一話 出会いと過去 (後)
ルピスの奴隷刻印に対する反論を封じ込めたルチルは、他に異論がないか確かめるように群衆を見渡す。
何かもの言いたげな者はいたが、先につまはじきされた者の末路を見た彼らが口を開くことはなかった。
ルチルはにっこりと笑みを浮かべると、
『ご理解ありがとうございます。私どもといたしましても初めてのことで驚いている次第です。
――さて、奴隷紹介と奴隷刻印も終わり、いよいよ入札です。それではみなさま、振るってご参加ください!』
ここで競り落とされた奴隷は、専属奴隷として落札者の奴隷となる。
落札されなかった奴隷は、公共奴隷として奴隷商人の手によりその力を必要とする場所へと斡旋される。
専属奴隷は割高に設定されており、入札されないことも珍しくない。
奴隷の廃棄は重罪であり、専属奴隷の落札者には奴隷の面倒を見る義務が発生するのだ。
一番体格の立派な壮年の男と、華奢だが読み書きができるという青年が、それぞれ銀貨三枚、七枚という価格で落札された。他の八名には入札はなかった。
最後にルピスの番を迎えた。
ルチルの掛け声と共に入札は開かれる。
『銀貨一枚から!』
「二!」「四!」「七!」「大銀貨」
他の入札者と違い、粛々と金額を述べた老紳士だが、その声は不思議とよく聞こえた。
老紳士の声で、あっと言う間にこの日の最高額は更新された。
入札に参加していない群衆から拍手が上がる。
毎月のように開かれる奴隷市であっても、大銀貨を越える入札は、なかなかお目にかかることはできない。
ルチルが声を張り上げる。
『大銀貨入りました! 大銀貨入りました!』
「二!」「三!」「四!」「六」
『大銀貨六! 大銀貨六! 他にはいませんか!』
金額が上がるにつれて、一人また一人と競合相手は減っていく。
その中で残ったのは身なりの良い老紳士と、この町の大商人の一角を占める中年男。
競りは二人の一騎打ちの様相を呈していた。
「七!」「八!」「九!」「金貨」
『金貨入りました! 金貨入りました!』
「二!」「五」「くそッこれ以上は無理だ!」
先に根を上げたのは大商人だった。
金貨の値段の奴隷など、それこそ亡国の騎士や特権階級の値段である。
間違っても一般の
最高潮の賑わいを見せる群衆。
『金貨五! 金貨五! 他になけれ金貨五枚で落札です!』
誰もが老紳士の入札を確信していた。
久しぶりに見ていて熱くなる競りが見られたと満足げな表情と共に。
――次の入札額を聞くまでは。
「白金貨十」
それは群衆の中ほど、フードを深く被った人物から発せられた。
『……へ?』
間の抜けたルチルの声が魔具を通じて、会場に響いた。
静まり返った会場に、その声はやけに響いて聞こえた。
「聞こえなかったのか? 白金貨が十枚と言ったんだ。不服か?」
そう言って新たな入札者は、懐から取り出した小袋を壇上で固まるルチルへと、無造作に投げて寄越す。
その行動に遅れて群衆がどよめきを起こす。
この日で一番のどよめきの中、ルチルは受け取った小袋の口を開き、その中を覗き込むと、ゴクリと唾を鳴らした。
それに続く入札の声はあがらなかった。
『は、白金貨十枚で落札です』
一般人より高額貨幣にも見慣れているルチルの声が震えていた。
白金貨。
それは大陸に流通する貨幣の中でも最高貨幣。
貴族でもなければそれを生涯目にすることはない代物。
白金貨の値がつく奴隷は、亡国の姫君や王侯貴族といったやんごとなき存在。
そのあまりの現実離れ金額に奴隷商人のルチルのみならず、群衆も戸惑いを隠せない。
中には頬をつねって夢ではないことを確認する者まで現れ始めた。
固まる群衆を割って、落札者が舞台へと上がる。
落札者は儀式が終わった後で、裏で個別に奴隷を引き渡す段取りであった。
そのため本来は注意すべき行為だが、ルチルも彼女の助手も落札額の衝撃で固まっていた。
そんななかで、壇上でフードを取って現れたのは一人の長身の美女。
根元が赤色で毛先にいくにつれて黄色のグラデーションのある髪。宝石のような輝きをもつ赤と黄のオッドアイ。服の上からでもわかるメリハリのついた体つき。
彼女の色違いの宝石がルピスの白眼をまっすぐに捉えた。
「私はアセビ。お前は私が買った。今日からお前は私のものだ」
尖った犬歯をもつ彼女はそう言ってニッと笑った。
◆ ◆ ◆ ◆
アセビは奴隷の購入手続きを済ませると、ねぐらとする宿へルピスを連れて帰った。
白金貨を惜しげもなく払うアセビ。
そんな彼女の寝泊まりする宿と聞いて、豪華な屋敷や高級宿を想像したが、辿り着いたのはなんてことはないどこにでもありそうな宿屋であった。
空は日没を迎えようとしていた。
窓から注ぎ込む夕日がアセビの整った顔立ちを照らし出していた。
個室の寝室で椅子に座るアセビと、ベッドに腰かけるルピス。
「――にしても、ほっんとーーに声が出ないんだな」
アセビの問い掛けにルピスはコクリと頷いた。
「読み書きは?」
再びコクリと頷いた。
「よし。なんか書いてみろ」
紙と筆を渡されたルピスは、少し考える素振りを見せた後で筆を走らせた。
布団の上に置いて文字を書いたので、文字はガタガタに歪んでいた。
アセビは紙を挟む形でルピスの隣に腰かけた。
「えーとなになに――”かってくれてありがとう。ルピスです。よろしくおねがいします”――かわいいなぁ、お前……」
その頬が緩む。
可愛いというより美人な顔立ちのアセビだが、その顔がへにゃっと崩れる。
「お前、貴族だろ?」
少し悩む素振りを見せた後でフルフルと横に首を振る。
「あぁ、聞き方が悪かったな。元、貴族だろ?」
今度はコクコクとその首を縦に動かした。
「どこの家だ?」
ルピスは紙の続きに家名を綴る。
家族でい続けることができなかった生家の名前を。
「”ファトス”って、なるほどな。あの魔法貴族の大家か。魔法詠唱できなくて魔法が使えないとなると、魔法貴族の面目丸つぶれだもんなぁ。それでお家を追放と。まぁないこたぁない話だな」
この国で魔法に携わる者、魔法使いを志す者で知らない者はいない魔法使いの名家。それがルピスの生を授かった家。
その家の直系の嫡子として生まれた分だけ家族の期待は大きかった。家族だけではない。家の歴史がルピスに期待していたのだ。
しかし――
ルピスは再び筆を動かし、
”おじいさまが ぼくは できそこない だって”
「なんで?」
”ぼくが まほうを つかえないから”
ルピスは家族の、家の歴史からの期待に応えることはできなかった。
その結果が家族からの追放。その事実はルピスの心に深い影を落とした。
「お前は魔法を使いたいのか?」
アセビの質問にルピスは固まる。
使いたい。使ってみたい。
でも、ろくに声も出せない自分がそんなことを言ったら迷惑に思われないか。
屋敷では、魔法が使えないために折檻ばかり受けてきた。
ルピスは落ちこぼれだと。役立たずのろくでなしだと。
そんなことばかり頭をよぎる。
高名な魔法使いを招いても、高価な魔導書を用いてみても、魔法が詠唱できないことには魔法は使えない。
それがこの世界の魔法使いの常識とされてきたことだった。
それでもダメだった。
期待は失望に代わり、失望は憎悪をもたらした。
祖父の苦り切った顔、母親の軽蔑するような顔。家庭教師の見下すような視線。
それはどんなに勉強しても変わらなかった。むしろ、望みが薄いことを知らしめるかのようでルピスへの風当たりを強くした。
いつからか屋敷で出会う者は、ルピスへの視線に蔑視の視線が浮かぶようになっていた。
それはとんでもないことをしでかしてしまったように感じさせ、その視線の前に消えてしまいたいと思うことさえあった。
黙り込んだルピスをアセビは怪訝そうに、
「ん? どうした? 使いたいか、使えなくてもいいか。どっちだ?」
もしも、アセビにもそう見られたらどうしよう。
またあの視線に怯える生活が始まるのかと思うと、心臓が早鐘を打ち始める。
おそるおそるアセビの表情を伺うルピス。
しかし、見上げた先に侮蔑の色はなかった。
ただ綺麗な赤と黄色のオッドアイが真っ直ぐにルピスを見つめていた。
不思議だった。
たったそれだけのことで、ルピスの心に刺さり、苛んでいた心の棘が抜け落ちたられるように感じた。
棘が生んだ傷痕の穴からは、本音という風が吹き出した。それはどこまでもまっすぐに温かい。
ルピスを小さな字で。でも確かな力強さで文字を躍らせた。
”ぼくは まほうを つかいたい”
それを見たアセビはどこか満足そうに頷いた。
「それにしても出来損ない、ねぇ……。
見えるものばかり見てきたせいで、見るべきものが見えなくなっているんだろうな、きっと」
アセビの発言にキョトンと首を傾げるルピスに、
「それでおまえには――
そう言いながら
見開いた目。上がり切った口角に、剝き出しになった犬歯。
様変わりしたアセビの表情にびくりと反応したルピスは、目をぱちくりとさせた。
アセビは歪んだ顔に手を翳すと、
「――おっと、いけねぇいけねぇ」
その手が通り過ぎたときにはそれまでのアセビの顔に戻っていた。
元のキリっとした顔に戻ったアセビが視線を落とすと、
”ひかり”
いつの間にか紙にはそう文字が書かれていた。
「光? ちなみにそれは今も見えているのか?」
ルピスは不思議そうな顔を浮かべた後、コクリと頷いた。
「ふふ、これはあたりを引いたか?」
アセビは窓の外にその端整顔立ちを向けると、遠い目をしてそう呟く。
ルピスの視界の先、アセビの周囲に浮かぶ光はこれまでに見た光よりも鮮烈な眩さをもっていた。
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