第25話
なんとも言えない静寂が嫌に長く感じる。
「返事がない。ただの空き家のようだ」
「そんな訳はないだろう…」
レオンコートはアカツキの言葉を否定しつつも、人の気配が家の中からしてこないことに焦りを感じていた。
「出てくる気配なくね?」
「分かっている」
「…ところでさ、俺スッゲー嫌な想像しちまったんだけど、どーしたらいい?」
嫌な想像とは何か、具体的に聞き出すまでもなかった。
レオンコートは脳裏に浮かんだソレを振り払うように、意を決して、家に侵入することを決めた。
「入るぞ」
「…おけ」
ドアノブに手を掛けてそれを捻ると、なんの抵抗もなくノブは回った。
その瞬間に緊張感が全てを飲み込んだ。
日頃からうるさいアカツキすら沈黙を貫いていて、レオンコートも喉に何かが詰まったような息苦しさを覚えていた。
家の中に足を踏み入れる。家の中は埃っぽく、加えて木造の古い家らしく歩く度にミシミシと音を立てた。もう誰も住んでおらず、手入れされていない廃村の家だ。
ゆっくりと、しかし確かな足取りでレオンコートはリビングを通りすぎ、なんとなく直感的に1つの部屋の前に立った。
他にも部屋はあるが、レオンコートは確信していた。
(ここにいる)
恐る恐るドアノブを掴み、扉を押し開く。
ゴミ置き場。初見の感想はそうだった。
しかしよくよく見るとゴミの山とは別に台地があり、そこに探し人が寝転がっていた。
「うわ、これ全部缶詰め? ヤバすぎだろ」
アカツキがゴミの正体に言及すると、ベッドの上にいた女がゆっくりとレオンコートの方を向いた。
前髪は目にかかっていて、まるで何かのモンスターのようだった。
「なんて姿をしている? リーシュ」
「わ、わ、わたし、は」
リーシュは声を出し損ねたような、音程とイントネーションのズレた、言葉の紛い物を吐き出した。
見るからに正気ではないし、正常とは言い難い。
レオンコートは言いたい言葉をぐっと堪えて、部屋を出ることにした。
「いや、いい。身嗜みを整えてから出てこい表で待っていてやる」
家の壁面に体を預けると、アカツキがヘラヘラと笑いだした。
「いや~真面目にヤバーイって感じだ。死んでないだけって言えば良いのかね? 死にきれないって感じかな?」
「どちらにせよ、見るに耐えないことは確かだ」
「まーね。というか、勝手に家に入ったの冷静に考えるとヤバくない?」
確かにアカツキの言い分は正しい。もし住んでいた者が違っていたのなら問題だっただろう。だが、レオンコートは自分ならばその問題を平和的に解決できる自信があった。そしてなにより。
「ダブルテイルなどという名前を好き好んで名乗るアホは今のアイツしかいない」
「いや? もしかしたら他にも居たかもよ」
「だが結果は見ての通りだ」
「おい~。結果論とかいう身も蓋もないこと言うのやめな~」
場の空気はなんとも言い難いものだった。空元気という言葉がしっくり来るような、乾いた笑いを本心のように取り繕っている。
「つーか、いざ対面すると言葉がでてこねー。なんて言うべきなんだ?」
「ぶん殴りに来た」
「弱ってる人を嬉々として殴れるよーな、そんなイカれた精神構造はしてねぇ」
「だが、俺達の主張はそれだけだ」
「殴って気持ちーって訳じゃねーだろ。言いたいことと辞めて欲しいことを言いに来たんだろ。目的を間違ったら不味いっての」
「確かに手段だ。だが、そもそも話を聞いて貰える気がしないのでな。殴って話し合いの椅子に座らせるしかない」
この話し合いは2回目だ。手段と目的を履き違えないように気を付け、相手にも俺達の目的を理解して貰う必要がある。そんな結論に着地した。
言葉には気をつけて、あくまで優しく殴るべき。
既に終わった話を掘り返すのは、きっと話題が絶えることを恐れているからだ。勿論それだけではなく、再確認の意味も大いにある。
だからレオンコートはアカツキの話を真面目に聞く。
「いやいや、ボコボコにしてから話を聞けぇ! ってヤバイ人過ぎるだろ。話を聞いてくれるかどうかの確認からするべきだって」
「聞きはするだろう。納得はしなさそうだがな」
「でも1回言葉を挟むのは大切だろ。俺達が勝ったらその自罰的な行動を改めてくれ、そして本心を教えてくれ。負けたら好きにしろ。骨も禍根も残らんね」
話の流れは、確認はそれで終わった。だからここからはレオンコートの弱音だ。
「確かに分かりやすい。だがそれで納得するだろうか?」
「するだろ。今のリーシュは『であるべき』って考えでしか動かないから。その『であるべき』が不可能であると示せば、素直に話を受け入れてくれると思うけどね」
「あれはかなり強情だ。白を黒だと決めたなら死ぬまでその意見を変えることはない」
「でも、今は黒を黒であるべきだと思い込んでいるに過ぎないね。決めた訳じゃない。もしそんなに強固な意志を持っているなら、レオンはとっくに殺されてる」
それは揺るぎようのない事実だ。1年前、ディア・ウル・ロスレスで出会った時に殺されていてもおかしくなかった。わざわざ、『次』という猶予を与える理由はない。
邪魔なら殺す。それを容易く選択できるのが傭兵だ。
「確かにそうだな……俺は勝たなくてはならないな」
「俺もいるべ!」
「なんの役に立つ?」
「お喋り出来るぞ」
レオンコートは鼻で笑った。
「まぁ少しは期待しよう」
アカツキが何かを喋ろうとした時、人が出てくる気配がした。
ガチャリとドアを開いて黒髪の女が、昔と変わらない黒スーツに身を包んでレオンコートたちの前に姿を現した。
伸びていた前髪を切って整え、化粧もバッチリ決めている。しかし化粧でも誤魔化しきれない疲労感がうっすらと残っていた。
一目見てむごいと言わざるを得ない姿をよくもここまで取り繕えたものだと、思わず感心したくなるような、しかし本気で叱りたくなるような、そんな複雑な気持ちをレオンコートは感じた。
結局、アカツキの言った通りにレオンコートはなんと言えばいいのか困った。怒るでもなく、叱るでもなく、呆れるでもない。なにも思い、なんと言えばいいのか。
レオンコートはそう考えながらリーシュを見ると、なにを言えばいいのか分からないのはリーシュも同じであると、その目を見て知った。
レオンコートが選んだのは、誰でも言えるような、しかし言うことを今まで忘れていた当たり前の言葉だった。
「こんばんわ」
日はとっくに傾いていた。夕日は赤色の塗料を溢したように、レオンコートとリーシュの周りを燃やしている。
「なにをしに来た?」
先程まで言葉を忘れて、人の残骸だったリーシュは冷たい目をしていた。
レオンコートはその凍てついた視線に、何回目か分からないお決まりのお誘いをした。
「リーシュ。食事でもどうだ?」
「次はないと言ったはずだが?」
その誘いとリーシュの手を繋いでいたはずの存在は、もういない。
いなくなってしまった。
◇
何回目の絶望だろうか。
いつからかその数を数えることすら出来なくなるほどに、痛みが常態化していた。
終わりのない奈落へ背を押されて、居心地の悪い浮遊感だけが続く。
心ここにあらず。その一言でまとめることなど出来はしない。なぜなら自分という存在が酷く忌々しくて、それ以外考えられないから、痛み続けている。
「ハッ…」
レオンコートが消えた後、洗面台の鏡を前にしてダブルテイルは乾いた笑みを浮かべた。
薄汚れた鏡から見えた自分は、前髪がカーテンのようになっていて、なにか恐ろしい怪物のようだった。そのうっとうしいカーテンを開くと、目の下の隈など、不健康と不健全が作り上げた顔がある。
それを目にして、ダブルテイルが抱いた感想は、『まぁこんなものだろう』という諦観だった。
呆れることも、怒ることもない。ただ、諦めた。
それから淡々と髪の毛を切って整えて顔を洗う。身嗜みを整えろと言われたから、ダブルテイルは久しぶりに化粧品を手に取った。
(なにをしているのだろうか…)
鏡の前で自分の顔にメイクしていく中で、ダブルテイルは化粧という行動をする自分に、混乱していた。
わざわざレオンコートの言葉に従う理由はない。
目の下の隈などを隠そうとする意味はない。まるでそれを後ろめたく感じて、意識しているようだ。
(なにを気にしているのだろう…)
レオンコートにこの姿を見られたくないのだろうか。しかし次はないのだから気にするだけ無駄だ。
無意味、無駄、無価値。
そう思っているのに、ダブルテイルは化粧を止めることはなかった。
「あぁ。お腹が空いているのか、私は」
化粧を終えて、ダブルテイルは自分のお腹の調子に気づいた。そして一昨日から何も口にしていないことを思い出す。
だが、ダブルテイルはその空腹を無視した。お腹が空きすぎて空腹を感じないのだ。
どんどん感覚が鈍くなっていく、だんだんと心が無くなっていく。
もう少しで全てが終わる。
「なぜ……今来たんだ…」
ダブルテイルは突如として立っていられなくなり、膝から床に崩れ落ちた。しかし時間にして十数秒。たったそれだけ、たったそれだけで、ダブルテイルは両手を床について立ち上がった。そして弱音を叩き潰すように、自分の足に拳を振り下ろす。
息をゆっくりと吐き出して、それから愛用している黒スーツに袖を通す。
フォーマルなお堅い服装は鎧のように。傭兵、ダブルテイルを武装する。
─────冷えた心が出来上がった。
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