バタークッキー

purike

バタークッキー

 彼女のノートはいつもうさぎの落書きばかりだった。

 何度注意されてもその手癖は直らなかった。

 私はそれが羨ましかった。


 いつも喫茶店で私はブレンドコーヒーを頼む。常連になりきれない頻度で通うそこは大学からの帰り道に建っていた。案内された席にひっそりと座り、インターン先からのメールを返しながらスマホを眺めて1時間半ほど、お会計をして帰路に就く。その喫茶店が気に入っていたわけではなかった。大学帰りに喫茶店に寄るという行為がしたいだけだった。そうすれば格好がつくと思っていたから。コーヒーは苦くて酸っぱくて、飲み終えると頭痛がした。

 毎日ヘアアイロンで伸ばして固める前髪も、ビューラーでくるりと上げた睫毛も、頬に乗せたファンデーションだって、私にとって大人になるための強固な鎧でしかなかった。


 久しぶりに帰った故郷は、変わらないようでいて細々とした変化に塗れていた。近所のスーパーはドラッグストアに差し替わっていて、通っていた公民館は閉館していた。それでも都会の差し迫るようなビル群に比べて、息がしやすいように思えた。

 彼女とすれ違うまでは。

 無造作に纏めた髪と化粧気のない顔は、成人式で会った時からずいぶんと角が取れていたが、一目で彼女だと判った。その手には小さな小さな手が結ばれていて、よちよちとゆっくりとした歩みを進めていた。

 私は彼女に気付いて一歩も動けなくなった。俯いたまま立ち止まる私を、ふくふくとした顔がすれ違いざま不思議そうに見上げた。私はその純粋無垢な顔にぎこちない笑顔を寄越して見送った。

 通り過ぎると途端に足が動いた。早く家に帰りたかった。

 彼女は私に気付くことはなかった。

 私は彼女のことをずっと羨望していた。私は彼女のことをずっと憧憬していた。

 大人になることは彼女に近付くことだった。

 早く早く動かした足で帰宅すると、キッチンに駆け込んだ。

 バターと砂糖と小麦粉とボウル、一気に取り出して並べる。

 バター150gをクリーム状になるまで捏ね、砂糖大さじ2.5を加えて混ぜる。そこに小麦粉を大さじ6と小さじ2を加え、揉むように混ぜ続けてまとめていく。

 むしゃくしゃするといつもバタークッキーを焼いていた。心を全て混ぜ込むように、ひたすらに捏ねて揉んでまとめていく。

 まとまった生地を丸め、包丁で幅5mm程度に切っていく。アルミホイルに適当に並べて200度のトースターで3~4分焼いて焼き色が付いたら出来上がり。

 晴れない気分をバターに乗せて、溶かして食べてしまえばひとまず心は落ち着くのだ。

「私、あなたに憧れていたの!」

「ありがとう、私もよ!」

 そうして爽やかに笑い合う、そんな綺麗な結末があったら良いのに。

 うさぎ型に焼いたクッキーを、前歯で真っ二つに噛み砕いた。

 やっぱり彼女は大人に見えた。

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バタークッキー purike @purike

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