一話 出会いと過去 (中)
◆ ◆ ◆ ◇
皇国では奴隷商とは立派な職業の一つ。
この国では奴隷も一つの職業だった。
ルピスを拾い上げたルチルの言葉に偽りはなかった。
それから三日間にわたり、技能、礼儀作法の研修を受けた。
ルチルは思うところがあるのか、ルピスを破格の待遇で受け入れた。
ファトス家にいたころのように生きるために不自由のない生活。
むしろ、余暇の時間が与えられている分だけ、ルピス・ファトスであったころより、ただのルピスの生活環境の方が整っていたのは何という皮肉か。
ファトス家では不自由もなかったが、自由もなかった。
ルピスは三日間の研修を終えると、早々に奴隷として市場に売られることとなった。
奴隷商は奴隷の仕入れ、奴隷の教育、各奴隷に見合った派遣先の調整が仕事。
その収入源は、奴隷の販売と奴隷を必要とする各所からの仲介手数料。
そしてもう一つ、奴隷が奴隷となる隷属の儀の徴収料というものがあった。
青空の下で堂々としたルチルの声が、
『それではこれから新たな奴隷の門出を祝って、隷属の儀を執り行っていきたいと思います!』
魔法で拡散されると、詰めかけた群衆が湧く。
詰めかけた彼らただの町民。
隷属の儀は彼らにとって一番の身近な娯楽だった。
そのため、お金を払ってでも詰めかける。
奴隷商は簡易的に組み上げられた舞台の上で、今回奴隷となる者たちを順番に紹介していく。
総勢十名ほど。中には女性もいるが、総じて若くて逞しい青少年がほとんど。
ルチルが紹介する度に、群衆は歓声や指笛を慣らして盛り上がる。
『――そして最後に紹介するのは、ルピス』
最後に、奴隷商の助手に押される形でルピスが壇上へと上がると、興奮はどよめきに変わった。
それは一人だけ他の奴隷たちと毛並みが違ったからだ。
シミ一つない白い肌、雪のような長く白い髪に、そこからのぞく白い瞳。
物語の妖精で語られてきた妖精のような出で立ち。
『このルピス。聞くも涙、語るも涙――なんと過去のトラウマからこの小さな少年は声が出せません!』
そこから始まったのはルピスが経験したことのない
事前に研修の中でも打ち合わせていたことだが、ルチルの口から語られる起伏豊かな物語へ夢中になった。
体全体、表情全体を使って語られるルピスの物語は聞き手を虜にした。
語り終える頃には、ルチルの声は涙ぐんでいた。
手拭いで目尻を拭く素振りを見せると、群衆もルピスの憐憫の情からすすり泣く者もいた。
「――今日というこの日は、この恵まれない小さな少年の、ルピスの新しい幸せな日々への門出となることでしょう。
しかも、六日後が彼にとって記念すべき七歳の誕生日。今日という日ほど彼の角出に相応しい日はないでしょう!」
ルチルの作り話とも知らず、群衆からは拍手喝采があがった。
既に紹介を終えていた他の奴隷からも万雷の拍手である。
女性の奴隷たちにいたっては号泣していた。
チラッとルチルに視線を送る。
観衆からは手拭いで覆われているその表情も、ルピスの立つ位置からは丸見えだった。
その視線の先では、手拭いの下で悪そうな笑みを浮かべる一人の商人がいた。
奴隷商の商売は、セリにかける前から既に始まっていたようだ。
奴隷の紹介が終わると、奴隷紋の刻印を行う。
これが儀式の中で最も盛り上がる催しであった。
『さぁさぁ、張った張った!』
ルチルの甲高い声が威勢よく青空へ響き渡る。
刻印の儀では奴隷商主催のもとで賭け事が行われていた。
その内容は、誰が一番声を我慢できるか、というものである。
なにせ奴隷紋の刻印は、灼熱の魔力印を素肌に刻むというもの。
痛くないわけがない。それは大の大人であっても泣き叫ぶ痛さ。
それを音の大きさを測定する魔法具で計測し、最も針の振れ幅が小さい者の優勝である。
奴隷たちは奴隷たちで、優勝すると売り上げに準じた褒賞金が貰えるため、こぞってその声を我慢する。
しかし、それでも、
「ぎぃやぁぁあああッ!!」
「ふ、ふぐぅぅううう!!」
痛みの声を押し殺すということは並大抵ではない。
屈強な男でも、経産婦でもその痛みには堪え切れない。
肉の焼ける不快な音が響くたびに、絶叫やうめき声や青空の下に木霊した。
奴隷たちが本気で声を押し殺そうとしても漏れ出す声。苦悶の表情。
それに賭け事の要素も相まって、奴隷商のいる都市では隷属の儀は人気を博していた。
最後はルピスの出番であった。
喋ることができない、というルピスはこの催しに関しては優位性がありそうなものであるが、それでも誰もルピスに賭けるものはいなかった。
痛みで暴れないようにルピスの体が器具に固定されていく。
それを見守る群衆は、それまでとは打って変わって、喪に服したような静けさであった。
ルチルは声を潜めると、
「奴隷紋の場所はどこがいい? 私としては腕か背中がおすすめよ。お腹はなかなか痛いらしいから」
恐怖に震えるルピスができることは、ただ涙目になって、わけもわからずにその首を横に振ることだけだった。
事前に話には聞いていたが、実際に目の前にすると恐怖がこみ上げてくる。
ましてや、自分よりずっと年上の男女が泣き叫ぶ光景を間近で見せられてきたのだ。それが余計に恐怖を駆り立てた。
ルチルはルピスの左腕をさすると、他の奴隷同様にこれから刻印する場所を群衆へと周知する。
それによりシミ一つない華奢な腕に群衆の視線が注がれた。
「ルピス。これさえあれば今後の働き口にはこまらないからね。痛いのは最初だけだから。よかったら布を噛む?」
布を噛むなど声を押し殺す道具の使用は、賭博の不成立を意味する。
しかし、ルチルもルピスにこの賭け事としての価値は一切期待していない。
事実、穴狙いの者でさえも誰もルピスに賭けている者はいなかった。
ルピスはただただ涙を流して震えていた。
ルチルは、小さくため息をつくと手に持った刻印の棒をルピスへと近づける。
――い、いやだ。痛いのは! いやだッ!
迫り来る脅威に本能から体を揺らして遠ざかろうとするルピスだが、固定された四肢はぴくりとも動かない。
迫る魔具を目の前にしてルピスは、ぎゅっと目を瞑るとただ強く願った。
――だれかッ、たすけて……ッ!
群衆は固唾を呑んで儀式を見守っている。
ルチルが手に持つ刻印がルピスの小さな腕にあたった。
ペタリ。
肉の焼ける音はしなかった。
むしろ、ひんやりとした感触がルピスにおとずれた。
ルチルの手にした奴隷紋は、いつの間にかその熱を失っていた。
「あれ? どうしたんだろ? 不具合かな?」
ルチルは刻印を確認すると、再び魔力を流し込む。
再び奴隷紋を刻む刻印が熱を帯び始めた。
「よしよし……。最初は痛いかもしれないけど我慢だよ。いくよ」
――やめてッ……!
今度は恐怖で見開かれた視界。
その視界の外から、何かがルチルの持つ刻印に飛び込んだ。
――え?
目を見張るルピスの腕に、再び刻印を刻む魔具が触れる。
ペタリ。
やはりルチルの手にした魔力刻印の魔具がルピスの体を焼くことはなかった。
それどころか――
「熱ッ!? あっちっちっちッ!」
手にした刻印の棒を取り落とす。
群衆はそれを見てドッと笑い出した。
「いいぞー!」
「奴隷商にも人の心はあったんだなー!」
ルチルの行動を演技だと受け取ったようだ。
刻印の棒を持っていたルチルの手は今や赤く腫れあがっていた。
ルチルはサッと素早く笑顔を作ると、赤くなり震える手を隠すように頭を掻いた。
盛り上がる群衆の中、舞台の脇からルチルの助手が歩み寄る。
「どうかされましたか?」
「……困ったわ。新調した魔法具が暴走したみたい。これ高かったのに……」
「熱印ができないとなると、昔ながらの方法で、奴隷刻印の刻まれた短剣を肌に刺しますか? 必要であれば、すぐにでも道具をお持ちしますが」
「だめよ、この空気でこの子に短剣を刺してみなさい。絶対に反感を買うわ……」
――剣? 刺す? いやだ……やめて……。
「では、どうされますか?」
「どう、って言われてもね……。奴隷紋がないと商売にならないからね。もったいないけど、次に回すしかないわね」
ここでも要らない子扱いされたと感じたルピスは絶望した。
――どれいもん? みんなと同じ、あの印があればいいの? ほしい。ほしい……!
すると、またも視界の外から何かが飛んできた。
それは光だった。
再び突如として飛来した光は、ルピスが驚くより先に左腕へと吸い込まれていった。
何やら話し合っていたルチルと助手の二人であったが、
「あれ……? 彼のこの腕にあるのは、奴隷紋じゃないですか? ちょっと薄いですが」
「え? 変ね……でも、確かにそうね」
ルピスの腕に集まった二人に、
「どうした奴隷商人! いじめの相談かーッ!」
野次が飛ぶと再び群衆が沸いた。
『失礼しました。しかし、信じられません! なんと奇跡が起こりました!
見てくださいこれをッ! 肌を焼くこともせずに奴隷紋が刻印されたではありませんかッ!』
ルチルは手拭いで浮かび上がった刻印をゴシゴシと擦り、それが偽物でないことを証明する。
それを見ていた群衆にどよめきが生まれた。
事前にその肌へ刻印がされていないことは、刻印式の前に群衆もしっかり見ていた。
「ふざけるな! 不正行為だッ!」
賭博に参加していたのだろう。
賭博の引換券を握りしめた男が、顔を唾を飛ばして怒鳴りつけた。
今度は静かなざわめきが群衆に生まれた。
しかし、ルチルは落ち着いていた。
『――では、何でしょう? 声も出せないこの子が不正を働いたと? それとも、この子の泣き叫ぶ姿が見たいのでしょうか?』
ここでルピスの幼い容姿と、ルチルのでっち上げた話が幸いした。
群衆の冷たい視線が刃となって、野次を飛ばした男に注がれた。
それに追い打ちをかけるように、
『お望みとあれば、死なない程度に鞭で叩いていただいても構いません。お気が済むのなら引っ叩いていただいても結構です』
ルピスがルチルの発言に涙を零す。
怖い思いをした器具からせっかく解放されたばかりだというのに。
その瞬間に男へ注がれていた意識が敵意へと変わった。
これまで一緒に隷属の儀を楽しんでいた群衆から男は弾き出された。
野次を飛ばした男を味方するものは誰もいなかった。
「いや、大丈夫、です……」
少なからず同様の気持ちを抱え込んでいた者の意見も封じ込められたのであった。
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