目覚め


 ワカバが目を覚ましたのは、キラが酒場を去ってから一週間ほど経った後。高熱に魘されていたのが、三日ほど。そして、昏々と眠り続けること二日間。わずかな口の動き、目蓋の動きが現れ、目を覚ますまで一日。

 内訳にはそう書かれてあった。

 そして、今は酒場の掃除をし、簡単な薬作りをしているのだそうだ。

 そんな内容が書かれた手紙を思い出しながら、キラはその内容の意味を考えた。

 目が覚めたということは、単純に喜ばしいことだと思う。

 酒場の掃除は、人目を気にした結果、一応の食い扶持を稼がせていると考えても良いと思う。

 しかし、薬作りについては謎しかなかった。


 一体どうしてそんなことをさせるのだろう。


 マーサが腰を痛めたときに、彼女が簡易湿布を作ったらしい。それが良く効いた。だから、薬師をしている友達に見てもらって、それを買い取ってもらうようにしているらしい。

 もちろん、ワカバを預けて一ヶ月ほども経ってしまったことに対しての申し訳なさは感じている。

 だから、何度か様子も見に行っているし、何度か連絡だってしている。

 その度に、「とても良い子で助かっているから大丈夫」「娘が出来たみたい」という良くわらかないマーサの感想が書かれた手紙や感想をもらった。


 そんな手紙をもらった一通目に、追求すべきだったのだろうか。

 考えても分からなかった。

 薬作りをさせているというこれは、いつまでも預かっていられないというキラへの忠告なのだろうか。

 確かに分かることは、それだけ可愛がられているマーサの娘を、危険に晒すことは出来ないのだろうな、ということだけだった。


 キラは今オリーブの三角公園といわれている場所で、『ドクロ』と呼ばれる男を待っていた。木にぶら下がる簡易ブランコが揺れているだけで、その他には何もない場所だった。暑い最中、子どももいない。ただ、鳩だけが、キラに餌をねだるようにして首を動かしていた。

 キラの手にはリディアスで配られている機関誌があり、キラの視線はその紙面にある。国が発行しているそれは、リディアスの情勢を知るにはちょうど良く、今日のカモフラージュにも都合よく使えるものなのだ。


 彼に直接ものを頼むのは、初めてだった。こんなところから足がつくのだ。

 今までは、全てシガラスを通していた。キラが何をしているのか、それはシガラスだけが知っていた。

 今は、そのシガラスを頼れない。

 そして、ガーシュが言ったように、シガラスの気配が見えない。奴が好んでいた飲み屋や宿屋、広場や情報屋にも立ち寄ってみたが、まったく掴めない。

 ここ、オリーブの情報屋なぞ、キラにそのシガラスの行方を尋ねるくらいだったのだ。


 奴は消えた。


 もちろん、キラにとっては好都合だったのかもしれないが、影すら掴めない相手を警戒するということは、恐ろしく難しい。

 しかも、奴はただのクイーンではないのだ。

 そんなことを思っていると、読んでいた機関誌に影が映った。

「魔女でも捕まりましたかな」

 そんな言葉をキラに発した男が、禿げ上がった頭の眉間上にあるわずかな髪を触っていた。


 ドクロだ。もちろん、彼はそんなことを尋ねている訳ではない。

 視線を上げたキラは、一瞬不審そうに、そして、その気の良さそうな表情に気を許したようにして言葉を続けた。

「いいえ。国の機関誌ですから、捕まれば一面に大々的に載せるでしょうね」

 と続け、立ち上がった。

 キラの座っていた場所にドクロが腰をかけようとする。

「何か落としましたよ」

「あ」


 キラがドクロに駆け寄り、鍵を二つ束ねたホルダーをもらう。

「助かります。良かったら」

「これはこれは」

 そして、ドクロは報酬を受け取った。

 ドクロの手にはキラの機関誌、キラの手には、キラが準備したワカバの住処の鍵がある。


 ☆


 ワカバはぼんやりと朝の酒場の階段に腰掛け、朝日に光る埃の道筋を眺めていた。

 少しお星さまに似ている……。

 そんなことを考えながら。

 目が覚めてからのワカバは、ずっと頭がぼんやりしていた。

 覚えていたはずのことを覚えていない気がするのだ。


 自分は魔女だ。

 それは覚えている。だけど、どうして魔女なのかが分からない。

 リディアスという国の作った研究所というところでずっと住んでいた。

 それも覚えている。だけど、どうしてそこに来たのかが分からない。


 ラシンというお婆ちゃんと一緒に小さな村で住んでいたはずなのだ。

 みんなのことは覚えているけど、夢の中にいるような感じがする。

 本当に『ワカバ』がそこにいたのか、それがよく分からない。

 ときわの森、そんな風にみんなが呼んでいた場所にいた。確かだけれど、確かじゃないかもしれない。

 そこへ、ラルーがやってきて、みんながいなくなっていた。

 そう、だから、リディアスの研究所というところにいて。

 そこではずっとラルーと一緒にいて。ラルーが色々なことを教えてくれて。


 星の繋ぎ方も薬の作り方も。言葉の受け答えの仕方や、文字の書き方も。


 これでも随分思い出したと思っている。


 ランドがくれた金魚ちゃんが、死んじゃったから……。

 そこを思い出そうとすると、心が拒否する。とても悲しくて痛い。

 ランドの友達のガントがやってきて、お墓を作ってあげようと、わたしを外に出してくれて。


 どこへ行けば良いのか分からなかったけれど、金魚ちゃんのお墓を作ってくれるお婆ちゃんを見つけて。

 孫が病気って言っていたから、薬を持って行ってあげたくて、マーサさんに相談したら、そのお友達を紹介してくれて……。


 そう、キラに会った。

 深く蒼い瞳の人間の男の子。だけど、彼の瞳を思い出すと、胸の辺りがざわざわしはじめる。違和感のような、不安感のような。崩れてしまう何かのような。

 

 そして、ワカバはポケットに手を突っ込んだ。ランドがくれた御守りだった。取り上げられなくて良かった。

 御守りの袋を開けると、蒼い石が転がる。

 御守りの石はワカバを守ってくれるもの。ランドが言っていた。


 キラの瞳と同じ色の石。彼はいつもわたしを助けてくれる人間だ。

 お墓を作った後に帰ってきた場所にいて、犬が吠えて、助けてくれた。石の部屋へ戻れるようにしてくれた。

 誰もいなくなったあの場所にやってきて、また居場所を与えてくれた。


 マーサもそう言っていた。

「ワカバちゃん、大丈夫よ、キラに着いていけばちゃんとあなたが生きていける場所に連れて行ってくれるわ」

 だから、生きていく術を身につけておかなくちゃね。


 そう、だから薬作りを始めた。

 今は掃除。

 薬の材料をもらってきてくれるマーサが帰ってくるまでは、お留守番。


「掃除が終わったのか?」

 ワカバが見上げた場所にはガーシュがいた。ワカバはぼんやりと彼の顔を眺めて返事をする。

「はい」

 相変わらず抑揚のない声で、ワカバがガーシュの言葉に答えた。

「じゃあ、少し休憩だな」

 そう言って笑うガーシュが冷たいミカンジュースをワカバに注いだ後、自分のグラスにも同じものを注いだ。


 そうしないと、ワカバはいつまでも飲み物を口にしない。食べ物も同じだった。

 真似をする、ただそれだけ。

 だから、マーサもガーシュもキラを急かすことをしなかった。もう少し、人間らしく表情を作れるようになるまでは、同じ場所で同じ人間と過ごさせておきたいと、人間らしい生活を覚えさせておきたいと、ふたりが出した結論だった。


 ワカバが表に出せる感情は、悲しいだけだったのだ。

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