第18話

 レオンコートは変人といって差し支えない女に拾われた。


 お店にいた頃より、母親がいた頃より旨いご飯が食べられ、良いベッドで眠ることができ、着る服もなめらかになった。住む場所も今までより広い家に変わり、教育として様々なことを勉強させられた。


 当たり前のように拒否権などなかったし、拒否する気持ちもなかった。


 学べば学ぶだけ、知らないことや分からないことが増えていく不思議。


 それがどこか楽しくて、忌々しく、離れがたい感覚だけをレオンコートに残す。


「レオン。夕食に行くわよ」


「ちょっとだけ待って」


「待ちません。無理やり引きずられたくなければ今すぐ来なさい」


「お、横暴すぎる」


 女、ノーブルライトは言ったことは意地でもやる。


 より良いものがあるのなら行動を変えるが、逆に言えばそれ以外では絶対に行動を変えないし、意見も聞かない。


 とてつもなく乱暴だった。しかしそれがレオンコートにとって居心地が良かった。


 悲しいねと適当に分かったつもりで口を出されるより、そんなことよりご飯行くぞと首根っこ掴まれる方が好きだった。


 ノーブルライトは過去に踏み込まない訳じゃない。踏み込んだ上で、踏み込んだことに特別な反応を示さないだけ。


 適当に軽い雰囲気でレオンコートの内側を聞き出しては、興味なさげな言葉を返す。


 話を聞くつもりはないなら聞くなよとキレたこともあったが、「共感して欲しいのだけれども、理解されたくはないのでしょう?」そんなことを言われて、黙ることになった。


 ノーブルライトは他を鑑みない行動ばかりだが、その行動に意味を持たせている最悪な理論型だった。


「なぁノーブル。またここか?」


「パスタが食べたいのよ」


「あっそう」


 昨日の夜と同じ店で昨日の夜と同じものを食べたい。気に入ったものは飽きるまで好むという偏食。


 どうせ言っても聞かないので、レオンコートはノーブルライトに続いて入店する。


 ノーブルライトは昨日と同じ席に腰かけ、昨日と同じ注文をする。


 レオンコートは昨日とは違うものを頼み、それが来るのを待っていた。


「なぁノーブル。なんでこの都市に来たんだ?」


「んー? 別に理由はないわね。傭兵稼業をしていて、ガキを養うお金がたまったから、ガキを拾いに来たのよ」


「誰でも良かったのかよ」


「目の前で死にかけてて、外見が良かったからよ」


「お前最悪だな」


 レオンコートの反射的な暴言をノーブルライトは賑やかな笑顔で迎えた。


「お腹空いたね」


「母親ってか? 俺の母親は褒められた人じゃないし、尊敬も出来ねーような人だったけどお前よりはマシに思えるぜ」


「それでも今の貴方は私のガキよ」


 レオンコートが、やってられないとジェスチャーをしたところで、2人の前に注文したメニューが届いた。


 しばらく無言でそれを口に運ぶ。


 レオンコートはふと、こんな横暴な人も悩んだりするのかと思った。だから食事のツマミにするように、軽く聞いた。


「ノーブルはさ、生まれたことを後悔したりする?」


「昔はね」


「今は?」


「別に全然。考えることも、興味もないわね」


「どうして?」


「私を大切にしない人の意見で、私を変える必要はないと気付いたからよ。なんでそんなことを聞いたの?」


「別に意味はないけど? なんとなくノーブルって悩みとか無さそうだと思っただけ」


「失礼なガキね」


「横暴な大人だな」


 それで食事の時間は終わった。


 その帰り道でレオンコートはまたノーブルライトに気になったことを聞いた。


「なぁギーツって言われるの嫌?」


「私はカノークスなのよ? 間違えられていい気分にはならないわ」


「ギーツは嫌いなのか?」


「なぜ? ギーツはギーツ。私は私。確かに昔はギーツを恨んだりしたけれど、それには意味がないわ。私は私の黒髪を、自分の不幸を誰かのせいにするなんて、そんな恥知らずな生き方はしないと決めているのよ」


「参った。強すぎるよ。なんでそんなに強いんだ」


「はぁ? 単純なことでしょう? 知らない誰かを知らないままに恨むなんて滑稽よ」


 レオンコートは母親のことを思い出し、薄く笑った。


「確かに」


 2人は手を繋ぐことも、お互いに顔を見ることもなく、血の繋がりすら全くなく、種族すら違うが、同じ歩調で同じ家に向かって歩いた。


 たった1年。それだけで2人の間には家族的な繋がりと信頼が生まれていた。


 そしてそれはまたしても一夜で奪い去られた。


「どうして…」


 懐かしい男。フィオレンディーアが家にやってきて、そして連れてこられた場所にはノーブルライトが、ノーブルライトだった人がいた。


 薬物とあらゆる暴力の果てにある無惨な姿だった。


「誰のせいだ…」


 すんなりと言葉がでた。そしてその言葉によって、過去の言葉がリフレインする。


【【私は私の不幸を誰かのせいにはしない】】


「誰のせいだ…!」


 悲しみよりも、耐え難い激情。今まで感じたこともないほどの怒りに身を焼き尽くされる。一周回って思考がクリアに、冷静に戻れてしまうほどの怒り。


 それに答えを示したのは、フィオレンディーアだった。


「町の裏側を支配するギャングだ。目的はお前の殺害」


「は?」


「お前はギャングのボスの血を引いている。前のボスだがな」


 それから、レオンコートの戦いが始まった。


 簒奪者に過ぎない現ボスに復讐し、正式に前ボスの血統をもって君臨する。


「殺してやるよ。どんな手を使っても、絶対に」


 フィオレンディーアの支援を受けつつ、ギャングの末端構成員に紛れ込み、爪を研ぎ、剣技を磨き、殺意を滾らせてその機会を待つ。


 やがてレオンコートが16歳になった頃。


 1匹の狼がレオンコートの住む屋敷を強襲した。


 かつて見た黒とは比較にならないほどの漆黒。間違えようもなく一目で分かる。


 ギーツ。


「娘はどこだ」


 怒りを含んだ威圧的な声。それに気圧される部下の波を割って、レオンコートはそのギーツと言葉を交わした。


 そのギーツは言い表す言葉は1つだけ。


 暴力的。


 屋敷の玄関を剣1本で全壊させるほどの膂力から見てとれる魔力容量は異常の一言に尽きる。そして会話が成立しない。


 レオンコートが何を言っても、「娘はどこだ」の一点張り。オウムでももう少し慎ましさを持っている。


 だが、その力と立ち振舞いは圧倒的で、単独でこの都市のギャング全てを動かす力を持っていると確信させる。


 これだ。コイツだ。


 レオンコートは求めていた火種を目の前にして歓喜した。


 このギーツを嵐の中心に抗争を引き起こし、ギャングの世界を混乱させる。そのどさくさで、ボスを倒し、復讐を成し遂げる。


 その機会がやってきた。真っ黒な始まりがやってきた。


 結論から言うのならば、全て上手く行った。


 レオンコートはギャングの王に君臨し、ギーツは娘を取り戻した。


 全てが終わるのに要した時間は1週間。堪えてきた時間に比べれば圧倒的に短い時間だったが、やりきってしまえば達成感を強く感じるには充分だった。


 全てが想定通りとはいかなかったが、しかし最も理想的な結末を得た。


 レオンコートはギーツを火種にはしたが、使い捨てることはしなかった。


 使い捨てた方が圧倒的に楽で、気を遣うこともなかったが、しかしそのギーツとの約束を違えることはなぜか出来なかった。


 そしてギーツとは友好関係を築くに至った。


 ギーツの女は名前を明かすことはなかったが、代わりに傭兵のコードネームで、「リーシュ」と名乗った。


 リーシュと娘は、ギーツゆえに街では浮いていたし、疎まれていた。それをレオンコートはギャングの圧力を持って融通した。


 復讐を終えてからレオンコートは目的を無くしていたが、ギーツの家族と関わることでその虚無感が埋まっていた。


 リーシュと娘の関係は、かつての自分のようだった。


 拾われた子供と拾った女。


 リーシュの性格はノーブルライトと似ているが全く異なっていた。


 娘に甘く、他人に厳しい。高圧的で横暴だが、娘の意思をなによりも尊重する。


 しかし道を歩く2人は、手を繋ぐことも、お互いに顔を見ることもなく、血の繋がりすらない。しかし同じ歩調で同じ家に向かって歩いていた。


 その姿を見ることが2年続いた。


 レオンコートは何回目か分からない食事の誘いをした。


「リーシュ。食事でもどうだ?」


「あなたが出すなら考えてやってもいい」


「そうか、なら良い店に行くとしよう」


「リリィの舌に合うものにしろ」


 当たり前のように娘がいることが前提で笑ってしまう。だが、こんなものだと受け入れていた。


 それからレオンコートは、リーシュになぜこの都市にやってきたのか、なぜその子を拾ったのか、色々な質問をした。


 なんとなくやってきた都市で、同族を見つけた。そして自分が拾われて育ったため、娘として拾った。


 ノーブルライトよりは人格者といえた。


 ギーツであることにウンザリしないのかと聞いてみたが、意外なことにリーシュはギーツであることに誇りを持っていた。『自分が自分であることを恥じるつもりはない』と断言し、その言葉は娘に向けられているような気がした。


 世界中の多くの人から疎まれていても、そのことを恥じない姿はあまりにも強く、眩しいものだ。


 そうしてリーシュとの関係が始まってから3回目の春が過ぎた。


 娘、リースリートとも随分と打ち解けたように思えた頃。


 リーシュが娘の亡骸を大切そうに抱えていた。


 絶望に磨り潰されたような顔はあまりにも痛ましく、あまりにも無惨な姿だった。


 それから直ぐにリーシュは都市から消えた。


 ギャングのことを信頼できる部下に任せつつ、どこかへ消えたリーシュを探す旅が始まった。


 都市に戻っては、出ていく月日を3年繰り返した。リーシュと出会い別れるまでの時間と同じだけの時間をかけた。


 たった1つの答えを得るために、たった1つの言葉を伝えるために、ただそれだけのために全力で探し続けた。


 そして目の前には、あの日と変わらない顔をしたリーシュがいた。


 娘の亡骸を抱えていた時と同じ顔をして、見るに堪えない姿でそこにいた。


「リーシュ…! やっと見つけたぞ。リーシュ!」

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