第6話
その部屋は、今まで見てきた部屋の中で一番広い部屋だった。しかし、天井は今までのどの部屋よりも低く、その上に別な部屋があることを想像させた。
壁に描かれているのは男と女と子供たちの姿だ。腰を曲げた老人の姿もある。裸の人間もいればハンと同じような半裸の人物もいる。全身を大きな衣装で包んでいる女もいれば、体にぴったりと張り付いた衣装の人物もいる。畑を耕す者がいれば狩りをする男、遊び戯れる大人や子供の姿もあった。
人の顔かたちや表情も様々で、丸顔ののっぺりした顔があるかと思えば、彫りが深く長い顔もある。笑顔があれば泣き顔もあり、怒る顔、憂える顔もあった。
ハンは、そこが生身の人間の部屋なのだと思った。人間は神の部屋の下で喜び、悲しみ、怒って生きているのだ。
描かれた一人一人の人間を見て歩く。その中には亡くなった父や妻に似た顔もあって、胸の中でハンの分身が泣いた。
レリーフにある人間の生活の様を見ると、自分は間違ったことをしようとしているのかもしれないと、少しだけ決意が揺らいだ。目の前のそれは、あまりにも
ハンは迷いながら歩き、最後に部屋の中央に立って天井を見上げた。
そこにはレリーフも星も幾何学模様も、何もなかった。神は人の上にいるが、人とのかかわりを絶っている。そう思った。そして気づいた。それまで抱いていた神の怒りに触れるという不安が消えていることに。抱えているのは、神というナニカに対する好奇心だけだ。
その部屋にはもう一つ別の扉があった。入ってきた扉と同じ面だ。
ハンはその扉を開けた。次の部屋に入ると、再び神の軍隊を見た。しかし、前に見たのとは違った。そこに並ぶのは海の軍隊だ。大きな船や小さな船が並んでおり、帆を広げる船があるかと思えば、丸木舟のようなものもある。その形も大きさも様々で、同じものはない。
天井に空飛ぶ人はなく、円形や筒型の武器や複雑な構造を持った機械と星々が描かれていた。
「星々の中にも戦いがあったのか……」
ハンは、眠りにつく前に見上げる星々の瞬きを思い出していた。
部屋を見渡すと、扉は正面に一つと右手の階段の上に一つあった。先に通った神の軍隊の部屋と対称をなしているのだろう。ならば、正面の扉の先には動物のレリーフの部屋があるのに違いない。頭の中で、神殿の間取りを描いた。
ハンは、右手にある階段を上ることに決めた。
長い階段は大きな扉の前に達していた。その扉には幾何学模様が描かれていて、金色に輝く金属の取手がついている。
――フー……大きく深呼吸してから取手に手をかけた。
見かけは重々しい扉も、取手を軽く引くだけで開いた。
目の前に開けた部屋は太陽の真下の草原のような明るい部屋で、集落の広場ほどの広さがあった。暗闇に慣れていたハンは眼を細めた。
ハンは部屋の中心に立つと、ぐるりと見渡した。壁は全面が真っ黒で何も描かれていなかった。天井は、これまで見た部屋の中では一番高く、風と雲と星、そして月と太陽が描かれていた。部屋の明かりは、星と月と太陽がもたらしているようだ。
風は天井に描かれているだけでなく、部屋の中を実際に吹いていた。
「これが真の宇宙の姿なのか?」
ハンは頬に当たる冷たい風に震えた。
扉は、他に二つあった。一つはハンの正面にあり、陸と空の軍隊の部屋につながっているのだとわかる。もう一つの扉は右側の壁にあった。それはひときわ大きな扉だった。その先こそが神の部屋なのだろう。宇宙は神が住む世界の前室に過ぎないのに違いない。
ハンは迷うことなく大きな扉の前に立った。するとそれは、取手に触れるより早くスルスルと音もなく左右に分かれて開いた。まるで己の意志を持って、彼を招き入れようとしているようだ。
神は光が苦手なのかもしれない。その部屋に明かりらしいものはなかった。開いた扉から流れ込む光が内部をぼんやりと照らし、ハンの長い影が部屋の中央まで伸びた。
ハンが足を進めると背後で扉は閉まり、影は足元に帰った。
明かりは松明だけだった。か弱い光は、その部屋全てを照らさない。その広間は小さな村がすっぽり入ると思われるほど広かった。
中央に、人の背丈の倍ほどの高さの白い影がぼんやりと浮かんでいる。
ハンはゆっくりと近づいた。その影は建物と同じ白い石でできた祭壇のようだ。
階段がある。それを慎重に上ると、黒い石造りのテーブルがありその向かい側には肘掛けのついた黒い椅子が据えられていた。
ハンは階段の途中で足を止めた。
これがそうなのか!……話に聞いた人間のミイラが椅子に掛けていた。
闇と緊張の中で、ハンは想像力をたくましくしていた。ミイラの落ちくぼんだ真っ黒な穴の中にある瞳が自分を見ているように思われ、背筋が震えた。忘れていた不安が頭をもたげた。ハンは腰の刀に手をかけた。いつ何時、そのミイラが立ち上がって、襲いかかってくるかもしれない。
ハンは祭壇を上り切り、ミイラの周りをまわって観察する。
もし生きていたなら、自分と同じぐらいの体格だろうか?……手の大きさからそう考えた。その手のそれぞれの指には、それぞれ異なる宝石で飾られた指輪がはめられている。頭には宝石をあしらった
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