第22話

 アカツキとレオンコートの言葉を背にしてその場を離れる。


 投げ捨てた腰の重みに愛惜を感じ、今すぐにそれを拾って腰に戻したいと思ってしまう。だが、これでいい。これがいい。


 なによりも大切な存在を殺めた自分が、誰かと笑い、誰かと共にいることが許されるわけがない。


 許されるわけがないというのに────今の今までアカツキを投げ捨てることが出来ずにいた。機会はあった。リズィという少女の元に置き去りにすることは出来た。出来たはずなのに、ダブルテイルは自分で手にした繋がりを捨てることが出来なかった。


 誰かに奪ってほしかった。なにかに奪われたかった。


 浅ましいことこの上ない。自分の責任ではないと逃げたかったのだ。


 1人でいることを諦めることが出来なくて、アカツキを拾ってしまったのが全ての過ちだった。


 そしてそもそもリリィを拾ったことが全ての──────それは違う。それは違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う!!!


 間違えた。


 ダブルテイルは引き留めるような2つの声を振り払うように魔動車のペダルを深く踏み込む。魔動車の中に入って声はもう物理的には聞こえないというのに、ダブルテイルはそれでもその声が聞こえていた。


【【お前が間違っている】】


「そんなこと………」


 分かっている。罪の所在はどこにあるのか。ダブルテイルは分かっていた。


 異能のせいだと言うことは出来る。だが、異能がキッカケだとしてもダブルテイルが自分の手で殺したことには間違いはない。


 ダブルテイルはリリィのことを愛していた。なによりも、自分のことよりも、深く深く愛していた。


「ナイフ…どこにやったかな」


 娘を切り殺してから行方知れずになったナイフ。そのナイフを納めるカバーをコートの内ポケットから取り出す。


 茶色の革で出来た固いカバー。刃物を納めるに充分な固さを持っている。


 そのカバーに収まるはずのナイフはダブルテイルが小さな子供の頃、自分を拾って育ててくれた人に貰った大切な物だ。母親がくれた物だ。


 あれがあったからリリィを見た瞬間に拾うことを決めたのだ。拾って育ててくれた血の繋がらない母親がいたから、ダブルテイルも迷うことはなかった。


 それでリリィを殺めた。それが行方不明になった。


 もう探そうとは思わない。どこにあるのかは気になるが、しかし見つけたとしても手に取ることはない。


 腰の違和感が気になって、嫌になってきた。


 ダブルテイルは後部座席に置かれている剣のうち1本をとり腰にくくりつけた。


 腰には2本の剣を差すことに決めている。アカツキを捨てた分の重みは補った。


 しかしなぜだろうか、全くもってこの違和感が拭えない。


「あぁ、静かなのか」


 ダブルテイルを名乗ってからの3年間とアカツキを拾ってからの3日間。どう考えてもアカツキといる時間の方が短く、1人でいる時間の方が長い。


 それなのに車内の静けさに心地悪さを感じている。


 やがて気付いた。リリィを失ってからでは1人の時間の方が長いが、今まで生きてきた時間の中では、誰かと共にいる時間の方が長い。


 だからアカツキを拾ってしまったのだと気付いた。


 自分の心の内側、知らないはずの本心が自分の目の前に転がって落ちてきた。なんて醜い形なのだろう。未だ心は許されたがっている。


「許されることなどないのに」


 未だ自分は死んでいない。


 死んでしまえば良いのに。


 死ねば楽になれるのに。


 だけれど楽になってはいけないから、死ぬことも出来ない。


 いや、違う。


 死ぬことが怖いんだ。


 娘を殺めておいて、死ぬことを恐れている。


 あの日に死にそびれたから、あの日にあの神官に唆されたから、死ぬことで許されることを知ってしまったから。罪から逃げることを知ってしまったから。だから、死ねなくなって、やがて怖くなった。


 魔動車のブレーキを反射的に踏みつける。そして生まれた前方へ飛んでいこうとする力に逆らわずに、ダブルテイルはハンドルへ体をぶつけた。


「うぐっ……うぅ…どうするのが…どうすれば、良かったんだ…」


 ハンドルにすがり付き、泣き崩れる。


 リリィを拾わなければ、あの日に死んでいれば、過去の後悔に答えのない呪いを塗りたくる。そして現在、自分自身どうすればいいのか全く分からない。


 死ねないのに死にたい。生きていたくないのに生きねばならない。


 罪と向き合わなくてはならないのに、今こうして罪から逃げ出そうとしている。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぉあ!」


 ハンドルをドンドンと叩く。指が赤く充血しても、それでも叩き続ける。何度も何度も、自分を呪うように、自分を痛めつける。


 死ねとは言えず、情けないと自分を罵る。


 振り下ろす腕が疲れてきたとき、ダブルテイルはやるべきことを思い出した。


「行こう」


 遠くの都市へ移動する。アカツキとレオンコートから逃げるように移動する。


 これもきっと逃げだと思いつつ、これ以上大切な人を傷つけたくないその一心で、ダブルテイルはハンドルを握り直した。


 ダブルテイルが悪を殺すことを目的としているのならば、今すぐにレオンコートの元へ戻ってトドメを刺すべきだ。


 幸いギャングは彼がいなくても回るようになっているらしい。都合が良い。ダブルテイルが悪にまみれても悪を殺すと決めたのなら殺すべきだ。


 しかし殺したくない。だが、それは許されないことではないか。


 その迷いから逃げ出すしかなかった。惨めにみっともなく、ボロボロに崩れながら必死に、逃げること自体が自分を壊す理由だったとしても逃げ出した。逃げなかった場合など考えたくもないと頭を振って。


 そうやって内面のことばかりを考えていると、いつの間にか都市に着いていた。


 二重の壁によって守られた都市、ディア・ウル・ロスレス。アカツキが落胆していたビル群が天を貫いている。さながら大きなハリネズミのようだ。


 ここではいけない。ここに居ては彼らが直ぐに自分を見つけてしまう。


 ダブルテイルはハンドルを別の方向へきった。


 荒野を進むなかで、名前の知らない都市にたどり着いた。


 ダブルテイルは持って地図を見るが、元々地図は大雑把にしか記載されていないため、適当に進んだ弊害が出ていた。


 自分が今どこにいるのか分からない。


 そんな状態でもダブルテイルに焦りはなかった。


(別に分からなくても良い。いや、分からなくて良い。せっかくだ。どこまでもいこう。誰も私を望まない場所へ)


 ダブルテイルは適当な方向へ進んだ。


 知らない都市を何度も何度も通りすぎた。


 日付が変わり、太陽が再び上っても一睡も休むことなく魔動車を動かし続けた。やがてダブルテイルは知らぬ間にデウルの国、トゥディーエル・デウルをでていた。


「…ここはウェンズの国か?」


 都市の名前が書かれていた標識が城壁に埋め込められていた。その壁の上ウェンズの国旗が風に靡いている。


 ダブルテイルはウェンズが死ぬほど嫌いだった。


 物心つくころにはスラムで生きていたダブルテイルは、種族がギーツであるという理由でスラムの住民からも疎まれていた。


 だが、疎まれつつも生きることだけは出来た。人の目を避けて、道の端で息を殺して、自分の存在を殺すことで生きていた。


 多くの人はそんなダブルテイルを居ないものとして扱っていたが、しかしウェンズの奴だけは違った。


 暴力的な行動など良くあったし、盗みの罪を押し付けられたりした。


 実際ダブルテイルも生きていくために盗みをしていたため、冤罪だというダブルテイルの言葉に耳を貸すことはなかった。


 ロクでもない。いつも群れて行動して、強い奴には逆らわない。


 ギーツだから悪いなどと宣う性根の腐った犬っころ。


 母親に拾われてからはそれが更に悪化した。


 元々ウェンズとギーツと同種族だった。だというのにウェンズはギーツを裏切り、ギーツという種族が絶滅の危機に瀕する現在を生み出した。


 ギーツに自分達は虐げられていたと宣い裏切ったくせに、ウェンズという種族は、その他の種族から見下されることになった理由をギーツのせいだと言い出し始めたのだ。


 確かにギーツは恐ろしい種族だった。戦争の具現化、体現者と言えるほどに戦争という暴力を卓越させていた。


 しかしだからと言って、裏切って良い理由にはならない。そしてそもそもギーツはウェンズを虐げてなどいない。同族として仲間として共に生きていた。


 ギーツが嫌われているのは恐ろしいからだが、ウェンズが蔑みの目を向けられているのは卑劣だからだ。


 同族を裏切ったという歴史がウェンズには残っている。しかしウェンズはそれを見て見ぬふりをして、ギーツの責任だと恥知らずにも厚顔無恥に吠えている。


 死ぬほど嫌いだった。


 その意味の分からない妄言を真実と頑なに疑わない駄犬ども。


 そいつらの国、そいつらの都市。


(あぁ。悪くない)


 ダブルテイルはその都市へ足を踏み入れた。


 向けれれる様々な視線。恐れ、驚愕、興味、そして敵意。それらを押し退けるように通りを歩く。ダブルテイルの道を阻むものは誰1人として現れなかった。


 目的の施設に顔を出すと、受付の女性が直ぐに取り繕ったが一瞬だけぎょっとしたような表情をした。


 ダブルテイルはなんとも思わずに、その受付を介して欲しいものを伝えた。


 賑やかな大通りの喧騒から最も遠く、そこへ続く道は荒れ果てており、石畳が所々割れていて足場が非常に悪い。


 全体的に陰気で、太陽の光が当たりにくい奥まった場所にポツンと立っている木造の一軒家。その鍵をダブルテイルが開けた。


 誰も住んでいないのだから当然だが、埃被っていて薄汚れている。その埃が扉を開けて入り込んだ風によって少しだけ舞い散り、キラキラと汚れた輝きを空中分解させている。


 そんな家へダブルテイルは躊躇いなく踏み込む。


 玄関口を越えてリビングにたどり着くと、始めにしたことは舞い上がる埃を無視しての、備え付けられた冷蔵庫が生きているかの確認だった。


 旧式の型でアンティークとでも言えば売れそうな見た目だ。


(冷却機能は…生きているな)


 コンセントを刺しても冷蔵庫の中には照明機能が存在しないため暗いままだが、しかし内部の魔道具は生きており、冷風を感じられた。


 そのことに満足したダブルテイルは次に寝室を訪れた。


 ベッドの類いは存在せず、昔そこにあったのだろうという後が床に残っている。


 全ての確認を終えたダブルテイルは、埃が鬱陶しい陰気な家から出ると、家を借りるときに訪れた不動産を取り扱う役所に戻り、先程の受付に清掃員の要請をした。


 3日間かかると言われたため、ダブルテイルはホテルに向かった。


(は。どこを見ても犬しかいないな)


 目に映る全てから目を背けられ、ダブルテイルは笑った。


 中の下ほどのホテルを借り、ダブルテイルは3日間寝て過ごした。


 それから家に戻ると、ダブルテイルは随分と杜撰な掃除だと感じた。四角い所を丸く掃いたような、随所随所が適当で、視界の端で粗が目立つ。


 支払った金と釣り合いがとれていないひどい物だった。


(まぁ。いいか)


 ベッドの購入もすんなり済んだ。というよりも会話をしたくないという意志が見え透いているために、余計なことは何一つ起こらなかった。


 日当たりも悪く、人通りも皆無。言われなければ人が住んでいるとは思われないような新居。内装はほとんどなにもなく、机も椅子もソファーもない。キッチンは伽藍堂で人の温もりは皆無。部屋の隅の方では杜撰な清掃の跡が残っており、窓はくすんでいる。蜘蛛の巣がないのが逆に不気味と言えるような家。


 そこでダブルテイルは仕事もせず、全く使ってこなかった3年間の蓄えを消費し続ける。


 なにもしたくない。


 なにも出来ない。


 ぐずぐずに炭化して崩れ去るナニカ。


 冷蔵庫すらいつからか使わなくなって、ベッドの付近には缶詰めの死骸が列を成してダブルテイルを囲っている。


 寝て、起きて、また寝るだけ。


 食事を忘れることが常態化して、当然のように時間感覚も忘れ去る。


 忘れて、忘れて、忘れて、忘れて、忘れて、忘れて、忘れて、忘れて、忘れて、忘れて、忘れて、忘れて、忘れて、忘れて、忘れて、忘れて、忘れて、忘れて、忘れて、忘れて、忘れて、忘れて、忘れ去った。


 それなのに自分自身が消えてくれない。優しい思い出が消えてくれない。暖かい夢が今でも胸の内側にこびりつく。


 それを吐き出すようにゲロを吐く。


 そんな世界で、ダブルテイルはふと、伸びてきた髪の毛が鬱陶しいことに気付いた。


 ダブルテイルは傭兵として生きていく中で、自分の身だしなみを整えることは出来るようになっている。


 だがそれは、人当たりを良くするための技術だ。今の自分を見る人などいないのならば必要のないことだ。


「あぁ…面倒だ」


 涙が落ちてくる。


 お腹がすいた。面倒だ。


 ダブルテイルはゆっくりと死んでいく。もう一度死ぬために、死んでいく。


 脱け殻の家に声が響いた。


「うわ、これ全部缶詰め? ヤバすぎだろ」


 ダブルテイルはゆっくりと顔を向ける。


 この世で最も会いたくない犬がいた。そして今や怨嗟の憎しみを身勝手にぶつけてしまっている剣を携えて。呆れ果てたような態度を見せた。


「なんて姿をしている? リーシュ」


「わ、わ、わたし、は」


 ダブルテイルは思うように声がでなかった。


「いや、いい。身嗜みを整えてから出てこい表で待っていてやる」


 相変わらず偉そうな言葉を発してレオンコートは部屋から出ていった。


 それからゆっくりと、ダブルテイルは自らの終わりに向けて重い身体を動かし始めた。

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