第27話

 殺意を解放し、魔力に乗せて振り抜く瞬間。


 剣が暴発した。


 圧縮された魔力がその圧力から解放され、もっとも身近にいたダブルテイルを叩いた。


「ぐ…っ!?」


 ダブルテイルが体勢を崩し、剣に気を取られていると。


「リーシュゥゥゥゥ!!!」


 咆哮と共にレオンコートが目前に迫っていた。


 ダブルテイルは咄嗟に迎撃しようとして回し蹴りを放つが、レオンコートはそれを紙一重で回避した。そしてレオンコートは両手でダブルテイルを掴みながら押し倒す。


 片足で、かつ体勢が崩れていたダブルテイルは、容易く地面に叩きつけられた。


 その衝撃でダブルテイルは肺の空気を吐き出した。


「カハッ…!」


 抵抗する時間も与えられずにダブルテイルはレオンコートに完璧に押さえ付けられた。


「ハァ…ハァ…ハァ…ハァ……。俺の、俺たちの、勝ちだ」


 それは息も絶え絶えで、とても勝者とは思えぬ弱々しい勝利宣言だった。


「…私の魔力操作のミスを狙っていたのか?」


「あぁ。そうだ。鍔迫り合いの度に、アカツキがお前の剣に魔力を少しづつバレないように流し続けていた」


「あぁ…なるほど。だからアカツキはあんな挑発を繰り返していたのか。私が気づいてしまったらどうするつもりだった?」


「気付くわけがないさ。お前がリリィをどれだけ愛していたのかなんて、嫌というほど見てきた。それをケラケラ笑われて冷静になれるわけがない。それに、お前の内心は混乱しているはずだ。実際、最後の最後に『逃げてくれ』なんて言い出した。その考えは当たっていたのだろう?」


「人の心を好き放題に推察して…なんて奴らだ。ロクデナシども」


 レオンコートが楽しげに笑った。


「まぁ許してくれ。正攻法じゃ残念ながら勝ちの目がなかった」


「そうか。ところで、アカツキはどうした?」


 レオンコートの腰には空っぽの鞘しかない。そして両手は現在ダブルテイルを押さえ付けていた。


「走るのに邪魔だから捨ててきた」


 あっけらかんと言うものだから、ダブルテイルは思わず笑ってしまった。


「仲間といえども勝つためなら捨てられるのだな。なんとも冷たいと思わないか?」


「アイツが自分から捨てろと言い出した。俺は悪くない」


「悪人は皆同じことを言う」


「仕方ないさ、都合が悪いからな。ただ巡り合わせが悪かっただけだ」


「そうだな。好き好んで人を殺す奴らは少ない。ところでレオン、私になにか言いたいことがあるのだろう? 今なら聞いてやれる」


 レオンコートが神妙な顔つきに変わった。


「やっとか。長かった…4年もかかった。俺は酷く疲れたよ。どこまでも逃げ回って、挙げ句にやたら強い。それなのに勝たないと話を聞いてくれないなんて、いくらなんでも強情すぎるぞ」


 疲れたような呆れたような、そんな笑みを浮かべるレオンコートにつられて、ダブルテイルも笑った。


「始めは文句か?」


「なんでも聞くんだろう?」


「ものによる」


「硬すぎる。鎧でも着込んでいるのか?」


 レオンコートは嫌そうな声音で言うが、顔には穏やかな笑顔がある。


「知らないのか? 昔言っただろう。黒スーツは鎧だと」


 自信たっぷりに胸を張るようにダブルテイルは持論を述べた。


「おい聞いたことないぞ」


「4年の間にボケたのか?」


「いいや。俺は聞いてない」


「あ、そうか、リリィに言ったんだ」


「ボケているのはお前じゃないか」


「今はなんの話をしているんだったか…?」


「急にボケるのはやめろ」


「私はボケてない」


「分かった、分かった。俺の敗けだ。全く信じられないほどに強いな。正直ドン引きだ」


 ふぅ、とレオンコートがひと息ついた。


「なんの話からしたものかな。そうだな、まずは、名前だな。リーシュ、ダブルテイルなんて名前を名乗ることをやめろ」


「断る。金稼ぎに使える」


「なら言い方を変えよう。ダブルテイルなんて名前で自分を痛めつけるのをやめろ」


「…分かった」


「本当か?」


「疑うな。本当だ」


「リリィに誓え」


 ダブルテイルは笑顔を引っ込めて少しだけ怒った。


「最低だな。リリィを利用するな」


 するとレオンコートも似たように怒り返してきた。


「喧しい。ならお前もリリィを利用して自分を痛めつけるな」


「だが、許されないだろう。リリィも怒って当然だ」


「許されない? リリィが本当に許さないのは、今のお前だ。自分を痛めつけて死にかけで生きているお前を許さない」


「なにを知った気になっている?」


「お前もリリィを知った気になるな」


「…そうだな。そうかも知れない。だが、そうやって知らないふりしていていいのか?」


 レオンコートは呆れたような声をあげて、それから笑った。


「忘れなければ許してくれるさ。死んだ後で俺も一緒に謝ろう。リリィの墓掃除はマメにやっているからな。きっと許してくれる」


「ずるいな」


「別に良いだろ。いちいち気に病むな。ただ、忘れずに想っていれば良い」


「本当にそうだろうか」


「そうあるべきだ。お前がリリィを大切にしていたことは揺るぎない事実なのだから」


 ダブルテイルは笑った。その笑みには自嘲や後悔、絶望と言ったものが欠片も存在しなかった。


「私は、あなたに許されたかったんだな」


「お前は回りくどくて、非常に手間のかかる女だ」


「悪かった」


「許してやる」


「ありがとう」


 ダブルテイルが心の底から最大限の親愛を込めて感謝を告げたとき、同じタイミングで、心の底から抗いがたい地獄が芽を出す。


 殺したい。


 ダブルテイル自身も、レオンコートも、誰にも望まれない悪夢の種。


 ダブルテイルは眼を瞑った。


「なぁ。すまないが、もう私の前から消えてくれると嬉しい」


「異能力か?」


「そうだ。私はあなたを殺したくはない」


「…1つ聞かせろ。アカツキには殺意が向かないのか?」


「向かない。どうやら異能力に人判定を受けていないようだ」


「分かった。ならば死ぬまでアカツキと一緒にいろ。お前は独りになるとロクなことをしない」


 自覚があったため、ダブルテイルは笑ってその提案を受け入れた。


「分かった。だがアカツキはどうみてもトラブルメーカーだ。真面目に向き合うのは…正直とても面倒くさい」


「雑に扱って大丈夫だろ。壊れる様子も、黙る気配もないからな」


 その辺に捨てられたアカツキを話の種にして2人は笑った。


 やがてその笑みが引いていくと、レオンコートが真剣さを多分に含んだ声音でダブルテイルに語る。


「なぁ。リーシュ。俺はお前が好きだ。もし俺の手を取ってくれるなら、一緒に、異能力を消し去る方法を探しにいかないか?」


 異能力を消す。そんな話は聞いたことがない。眉唾で胡散臭い。しかし、その絵空事は今まで聞いてきたどんな物語よりも綺麗だとダブルテイルは感じた。


「…レオン。とても嬉しい。だが応えられない。諦めてくれ」


 ダブルテイルは眼を閉じたままの自分を恥じた。目を開けることを恐れている自分の弱さと、真摯に語りかけてくるレオンコートに同じ態度で向き合うことが出来ない悲しさで、心に鉛を流し込まれたようだった。


「……分かった。俺はお前より素直な女を探すことにするよ。それじゃあな」


 ダブルテイルの体にかかっていた重みが消える。目を開けようかと思った。しかしその衝動をダブルテイルは必死に押さえつけた。


 やがて魔動車の駆動音が耳を打ち、その音がゆっくりと遠ざかっていくのを確認して、それからゆっくり恐る恐る目を開けた。


 雲1つない綺麗な星空だった。


 その星空は都市の光に邪魔されることなく、自然なまま、美しい姿でダブルテイルを照らしていた。


 ダブルテイルは地面に転がったまま、星空の中で最も綺麗で優しげな、蒼く碧い月光に手を伸ばす。


「あぁ。綺麗だな」




 ◇




 夜の荒野は魔動車の中まで浸透し、その冷気にレオンコートは思わず身震いした。


「寒いな」


 レオンコートは魔動車に備え付けられいている空調の魔道具に魔力を流し込む。すると風の暖流が車内にゆっくりと広がり始めた。


 体が熱で暖められると思考に余裕が生まれる。レオンコートは帰ったらなにをするべきかをゆっくりと考え始めた。


 1つ、2つ、後回しにしていたやるべきことが浮かんで行くなかで、はたと気付いた。やるべきことは嫌というほど簡単に浮かんでくるが、『やりたいこと』は全く浮かんでこないのだ。


「リーシュか…」


 無意識に、そう呟いた。


 あの親子が居たから復讐を終えた後でも、レオンコートは自分を見失わずに済んだ。


 レオンコートを形作った衝動と怒りが、復讐を完遂したことによって霧散した。後に残ったのは達成感とは無縁の、言い様のない空虚。


 ただ、あの家族が笑っていたからレオンコートはその空虚に身を落とすことはなかった。


 あの家族はレオンコートの心に優しい熱を灯していた。


「我ながら酷く女々しいな」


 魔動車の中は随分と暖かいが、レオンコートの心までは届かなかった。


 体と心の温度差で具合が悪くなってきたレオンコートは、暖房への魔力供給を切り、魔動車の窓を開けた。


 冷たい冷気が暴力的に熱を消し去る。


 熱が奪われていくことでレオンコートは少しだけ冷静になれた。


「あーー。全く…俺は変な女に人生を変えられることが多いな。そんな異能力でも持っているのか? 冗談じゃない」


 大切な女は死別するはめになり、好きになった女は娘を殺して自分の目の前から居なくなった。そして死に物狂いで探し回って得た答えは当たりにも割に合わない。


「まぁ、俺はいいんだ。俺はな」


 大事なことは好きになった女が、少しばかりだが許しを得たということだ。これからはきっと、昔のように凛々しくて強い姿を取り戻すだろう。


「あぁ! クソッ!」


 ままならない心が口から溢れ出る。その強く凛々しい姿を隣で見ることが叶わないことが、なによりもままならない。


 いくら格好つけても、それは見たまんまに格好だけでハリボテだった。


 偽らずに言うのならば、レオンコートはアカツキが羨ましかった。どんな形であれ、リーシュの側にいれるアカツキに、レオンコートは羨望を向けていた。


 みっともなく、情けない。呆れるほどに女々しいから、これ以上醜態を重ねないように、レオンコートは無理やり顔に笑顔を張り付けた。


「俺は、俺だ」


 少し間違えたら力を貸してくれた友人を恨んでしまいそうになる。だからレオンコートは割りきろうと必死になった。


「そもそも、答えは始まる前から出ていただろう。それを確認しただけだ」


 異能力の正体を、『好感を抱いた相手への殺意』だと考察した時点で、レオンコートはこうなることをなんとなく理解していた。


 殺意の大きさが好感度の大きさと比例するなら、娘を殺した後でレオンコートが殺されていない理由に説明がつく。


 1年前に1度見逃されたレオンコートが隣に居れる道理はない。


 それに今、レオンコートがリーシュと戦って生きていられるのは、『好感は持っているが、別に居なくても構わない』ということの証明になる。


 本気で殺そうとしてきたのなら、小細工は力ずくでねじ伏せられて死んでいた。だからレオンコートが生きていること自体が、側に居れない理由になる。


 それが分かっていて、それでも尚、レオンコートは答えを求めた。しかし理想的で甘い見通しの夢は、リーシュには必要なかった。


 笑えるほどに現実的だ。


「はーーあ。全く…強い女は格好いいが、絶対に思い通りにはならないことを理解しないといけないな」


 夜空に浮かぶ満月が、レオンコートの帰り道を優しく照らしてくれる。


 レオンコートは魔動車のワイパーを起動した。

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