被害を受けた者①


 キラの故郷はワインスレーにある小さな国のひとつ、ディアトーラという場所だった。そこにはときわの森と呼ばれる大型魔獣の住む森があった。

 そして、そのときわの森には魔女が棲んでいた。

 魔女は、ディアトーラに様々なものを求めた。

 時に鉄製のお鍋。

 時に家畜を。

 時に、桶を。


 魔女達は森にないモノを望み、代わりに人の望んだものを与えた。


 時に水を。

 時に木々を。

 時に、貴重な魔獣の資源を。


 しかし、魔女は子を望むことがあった。

 対価は、その子が助かるための薬。


 親は泣く泣く我が子を差し出す。


 我が子は時の遺児として、魔女達の手によって育てられる。この世に存在しないものとして。


 しかし、実際に魔女が村に何かを求めたことなどなかった。ただ、そう言われていただけで。

 魔女が求めたのは、助けだった。そして、母は死んだ。

 魔女を匿った罪の象徴として、茨の王冠を額に回し、見世物台に続く高い木の階段を登っていく。


「お母さん」


 幼いキラは、母に近づこうと走り出していた。あんな王冠、取ってあげなくちゃ。ほら、おでこから血が出てる。あんな王冠を被るから、みんなにいじめられるんだ。

 しかし、その一歩後には、体が空中にあった。

「あれは、母ではない。容姿に騙されるな。あれは、魔女だ」

 父の声はキラの世界を完全に凍らせた。屈強な腕の中、手足をいくら動かしても逃げられなかった。

 火が放たれる。

 母の最期は微笑みだった。


 しかし、火の中の母の口がもう一度動いた。


「容姿に騙されるな、あれは魔女だ」


 違う。魔女なんかじゃ……。


 照りつける太陽の下、キラは目を覚ました。夜遅くまで賑わっていた一階の酒場ももうすっかり灯を落としているようで、しんとしていた。そして、その二階。キラがまだ便利屋見習いだった頃に使っていた部屋がある。まったく変わっていなかった。

 その部屋にある扉の真正面に位置する窓辺にもたれかかったまま眠ってしまったようだ。じっとりと汗を掻いたシャツが気持ち悪く肌に貼り付いている。だから、火あぶりの夢など見たのだ。


 母は、キラの本当の母ではない。キラは父が外に作った子だと言われていた。

 しかし、実子であった姉と区別された覚えもない。そんな母が魔女であるわけがなかった。

 放っておくと、またぼんやり夢と現実を彷徨い始める頭を振って、ふと違和感を覚えた。慌てて自分の右上腕をめくり上げる。

 そこにあったはずの傷が、ないのだ。過去を思い出す度に疼いていた、あの悪魔の呪いの傷が。

 自然とベッドで眠るワカバに視線が動いた。


 あいつが、治したのか?


 立ち上がりワカバに近づく。額に乗せてあった布は乾ききっている。相変わらずの熱だ。それに、息も浅い。

 医者になどかかれるはずもなかった。

 リディアスは、魔女を狩る国。だから、母もディアトーラでは守りきれなかった。いくら、父でも。

 もう一度右上腕を擦る。


 そこは、昨夜、ワカバに掴まれた場所だった。振り切れば良いのに、キラは彼女のおぼつかない足音を振り切ることが出来なかったのだ。

 キング邸を裸足で追いかけてくる音。

 峠道で離れて、小さくなっていく音。

 そして、町へと戻る石畳で再び近づいてくる音に、足を止めてしまった。

『来るな』と一言言えば、来なかったかもしれない。足を速めれば、きっと綺麗に撒けていた。

 時を動かすのは、いつもワカバの方だった。


「それ……」


 その声と同時に、ワカバがキラの腕を掴んだ。そして、信じられないくらいに腕が熱くなった。

「痛い……」

 ふと顔を上げたワカバの表情は、言葉に反して穏やかだった。そして、わずかに首を傾げた後、倒れ込んできた。

 そんな状況なのに、キラはワカバを避けようとしてしまったのだ。

 触れたくない、近寄ってくれるな。

 それなのに、振り切れない。


 ワカバが地面に落ちる前、すんでの所で、キラはやっと彼女を支えた。

『痛い』は何を指していたのだろう。抑揚のないワカバの言葉が誰に向けられたのかは、分からない。だけど、支えた彼女は、腕に感じた熱よりもずっと熱く、放っておける状態ではなくなっていた。


 いや、放って置けば良かったのだ。


 階段が軋む音が聞こえた。ここの住人であるマーサかガーシュが昇ってくるのだろう。彼らもかつてキラを拾った恩人であり、便利屋としてのイロハを教えてくれ、ジャックになることを反対してくれた人達だ。

 そして、そんな人達の元へ、厄介事の塊である魔女を連れてくるしかなかった自分に呆れるしかなかった。キラに頼れる者たちは、彼らしかいなかったのだ。

 しかも、頼って良い相手ではなかった。

「開けているから」

 キラは扉の外にいる相手に対し、敵意がないことを伝えた。

「元気そうで何よりね、窓くらい開ければいいじゃない」

 扉が開いた先には、マーサが立っていた。


 マーサは十一年前の魔女狩りで親友だったジャックをひとり亡くしている。

 この魔女、ワカバが捕らえられたあの魔女狩りだ。

 ときわの森の奥深くにある魔女の村に先陣を切ったのは、リディアスが集めた傭兵部隊だった。そして、それを指揮し、第二陣でその村に入ったのが、ラルー。そして、先陣唯一の生き残りがシガラスだ。

 だから、彼らのひとりであるマーサにワカバを預けようと思った時点で、キラの思考が限界だったのだろう。


「ガーシュは?」


 だから、キラはもう一人の住人、酒場の主人兼クイーンをしているガーシュの名を出してしまった。

「あんた、よっぽど疲れてるんだね」

 キラの第一声にマーサが顰笑した。その言葉でやっと自分の失態に気付いた。これじゃあ、マーサに会いたくなかったことが丸分かりだ。

「まぁ、いいわ。言い訳くらいは聞いてあげる」

 しかし、キラは「ごめん」とだけ続ける。

 昔、シガラスが言った言葉に、マーサが続けたことだ。

『言葉の裏側を疑え』

『だけど、策に溺れるくらいなら相手に流されなさい。そうすれば、どうすれば生きる道があるのかを思い描けるようになる。あんたはいつでも流されないように踏み止まろうとする』


 シガラスの言葉もマーサの言葉も、今では同じ意味を持つのだということを、キラは知っている。

 マーサは言い訳を聞きたいわけじゃない。そして、キラは言い訳を言いたいわけじゃない。そして、マーサの性格も知っている。

「ワカバって名前らしい」

 マーサに魔女の名前を教えることがとても卑怯なことも知っていた。

 キラはマーサの親友の名前は知らない。だからどこまで行っても名前のない誰か、他人事なのだ。


 しかし、夢を見たひとりだということは知っていた。

 ガーシュに言わせれば、身の程を知らずに太陽の下に出てきてしまった雨に浮かれた蚯蚓。

 そのジャックが見た夢を、マーサは大切に思っている。だから、マーサの中で『魔女』が『ワカバ』に変われば、キラの要求はわずかな光を帯びることを、キラは知っていたのだ。

「名前なんて聞いてない」

「だけど、まだ生きてる」

 キラは出来るだけ穏やかを保つ。穏やか……いや、諦めなのだろうか。キラはどこか結果をマーサに委ねているのだ。これも、卑怯なやり方だ。


 マーサの視線はキラに固定されていた。まだワカバを見ようとしない。

「生きてる? 死神家業のあんたが言う台詞?」

「熱がある。息も浅い。放っておけば死ぬだけだ」

 そこまで言って、キラはワカバに視線を動かした。ぐったりしているのは、先程から変わらない。マーサに伝えた言葉は、確かな真実なのだ。


 放っておけば死ぬ。


「それまで預かってくれるだけでもいい」

 そして、マーサを見つめた。マーサの視線が動く。ワカバの方へと。

「あんなもの……預かれない」

「死体になれば、おれが後始末をする。あいつを殺す依頼はおれにない」

「じゃあ、今すぐ依頼してあげる」

 これは、単なる言い合いだ。マーサがワカバに視線を動かした時に、マーサの答えは決まっていたのだから。キラは沈黙を保つ。マーサがワカバへと一歩近づく。マーサだってかつては冷静なジャックとしてガーシュの元にいたことがあるのだ。キラの言動の意味くらい分かっているだろう。


「……」


 沈黙の後、マーサが完全に負けてくれた。マーサはクイーンではないのだ。

「面の割れたジャックがどうなるのかは、分かっているね」

「あぁ」

「それが、あの子にも当てはまっているということも、知っているね」

「あぁ、もちろん知ってる」

 マーサがワカバの手を両手で握る。まるで、彼女に赦しを請うように、その手を額に当てる。

「出て行ってちょうだい。着替えさせるわ。こんなんじゃ、治るのも治らない」

 マーサの言葉に、返す言葉はなかった。


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