第7話

 ミイラはすっかりからびているのに、妙に生々しい精気を発していた。神殿の中のすべてのものが無機物なのに対して、ミイラだけが石でも宝石でもないからだろう。


 しかし、それだけだろうか?……ハンはしばらくの間ミイラを見つめ、「お前は何者だ?」「お前が心臓か?」と問いかけた。


 しかし、ミイラは何も応えない。生々しさはあっても戦士のような気迫はなかった。そんな存在が、神々の力を司る者や力の根源などであるはずがない。


「結局、お飾りか……」


 ミイラが無意味な存在だと確信してから、ハンは改めて部屋の中を見回した。

 祭壇を降りて、壁の周囲を調べて回る。部屋の中央からでは松明の明かりが届かなかったからだ。その部屋の壁もただ黒く輝くだけで意味のあるレリーフや扉は無かった。ハンは壁の方々に手を触れて、隠し扉のような仕掛けがないものかと調べて回ったが、それらしいものはなかった。


 天井を見上げた時、松明の明かりが弱まっているのを感じ、予備の松明に火を移した。


 松明が二つになっても、無限に高いのか、天井には光が届かない。


 あの先に何かがあるような気がするのだが……。それとも、ここではないのか?……ハンは額に手を当てて思考を巡らせながら再び祭壇に戻った。少しでも高いところから天井を見上げてみようと思った。


 白い石の祭壇に上り、二本の松明を掲げた。それでも、ハンの目は漆黒の闇以外のものを見ることができなかった。


 のだ。……ハンは確信した。その無限の空間こそ、神が存在する証拠なのだろう。


「神よ、そこにいるのだろう?……応えてくれ!」


 声が無限の闇に吸い込まれていく。


「神よ……」


 ハンは何ども呼び、光の届かない闇を見つめて神の返事を待った。


 最初の松明の明かりが消える。闇が濃くなる。神の声はなく、ハンの希望はしぼんだ。


 消えた松明を石のテーブルにおいて溜息が作る白い塊が沈むのを見た。凍えた水蒸気の塊が割れていく……。


「ムッ……」そこに黒い石があることに気づいた。それはテーブルや壁の石と同じ黒曜石で、赤子の頭ほどの大きさだった。同じ素材なので、それまで気づかなかったのだ。


 腰をかがめて顔を近づけて見る。何故、変哲もない石がここにあるのだろう?……膝を折り、更に目を近づけて観察した。


 低い位置から石の側面に目を走らせた時、ミイラと目が合った。……そこには、あるはずのない瞳があった。落ち込んだ頭蓋骨の奥で鋭い輝きを放ち、ハンを射抜くように見つめている。


 ハンは驚き飛びのいた。腰の刀を抜き、ミイラの次の動きに備えた。


 しかし、ミイラは立ち上がることもなければ語ることもなく、ハンに向かって視線を上げることもない。


 いつの間にか息を止めていた。苦しくなって緊張を解いた。


 ――ハァ、ハァ、ハァ――


 ハンは乱れた呼吸を整えた。ミイラをよく見ると、黒く落ち込んだ眼の奥に輝く瞳が見えない。


「力のないミイラよ。おまえのは何なのだ?」


 前にしたように恐る恐るテーブルに近づいてミイラの顔を覗き込んだ。そうしてみると、再びミイラの視線をとらえることができた。


 黒曜石を見みているのだ。……ハンは、その視線がミイラの生々しい精気の正体だと感じた。ミイラと視線が合った時、自分を見ていると思ったのは勘違だった。


「おまえは、この石を見ているのだな?」


 ハンはミイラに同意を求めるようにして、自分の推測を確認した。


 テーブルの中央で光り輝く長方形の黒曜石。神の像と言われるミイラが執着するそれは紛れもなく神の心臓に違いない。


 ハンは松明をテーブルに置き、恐る恐る黒曜石を両手で取り上げた。大きさの割には軽く、盗賊から宝を守るトラップもなかった。


「これが〝神の心臓〟……」


 マジマジと観察する。それからミイラに目をやった。それは恨み言を口にすることもなかった。


「ヨシッ……!」


 ハンは、神と対峙する決心をすると、黒曜石を小脇に抱え、松明を取って神殿の出口に向かって走った。


 あとは太陽が昇り、神殿の扉が開くのを待つだけだ!……心の中で歓喜の叫びを上げる。その勢いで、これから迫るかもしれない天罰に対する恐怖を振り払った。


 朝日が姿を見せるまで神殿の扉が開かないことは分かっている。それならば、好奇心を満たすのも悪くはない。……ハンは、片足を引きずって走りながら、まだ見ていない部屋に立ち寄ろうと思った。それは動物のレリーフの部屋の左側の扉の向こうにあるはずだ。


 ところが、動物のレリーフの部屋に入ったところで神殿の異変に気づいた。神殿全体が悲しく泣くような音を出しているのだ。


 ――オーン、オーン……――


 神が泣いているのか? やはりトラップがあったのだろう。好奇心を満たす余裕はなさそうだ。……ハンは、考えた。


 動かない足を懸命に引きずって走った。時々振り返っては、後ろに迫る広大な暗闇の中に追手を見ようとした。


 出口は近いが、日の出前に出られるだろうか?……出口が近づくほどに、不安が増した。


 神殿を出るために日の出を待つ必要はなかった。神殿はゆっくりと壊れだしていて、出口に達した時には、扉は形を失って砂山と化していた。


「俺はついている」


 砂山に飛びついて、上り始めてから誤りに気づいた。砂に足が沈み、あるいは滑り、アリ地獄に落ちたアリのように砂山を上れない。


「クソッ!」


 黒曜石と松明を砂山の向こう側に放り投げ、両手両足を使って泳ぐように砂山を上った。


 必死に手足を動かしていただきに達する。ホッと胸をなでおろしたとき、妖しい気配を感じて振り返った。


 目にしたのは広大なホールが崩れ落ちる瞬間だった。神殿が崩れ落ちる音は、砂がさらさらと流れ落ちるものだったが、そのことで形を失った空洞が膨大な空気をゲップのように吐き出した。まるで砂嵐だ。


「ヤバイ!」


 ハンは松明に向かって、砂山を転げ落ちて逃げた。


 大量の砂が降り注いでくる。松明を手にした両手で頭をかばい、風がおさまるのを待った。


 砂に薄っすらと埋もれたが、そこから顔を出すのは何でもなかった。大変なのはそれからだった。


〝神の心臓〟が見当たらない。ハンは砂に手を突っ込んで、必死で捜した。


 膨大な砂が流れ落ちる歪みは地響きを伴い、神殿の周囲に住む神官たちを夢の国から現実へ引き戻した。彼らは家を飛び出して暗闇にそびえる白い影を見た。神殿は形を失い、巨大な砂山と化していたのだ。その影の中から、ほのかに赤い光の塊が表れ、ゆらゆらと揺れて東の森の中へ遠ざかっていくのを見た。


「神が旅立っていく」


 一人の神官が嘆いた。その声を聞いた者たちは、へなへなと座り込んだ。


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