魔法使いは唱えない

@TamagoTamako

一話 出会いと過去 (前)



 ――妖精さん妖精さん。ぼくに力を貸してください。



 夜の帳がおりきった平野。その上で向かい合うのは二人の男女。

 地面を覆いつくす草葉に、宝石のように燦燦と輝く星たちがほのかに色を与えていた。


 手を組んで真摯に祈る少年――ルピスの周囲が光り出す。


 世にも珍しい雪のような白髪がふわりと舞う。

 大地は謡い、風が舞う。彼を照らす陽の光はその輝きを増す。


 赤色と黄色のオッドアイをもつ、長身の赤髪の美女――アセビがそれを見て笑う。


 心底笑うアセビを前に、世界が輝きだす。

「これが出来損ない……? ハハハ、魔法貴族も落ちたものだ」


 女性と見まがうほどの長さをもつルピスの長い髪が淡く発光しだす。


 世界が震えていた。


 魔法使いの歴史が変わる。


 ◆ ◇ ◇ ◇


 陶器の割れる音が貴族の住まう屋敷の居間で鳴り響いた。


「――もう我慢ならんッ! この役立たずの出来損ないがッ!」

 

 その音の発信源はファトス家の当主――ルピスの祖父。

 年齢を感じさせない若々しいその手で、机の上に飾ってあった陶器の花瓶を手が薙ぎ払われたのだ。


 その顔を赤く染め上げた祖父は、

「由緒ある魔法貴族であるファトス家の嫡男ともあろうものが、いつまで経っても言葉一つだせないなど、嘆かわしいッ! それでどうやって魔法を唱えるというのかッ!」

 

 ――ぼくにも魔法がつかえたらな。

 

 物心がついて以来、ルピスがそう思わない日はなかった。


 魔法を生業として国家に貢献する魔法貴族の嫡男として、ルピスは望まれて誕生した。


 優しい眼をした父親が、

『次のこの子の誕生日には家族で星を見に行こう』

 ――うん!

『見て、笑ったわ。この子はもう言葉がわかるのかしら』

 母親が優しそうな笑みを浮かべて指を差し出すと、赤ん坊のルピスがそれを握り込んであどけなく笑う。


 これが最古の記憶。

 まだ誰も何も知らず、ただ家族に愛されて幸せだったころの記憶。


 これまでの人生で、ルピスが星空を見ることはなかった。


 その年に、ルピスが医師により正式に失声症と診断され、ルピスの屋敷での軟禁生活が始まった。

 万が一を恐れて、窓一つない世界でこれまでルピスは育てられてきた。


 今やルピスの存在は屋敷中で忌み嫌われていた。


「そもそもその髪と瞳の色はなんだッ! 気色が悪い!」

 

 ルピスは生まれたときから声が出せず、さらにその髪と瞳は雪のような白色。

 それは両親にも、祖父母を遡っても見られない色であった。


「それは本当に私の孫かッ!?」

「なんてことをッ! 私の不貞を疑われるのですかッ!? これは実家に帰って正式に抗議させて頂きます!」


 祖父に疑うような視線を向けられたルピスの母親は、さっと顔を赤らめるとルピスを置いて居間から立ち去っていく。

 その腕の中には物心がつきはじめた小さな妹を抱きかかえて。


 部屋には祖父とルピス。それと当主である祖父を補佐する執事長だけが残った。


 母親の足音が室内へと聞こえなくなったとき、父親は嘆息して告げる。

「もうよい――お前はこの家に生まれなかったものとする」


 ――ぼくはどうやって生きればいいのだろう。


 ルピスが七歳の誕生日を迎える十日前。

 

 ルピス・ファトスは、ただのルピスになった。

 

 ◆ ◆ ◇ ◇


 曇天の下で、ルピスは町の通りをあてもなく歩く。

 その足の向かう先はルピス本人もわかってなどいない。


「おい坊主! しっかり前を見て歩け!」


 ふらふらとした覚束ない足取りで、ときおり人とぶつかりそうになる。

 ある者には罵声を浴びせられ、ある者は冷たい視線を送られる。


 いったいどこへ行こうというのか。


 自分にそう問うても答えは聞こえてこない。

 

 代わりに響くのは過去の足音。

 幸せだったころの家族との記憶。

 

『この子の将来が楽しみだ』

『これで魔法使いの名家であるファトス家の未来も明るいですわ』


 最後に褒められたのはいつの頃だったか。


 家の期待に応えたかった。家の歴史を守りたかった。


 そして何より――愛して欲しかった。

 

 過去に縋るように町をさまようルピス。


 ぴちょん、と雫がルピスの鼻頭を打った。

 空を見上げると空は重苦しい灰の雲で覆われている。


 一粒が二粒になり、それが数えきれなくなるまでさほど時間はかからなかった。


「きゃあ!」

「急げ急げ!」


 激しさを増す降雨に周囲が慌ただしくなる。

 通りを歩いていた者たちは帰りを待つ場所へ。いるべき居場所へと駆けていく。

 

 先の見えなくなる激しい雨の中、ただ一人ルピスは歩く。

 止まることが怖くて、このまま雨と一緒に自分が流されていきそうで。


 滲む視界の中、雨とは違った熱い雫が頬を流れた気がした。

 それがなんだったかルピスにもわからなかった。ただ無性に胸が苦しかった。

 

 雨を吸った衣服はあっという間に重さを伴い、ルピスの体へとのしかかる。

 それは呪いのようにルピスの体を束縛する。


 それからどれくらい歩いたのだろうか。


 疲労と空腹から、ついにルピスの小さな歩幅が立ち止まる。


 町の通りに居を構える建屋の壁へと肩からもたれ掛かると、背中を預けるように姿勢を変え、ずるりとそのまま壁に背中を預けたまま座り込む。

 疲れと空腹に加え、雨により下着まで塗れた衣服はルピスの体力を奪っていく。

 

 膝を抱え込むように俯くと、

 ――このまま死ぬのかな。


 そんなことが頭をよぎったときだった。


「そんなところでどうしたの?」

 

 その声に反応しておもむろに顔を上げると、

「ぼく、迷子?」

 おっとりした顔つきの女性が、雨具を片手にいつの間にかルピスの前に立っていた。


 琥珀色の大きなタレ目がルピスを優し気に見つめている。

 ボリュームのある透明感漂う金髪をルーズサイドテールに結い、その毛先は胸元まで流れていた。

 服の上からでもわかる体のメリハリと相まって、大人の女性という雰囲気が彼女にはあった。


 彼女の周りには柔らかくて、温かそうな光が浮かんでいるのが見えた。


 一拍遅れてルピスは自身が質問された理解し、力なく首を横に振る。


 それを見た女性は、

「孤児かな……。よかったら私のとこに来る? 私はこの町で奴隷商を営んでいるの」

 そう言ってしゃがみ込むと、手にした雨具でルピスがこれ以上を雨に打たれるのを防いだ。


 奴隷、という単語に眉を顰める。

 それはどうにもあまりいい響きの言葉に感じられなかった。


 ルピスの表情に警戒の色を見て取ったのか、

「あ。安心して。奴隷と言っても食事や給金も支給されるし、寝るところにも困らないから。多くはないけど休日だってあるのよ――」

 

 その後も奴隷商を名乗る女性はつらつらと奴隷について言葉を並べる。

 その間も雨は二人を覆う雨具を打つ。ルピスの頭上へと雨具を差し出したため、彼女の背中が濡れているのが見えた。


「最初は研修もするから心配しなくても大丈夫よ――」

 

 悪い人ではなさそうだ。

 優しい光が二人の周りをチカチカと緩やかに点滅して飛んでいる。


 それは物心ついたときから見える不思議な光。

 目が眩むというほどでもなく、温かい優しい光。

 

 昔、それを筆談で祖父に伝えたところ、

『言葉が話せないだけでも憎たらしいのに、さらに常に奇怪な光が見えているだと? どれだけ家名に泥を塗れば気が済むんだ、この恥晒しが!』

 祖父からは二度と公言するなと叱責された。

 

 それ以来、祖父の機嫌を損ねないようにするため、ルピスはその光を見て見ないフリをして生きてきた。

 みんなと同じでありたくて。みんなと同じく愛されたくて。

 

 光を見てルピスが過去に想いを馳せていると、

「――というわけなんだけど、どうする?」

 彼女の奴隷の説明が終わったようだ。

 

 後半はあまり聞いていなかったが、元より行く宛てなどない身。

 あまり深くは考えずにルピスはコクリと頷いた。


 ルピスの反応に優しく笑みを浮かべると、

「それじゃあ、よろしくね。私はルチル。ぼくの名前は?」


 ルピスはその問い掛けに口を開くが、そこから出たのは意味をなさない音だけ。

 

 ここまで一言も発しないルピスに、

「もしかしてぼく。声が……」

 ルチルがはっとした表情を作った。


 ルピスは何を聞きたいか察し、喉を指で抑えるともう一度深く頷いた。


「そうなの……。影のある中性的な美少年。おまけに声が出せない」

 ルチルがごくりと唾を呑んだ。

 

「今日からぼくはうちの看板商品だね」

 ルチルの差し出した手を、ルピスは恐る恐る手に取った。

 

 ルピスはこうして奴隷見習いになった。


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