第2話 悪魔

 「それにしても寒いな……」


 死人が敷き詰められていたのは洞窟の最奥部だけだったようだ。

 後は冷たい黒い土がや氷のような岩が続いている。

 視界と若い体は手に入れたが、身に着けるものは何もない。

 湿った冷気が足元からジワジワと体を蝕んでいく。

 わざとらしい程に体が震える。


「ん? なんだおまえ? ――ってぇっな!」

「シシシッシシシシシシッ……」


 岩陰から小男が現れた。

 全身が白い毛で覆われている。

 唯一顔だけには毛が生えておらず、灰色の皺深い顔が露出している。

 変な奴だ。

 そう思いつつ声をかけると、その小男は唐突に飛び掛かってきた。

 とっさに腕を上げ攻撃を防ぐが、その衝撃にひっくり返りそうになる。

 体は小さいが、勢いがある。

 腕が熱い。

 温かな液体が、滲み滴り落ちてくるのを感じる。

 これは……俺の血か。

 小男に引っ掻かれたようだ。

 意外に爪が鋭く、皮膚がえぐり取られたようになっている。

 次第に焼けた鉄を押し当てられたような痛みを感じてくる。

 人が社交的に声をかけてやったというのに……腹が立つ。

 歯をむき出し、威嚇するようにこちらを見ている小男へ飛び掛かるが、跳ねるように逃げられる。

 

「シシシッ」

「うるせぇよ。逃げるな、食ってやる」


 傷口は熱いのに、体はむしろ冷えていく。

 不快だ。

 小男を睨みつけ、腕の傷を食う。

 もう一方の手で傷を負った場所を撫でると生暖かい血のぬめりを感じる。

 だが、傷はもうない。


「これでよし。さぁさぁ――」

「シシ……」


 気を取り直し小男に近づいていく。

 よく見ると頭に小さなコブのようなものが見える。

 いや、あれは……角か。

 ああ、そうか、あれは小鬼だな。

 思い出してきた。

 俺が近づくとその分小鬼は後ずさる。

 警戒されているようだ。


「おい、さっきの勢いはどうした? お前から仕掛けてきたんだろうが。かかって来いよ、なぁ?」

「シシッ……シシシシシッ!」

 

 小鬼は俺の歩みに合わせ、じわりじわりと後ずさっていく。

 一歩下がるたびに首を左右に振り、そのたびに余った顔の皮がぶるぶると醜く揺れる。

 そんなつもりは無いだろうが、なんだか馬鹿にされているような気がして、腹が立ってくる。

 そうしてジワジワと壁まであと一歩というところ、小鬼は重心をぐっと落とすと、その場でふわりと飛び上がる。

 恐ろしく身軽だ。

 足の裏にまで毛が生えてるのが見える。

 気色悪いな。

 そのまま背後の壁を強く蹴ったかとおもうと、無防備に近づく俺へ飛び掛かってくる。

 顔を突き出し大きく口を開け、ただでさえ皺の多い顔がさらにくしゃくしゃになる。

 むき出しになった不揃いな歯は実に汚らしい。

 今度はあの歯で噛みついてくるつもりのようだ。

 おぞましい――が、それは好都合だ。


「ほれ、つかまえたぞ!」

「シシッ――――!」

 

 小鬼は予想通り俺の首筋へと、深く噛みついてきた。

 おれはそのまま小鬼の背中に手を回し、毛を握り込むようにして、その小さな体を締め付ける。

 小鬼は声にならない悲鳴をあげ口を離す。

 首筋の血管が傷ついたのか、馬鹿みたいに血が出る。

 小鬼は俺の血を浴び、白い毛を真っ赤に染めていく。


「ちょうど腹が減ってたんだ。いいところに出てきたなお前――」


 小鬼は体をのけぞらし、小刻みに震わせている。

 このまま背骨をへし折ることもできるだろうが、もうその必要もない。

 小鬼の身体には、俺や俺の血が触れた部分から、黒い影が草木の根のように枝分かれし、ジュクジュクと全身覆うように走っていく。

 こいつは実に食いやすい。

 俺自身よりもずっと簡単に食えるな。


「よしよし、俺の血肉となってくれ」


 あっという間に小鬼はその輪郭を無くしていく。

 俺の身体にはもう一切の傷はない。

 腕の力を緩めると、麦藁の詰まった枕でも落としたかのような軽い音をたて、黒いかたまりが洞窟の地面へと転がる。

 俺の体には赤黒く染まった小鬼の毛がべっとりとへばりついている。

 熱い風呂に入りたい。


「しかし……なんか変だな。傭兵やってた頃、こんなことできたかなぁ……? 焼いて食ったことはあったが……う~ん、なんかおかしいなぁ」


 いや――、これは明らかにおかしいぞ。

 そもそも食い物は口で食うものだ。

 だが俺は別に小鬼を口に入れたわけじゃない。

 では俺のやっていることは……、いったいなんなんだ?

 いや、これもやはり食事としか言いようがない。

 直観的にそう感じる。

 どうやら俺の中に何かがいて、そいつが食いにいってるのだが――そいつもやっぱり俺なんだよなぁ。


「ま、いっか」


 そんなことより早く外へ出たい。

 寒いしな。


「あん? ん~、なんかまだいるな? なんだ、またお前かよぉ……」


 それからも小鬼とは何度も遭遇し、そのたびに襲われた。

 何匹も何匹も――。

 とはいえ結局は同じことの繰り返しだ。

 捕まえて食う。

 それだけだ。

 そうしてたいくさんの小鬼を食っていると、少しだけ自分のやっていることがわかってきた。

 まず俺の中にいる俺について。

 どうやら、こいつは俺の中だけにいる、というわけではないらしい。

 さらに俺の中にいる俺は、それだけで一つの生き物として完結しているわけではないようだ。

 俺の体の外へも、薄く広く――それこそ果てしなく広く繋がっているように感じる。

 妙な感覚だ。

 何しろ食っている相手、小鬼の中にさえ、薄っすらと俺が繋がっているのを感じるのだ。

 しかしそのおかげで、俺は特に考えなくても、いろいろなものを食える。

 ただ触れるだけでいい。

 そうして食っていると、どこか遥か彼方、果てしなく遠くから、全く見たことも無いような記憶がやってくる。

 それがまるで、あたりまえに元々知っていたことのように、俺を通り過ぎていくのだ。

 あまり気持ちの良いものではない。

 知らない記憶が俺を通り過ぎる浴びに、なんだが俺というものが本当に存在しているのかよくわからなくなる。

 だが――、その遥か彼方、見知らぬ記憶のやってくる方向へと意識を集中してみると、なにやら小さな鈴の音のようなものが聞こえてくるのだ。

 シャランシャランと繰り返し何度も。

 その音を言葉として理解することはできない。

 だが、何を言いたいのかは不思議と分かるのだ。

 もっと、いのちをもてあそべ――そう囁きかけてくる。


「そんなことを囁くなんて、まるで――悪魔みたいじゃないか? まぁ、でもしかしなぁ……そんなこと言われても……困るんだよなぁ」


 正直モンスターの命なんてどうでもいい。

 弄ぶもクソもないだろ。

 今はそんなことよりも、腐りかけのチーズが食いたい。

 胸のでかい女を抱きたい。

 酒で喉を焼きたい。

 この寒さから逃れたい。

 

「ただ……この悪魔、食いながら身体を作り替えられるのは便利なんだよな。どうよ?」

「エ……、ア、ァ…………、アアアアアア!」

「――いってぇ! くっそ~……使えねぇなぁ」


 試しに悪魔のささやきに従って、命を弄んでみる。

 襲い掛かってきた二匹の小鬼を一匹の生き物にまとめてみた。

 だが、どうにもうまくいった気がしない。

 背中合わせにくっついた新種のモンスターは二つの口から泡を吹き、しばらく痙攣しているだけだったが、唐突に八本の手足を無茶苦茶に振り回し、俺へと襲い掛かってきた。

 慌てて捕まえ、食い殺す。


「弄ぶのは良いが、コントロールできないってのは……こんなの意味あるのかねぇ。う~ん、自分の傷を一瞬で治せるのは便利なんだがなぁ……」


 さっきまで当たり前のことのように感じていたが、よく考えると傷があんなふうに治ることなんてありえない。

 そもそも傷を食うというのも、よくわからん話だ。

 一瞬で傷が塞がっていき、まるで何事も無かったかのように元通り。

 傷跡すら残らない。

 普通、そんなことはありえない……気がする。

 さらに俺の中の悪魔は、ただ治すだけでなく、俺自身の身体も作り替えることができるようだ。


「ただ……、もう、あまり自分の体はいじりたくないな」


 今ではよくわかるのだ。

 体と記憶、そして俺が俺であるという確信は、本当にギリギリのところで、何とか保っている状態にある。

 そもそも、心と体はそう簡単に切り離せるようなものじゃあない。

 多分、俺の体をこれ以上変えてしまうと、もう俺は俺じゃいられなくなるだろう。

 そして一度進むと、後戻りはできない。

 ついさっき、安易に若い頃の体を手に入れはしたが、それだって時間を巻き戻せたわけでは無い。

 ただ、別の方向へと無理やり進んだのだ。

 その証拠に、俺の心はひずみ、少し壊れた。

 老いた俺の記憶は深く混濁し、体に穴の開いたような喪失感を感じる。

 この先にあるのは多分、死ぬよりもずっと怖いことなのではないだろうか……。


「ただ結局、俺に何が起きたのか、いまいちわからんのだよな~。どうもにも記憶もぼんやりしてるし、困ったもんだ。そういや俺の名前は――」

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