第3話

 大樹タイキはとてもじゃないけど、女性にモテるような風貌ふうぼうではないと思う。


 上背うわぜいは確かに、昔からずうっと高いけれど、姿勢が悪くて暗い印象だし、運動はこれっぽっちもしていないので線は細い。腰周りなどは私よりも細いかもしれない。中学校の頃から掛けている角張った眼鏡の奥の目はどうにも頼りないし、髪だって伸ばしっぱなしで真っ黒だ。ときどきヒカリが美容室を紹介しては小ざっぱりして帰ってくるのだけど、一ヶ月とたない。


 頭は昔から良かったけどそれだけで、最近の流行はやりの洋服がどうだとか、この漫画が面白いだとかの気のいた会話もできない。本をしこたま読んでいるから知識は多いし、特に理科の知識には明るく、昔はそれこそ道に咲く花の名前や夜空の星座の名前を教えてくれたものだが、そんなことに詳しくても世の女の子たちは喜ばないのだ。そんなことより、カワイくてお洒落なカフェの名前を教えてくれる人の方がよっぽど魅力的に思う子が大半だろう。いわゆる非モテというやつである。


 そんな大樹タイキだけど、中学生の頃から今に至るまで、ずうっと続けていることがある。郊外にある児童養護施設『たいようのいえ』のお手伝いだ。お父さんの友人が管理しているそこは常に人手が足りないらしく、お父さんの伝手で大樹タイキに話が来た。大樹タイキは嫌な顔ひとつせず、それを承諾しょうだくして、電車を乗り継いで毎週末『たいようのいえ』に行っては、子どもたちの先生兼遊び役として働いている。私も時々、暇を見ては着いていって、先生方に挨拶くらいはするようにしている。


 もう十年近く通い続けている大樹タイキは、子どもたちから長いこと「ハカセ」と呼ばれている。人気のアニメに出てくる博士風のキャラクターに見た目が似ているのと、勉強が得意で教えてくれるから、ということらしい。


「もうすぐ院生になるし、できることなら本当に『ハカセ』になれたらいいけどね。そしたらみんなにも、ちゃんとハカセって名乗れるのになあ。」


 手元の本から目を離さず、ぼんやりした口調でそう笑っていたことを思い出す。理学部で有機化学について勉強している大樹は、博士課程に進みたいと以前から話していた。その場合、院の卒業まではまだまだ時間がかかる。修士で二年、博士後期課程なら最短であと三年。少なくとも五年は大学にいることになる。風子フウコさんは、ちょっとそのことが不満みたいだった。


風子フウコさんはもう内定あるから。来年には就職してることを考えると、僕がドクターに進んだら、相当待たせることになっちゃうんだよね」


 こともなげに続ける。

 この人はそういう人だ。自分のやりたいことと、近しい人間の希望や期待を天秤てんびんにかけた時に、こともなく後者にかたむくことができる。


 毎週末、『たいようのいえ』のボランティアに行くために、本当は入りたかった高校の化学部に入らなかったのも知ってる。学部の友人に、アカペラサークルへ誘われていたのに、それを断ったのも知ってる。最近は就活情報サイトをブックマークしていることも、知ってる。施設の子たちが楽しみにしてるから、と言うのと同じように、風子フウコさんを待たせないようにしたいから、と言う。


「フーコって、ゲームのキャラクターみたいな名前だよね。どうぶつの森に、そんなキャラいなかったっけ。」


 私はそんな大樹がどうしようもなく面白くなくて、そんなことを言った。風子フウコさんの都合で大樹タイキと付き合ったのに、なんで大樹タイキの夢が犠牲になるんだろう、と思った。

 古臭い名前だよね、なんて、少しとげのある声で言ってみたら、大樹タイキは本から目を上げてこっちを見ていた。すごく遠くにいるような大樹タイキの目が、頼りない眼鏡の奥の目が、怖かった。


ヒカリ。前にも言ったかもしれないけど、誰かの名前をそんな風に言うのは良くないよ」


 怒ってはいない、けれど固い声だった。

 何度も聞いたことがある。

 兄として、年長者として、私が正しい方向に進んでほしいと願う声だった。


 さとされてしまった。

 この人にとって私は、怒りや不満をぶつけたりする対象ではないんだと思うと、目の奥がカッと熱くなった。


大樹タイキはそればっかりだね。つまんない」


 自分が情けなくて、恥ずかしくて、大声を出して、リビングから出て行った。本当はこのあと、大樹タイキと洋服を観に行こうと誘うつもりだったのに、台無しだ。去り際にも、大樹タイキの顔は見れなかった。

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