こどものあそび(すこしふしぎ文学)
島崎町
こどものあそび(すこしふしぎ文学)
ふたりの娘は宝物だ。
6歳のマチと4歳のミッチ。ふたりが遊ぶ姿をながめていると、たとえようのない感情が沸きあがってくる。
今年、マチは小学生になった。妻は仕事に出て、在宅勤務のわたしがミッチの面倒を見る。マチが小学校に行っているあいだ、ミッチはひとりでさびしそうだ。
午後、いきおいよくドアが開きマチが帰宅すると、ミッチはテケテケ駆けていってマチに抱きつく。お姉ちゃんが大好きなのだ。
マチが帰ってくるとふたりは遊びはじめる。ミッチの面倒から解放されたわたしは、ようやく仕事に本腰を入れられる。
ふたりの遊びは単純だ。おままごとやお話ゲーム(架空の物語をふたりで作っていく)。ドアの開いたこども部屋からかわいいやりとりが聞こえてくると、わたしは仕事のつかれから解放される。
ところで昨日、ふたりの声がしばらくしていないことに気がついた。つかれて寝てしまったのだろうか。わたしは手を休め、こども部屋に行った。
ドアが閉まっていた。なるほど、だから声が聞こえなかったのか。ドアの前まで行くと声が聞こえる。ヒソヒソとささやき声だ。
「計画は第2フェーズに入ったの」
「ふぇいず?」
「すごいことがおきるんだよ」
「ふえー!」
なんの「ごっこあそび」をしているのだろう? 妙におとなびた言葉を使う長女に、成長を感じるがすこし不安な気持ちにもなった。
次の日もやはりドアは閉まっていた。
罪悪感を感じつつもドアに耳をあてる。
声は聞こえない。
ガチャっとドアが開いた。
ドアを開け、マチがわたしを見あげている。
「パパ、こっそり聞いてるの?」
「あ、ごめんね、静かだったから」
マチはなにも言わずドアを閉めた。
どうもそれから仕事に手がつかなくなってきた。気にして見てみると、ふたりはときどきヒソヒソなにか話している。そしてわたしの視線に気がつくと、サッと話をやめるのだ。
気にしすぎなのかもしれないが、妻にそのことを言った。
「あなた、自分が6歳や4歳のころって覚えてる?」
「覚えてない」
「わたしは覚えてる。親に隠れてこっそりいろんなことをしたもんよ」
「いろんなことって?」
「ふふふ……」
マチのクラスの、仲のいい親がいる。PTAの草むしりで一緒になったので、世間話のように聞いてみた。
「あー、クラスでこっそりはやってるらしいですよ、こどものあそびですよ」
東郷さんは笑ってこたえてくれた。
「こどものあそび?」
「わたしも気になってね、こども部屋にわざとスマホを忘れて録音してみたんですよ」
「ほお!」
「おとなに知られずに、いろいろ計画してるんですよ」
「なにを、ですか?」
「〈こどものくに〉をつくろうって」
「なんですか、〈こどものくに〉って」
「ごっこ遊びですよ、アハハハ……」
その日から東郷さんと連絡がつかなくなった。
わたしはもっとくわしい話を聞きたかった。あるいは新しい録音の内容を。
一ヶ月後、PTAの役員会で東郷さんをつかまえた。
「もう大変でしたよ。録音がバレちゃって娘にスマホ壊されましてねえ。泣かれるわ妻には怒られるわで、いま家ではスマホ禁止、電源切ってるんです、トホホですよ。それより江井先生への抗議文、署名お願いしますね」
家に帰り、夕食時に聞いてみた。
「マチ、東郷シズカちゃん元気?」
「シズカちゃんとはあんまり話してない」
「どうして?」
「わかんない」
そう言って食事をやめ部屋に行ってしまった。
わたしとマチの様子を、妻とミッチが不思議そうにながめている。
「どうしたの?」
妻は心配そうだ。
「ミッチ」
「ほうれんそうきらい」
「じゃあ食べなくていいからさ、シズカちゃんのことなにか知ってる?」
「シズカちゃんはね、じょーほーろーえーしたから、しゅくせいきかんなの」
「なにそれ?」
「わたしチーズすき!」
抗議文がPTAから学校に出され、江井先生は休職に追い込まれた。わたしも抗議文に署名したものの、よかったのだろうか。
こどもたちが学校の空き教室をいつでも自由に使え、そのあいだ教師たちは一切の干渉がゆるされない、江井先生はそんなことは断固反対だと言っていた。江井先生は前時代的で専制的で、昭和の管理教育丸出しだ、などなど過激な抗議文だった。
思えば北北西小学校はこの一年で何人もの先生が辞めるか休職している。もちろん、こどもにいたずらしたという木下などは言語道断、本来なら刑事罰に値するはずだが証拠不十分ということだった。こどもの“たしかな“証言があったにもかかわらずだ。
「もうやめなよ」
妻はあきれていたが、わたしは木下のSNSを知っていて、見てみるといまも更新されていた。しかもすごい量だ。一日何十もの投稿をおこなっている。ほぼすべてが自分は冤罪だという主張だ。
だがのそのなかに、ぽつりぽつりと気になるものがあった。
〈奴等を信じるな〉
〈弱者を装っている〉
〈俺は真実を知ってしまった〉
〈故に濡れ衣を着せられた〉
〈計画は第3フェーズに入っている〉
〈俺達はすでに支配される〉
〈そうとは知らないまま〉
〈影の支配者だ〉
〈建国の日は近い〉
〈こどものくに〉
いま、0歳から投票権を持つ法案が審議中だ。こどもの人権を尊重することはわたしも賛成だが、はたしてこどもたちに政治のことがわかるのだろうか。
だが娘たちはテレビでニュースを見ている。
国会議員がこども参政権を声高に主張している。腕には小さなこどもを抱えている。こどもにとってはなんの話をしているかわからないだろう。右目をウィンクしてかわいい。
うちの娘たちはニュースを聞きながらうんうんうなづいているが、反対派の議員のコメントが流れると一転してむすっとした。
「このひとも、しゅくせいだね」
ミッチが言った。
「ミッチ、そんな言葉つかうんじゃないよ」
思わずわたしは言った。
娘ふたりがわたしを見た。
「パパはこの人に投票しないよね」
するどい目だった。
ニュースがアメリカの野球の話題に変わると、娘たちは部屋にもどっていった。ドアを閉めて。
こども参政権反対派の議員たちは、裏金をつぎつぎ暴露され辞職に追い込まれていった。わたしの住む地域でも、国会議員の補欠選挙が行われることになった。
こども参政権は賛成派、反対派が拮抗しており、この補欠選挙の結果で法案の通る通らないが決まるらしい。
その日、よく晴れた土曜日。娘たちは「あいらんど」に行きたいと朝からごねた。
「行ってもなにも買わないよ」
わたしが言うと、ミッチが見慣れない紙を出してきた。
知らない女の子が書かれた、おもちゃみたいな紙幣だった。
「ダメ、これはまだつかえないの!」
あっという間にマチが引ったくった。
わけがわからないわたしにマチが言った。
「パパ、ないしょにしてね」
「いまのなに?」
「おとなにおしえたってわかったら、わたしたちも“しゅくせい”されちゃうから」
これが第3フェーズなのだろうか。こどもたちはもう独自の通貨すら準備しているのか? こどもたちを連れ「あいらんど」へ歩きながら、疑問や妄想はふくらみつづけた。
先週、木下のSNSは凍結された。彼は第4フェーズの情報を得たらしいが、結局明かされないままになってしまった。本当にやばいのは第5フェーズだとも書いてあった。そうなったとき、なにが起こるのだろう。
「こどもに自由を!」
大きな声がした。
「こどもは可能性の宝庫です! こどもたちにもっと権利を! こどもたちにすべての力を!」
商店街の真ん中で街頭演説がはじまったらしい。こども参政権賛成派の候補者だ。横にはこどもがいて、手を握りながら演説をしている。
「あいらんど」へ行くにはその前を通らないと行けない。
「おはようございます」
声をかけられふり向くと、東郷さんだった。娘のシズカちゃんもいっしょだ。
「まいりましたよ、シズカが『あいらんど』行きたいって言うから土曜の午前からお散歩ですよ、ハハハ……」
東郷さんの手をにぎり、シズカちゃんはなにも言わず立っている。そうして右目をぱちくりウィンクした。
マチとミッチもシズカちゃんを見て、マネしてウィンクした。かわいいこどものやりとりだ。
もうひとり、知ってる親も近づいてきた。
「うちも『あいらんど』ねだられまして、通りがかったら選挙演説でしょ」
あっという間に候補者のまわりには人が集まり、人垣ができている。集まっているのはいずれも子連れのおとなたちだ。
候補者は声を張り上げる。
「いまこそこどもに参政権が必要なのです! こどもの人口は1500万、与党第一党に迫る票です。こどもたちが選挙にいけば、この国の政治は一夜にして変わります!」
候補者のまわりの人たちは、わたしをふくめみな、集まったというよりは通りがかったふうだった。「あいらんどに行こうね」などと行ってる親子が何組もいる。
おかしい、みんな「あいらんど」に行こうとこどもにねだられて、こうして向かっている。その途中にこども参政権賛成派の候補者がいて……。
わたしは娘たちを見た。マチがウィンクしている。視線の先にはこどもがいて、その子もウィンクを返している。ミッチもだれかにウィンクしている。
見まわすと、こどもたちはみなウィンクをしている。おとなたちが知らない秘密の合図のように、一瞬、視線を交わすとウィンクをする。
なにかが起きている。わたしたちが知らないだけなのだ。
候補者はなおも声をあげる。
「こどもたちには、おとなにはない希望があります。おとなはもういらないのです。これからはこどもの時代なのです!」
そう言って、横にいるこどもの手をふりあげた。キリッとした顔立ちの女の子だった。しかしわたしはその子に見覚えがあった。どこかで見たことがある。
あの顔は……
「紙幣に描いてあった子だ!」
思わず口にしたとき、演説がピタリと止んだ。急にあたりが暗くなったような気がした。太陽が雲間に入ったのか……。
見まわすと、まわりを何重にも囲んだ群衆のなかで、こどもだけがいっせいにわたしを見ていた。
じぃっと視線を一直線に、刺すようにわたしを見ている。
背中に氷を入れられたような、気味の悪い冷たさが襲った。わたしをにらむ目からは、感情が読み取れない。
金縛りにあったように、わたしは動けなかった。まずいことを言ってしまった。
マチがわたしの手にふれた。見ると、悲しそうな顔をしている。
ミッチが言った。
「しゅくせいされちゃうね」
止まった時間が動き出すように、また演説がはじまった。雲が流れ、日差しが戻ってきた。
まわりのこどもたちはもうわたしを見ていない。いつもの親子づれにもどっている。
だけどわたしの冷や汗は止まらない。
「『あいらんど』行こうか……」
震える口からなんとか言葉を出して、マチとミッチを連れて歩き出す。
うしろから、ぞろぞろと親子連れがついてくる。おとなの顔はむじゃきだが、こどもたちの顔はそうじゃない。
わたしを狙っている。秘密を知ってしまったおとなのわたしを。
こどもたちはウィンクして、なにか合図を送っているようだ。すれ違うこども、道の向こうを歩くこども。ウィンクがどんどん伝わっていく。
わたしが向かう方へ、先回りして情報が流れていく。
第4フェーズにもう入っているのだろうか。〈こどものくに〉の完成は間近だ。そのときわたしは、わたしたちおとなは、どうなってしまうのだろう。
「あいらんど」前の信号まで来た。赤信号で待つ。道路を車が猛スピードで走っていく。
うしろから、こどもたちの気配を感じる。おとなはこどもの言うがままやってきた。だがこどもたちはじっとわたしの背中を見つめている。
わたしの両腕をしっかり押さえていたミチとマッチが、手を離した。
いまわたしは、おどろくほど不安で孤立したまま立っている。わたしを守ってくれるものはなにもない。弱くあわれな、ひとりのおとなだ。
背後からなにかが近づいてきて、わたしの背中をいま押した。
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