめて。魔女に近づくななど……。言われなくても近づくものか。

 シガラスは、短くなった煙草を凭れていた石壁に押しつけ、ねじり消した。

 シャナの依頼は『あの魔女を捕まえて欲しい』だった。


 魔女を匿ったことで磔にされたあの老婆の唯一の肉親、孫のルリが魔女を殺すために動き出している。もちろん、見合った依頼料を出すことは出来ないため、どのクイーンも首を縦にしない。

 『シガラス』の元に彼女が辿り着いたら、自分はどう答えるのだろう。

 そんなことを脳裏に浮かべながら、甘ったるい臭いのする町を歩き出す。


 シガラスは、十一年前の魔女狩りに参加し、第一陣で唯一生き延びた傭兵だった。様々な状況を聞かれる立場になった。だから、ジャックからは足を洗い、それを使うものとして力を付けたのだ。

 情報は命を延ばしてくれた。

 しかし、あの時の光景は記憶に染みついて離れない。

 第一陣リーダーの声に、集められたときわの森の魔女達。

 そして、抵抗した者は、斬り捨てることもなく、殴られた。殴られ続けた魔女達が山積みになっていた。


 リーダーに『魔女に対する恨み』はなかったはずだ。その他の者にも。幼いあの魔女もその中にあった。シガラスはその様子をただ立ち竦み見つめるしか出来なかった。


 全員じゃなかった。シガラスのように立ち竦む者も、ただ、動かなくなった魔女達を作業でもするかのように、集める者もいた。

 しかし、彼らの視線の先には、ただ肩を寄せ合う子鹿のような魔女達がいたことも確かだ。

 相手は魔女だ、それが、人であることを忘れさせるかのように、誰もがその異常を常態として認識したのだ。


 思えば、あの魔女は、その頃から異質だったのだ。

 泣くこともなく、怯えることもなく、さらには抵抗するでもなく、全てを記憶するかのようにして、緑の瞳だけを異様に輝やかせていた。


 恐れ怯えたのは、人間の暴力に口を挟むことも同意することも出来なかったシガラスの方だった。

 声がその緊張の糸を切るまでは。

 ひとり、異を唱える者がいたのだ。

「一体どっちが魔女だって言うんだ」

 銀の剣を携えた、リディアスではよく見られる金色の髪と空色の瞳の男だった。正義感の塊を持つその瞳の色は、現在、リディアス国立研究所で衛兵をしている妹パルシラとよく似ている。


「悪魔はお前らの方だっ」

 そんな彼は、リディアスでは『勇者』と持ち上げられる剣持ちだった。

 ラルーが彼に与えた、そんな剣だったということは、後から知った。

 視線が彼らに集まる。シガラスは、それを『機』と捉え、逃げ出したのだ。

 命が惜しければ……。

 あの隊は全滅だった。全滅させたのは、銀の剣持ちの勇者ではなく、あの魔女の方だ。

 シガラスは、どこか祈るような思いを胸に、歩を進める。


 男を誑かすとされる魔女がたくさん棲み着くオリーブの太陽は、そんなシガラスのことを焼き尽くそうとするかのごとく、その背にずっとついてくるようだった。

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