第16話

 スラムに片足突っ込んだ風俗街。レオンコート・クロムクロはそこで産まれた。


 レオンコートは犬の耳を持った種族。牙のビークス、ウェンズだ。そしてレオンコートを産んだ母親は、特に稼ぎがいいわけでもないその他大勢に分類される風俗嬢の1人だった。


 金がない、魔力容量も大きくない、技術者というわけでもない、頭も良くない、育ちも当然のように良くない、風俗嬢としての才覚も、美貌もない。


 ないない尽くしで構成された女だ。


 女は当たり前のように、子供を育てて幸せにしてやろうなどと思ってはおらず、むしろ逆に自分を救いだしてくれる希望を勝手に押し付けていた。


 女がそんな馬鹿げたことを考えていたワケは、たまたま女が相手をした男が魔力容量が大きいと噂されている人物だったからだ。


 魔力容量の大小は、過激に言うのならば人の価値に直結する。生まれた瞬間に未来と人生がほぼほぼ決まるのだ。


 金がなくとも、魔力容量が大きいのならば学を与えられ、魔力技術を扱う魔力技師になれる。頭が良くなくとも、魔力容量が大きいのならば兵士として雇われての立身出世を目指せる。


 育ちが、生まれが良くなくともどうにかなってしまう。


 黒髪でさえなければ。


 やがて産まれたレオンコートの未来は、恵まれた側に分類された。髪色は薄い赤色で瞳の色は金、子供の時点でさえ母親とは似ても似つかないほどに整った容姿。


 女は黄金を手にした。


 女はその黄金が自分を助けてくれると信じて、そう願い、そう教育した。


 自分の不幸を背負って全て解決してくれると信じて、子供を養うという苦境に耐えていたつもりだった。しかし夜は不在。朝は睡眠。昼にようやく活動を始めるも、自分のことで手一杯。すぐにやってくる仕事に時間を取られる。


 女、ましてや風俗嬢1人で赤子から育て上げるなど不可能という事実が、レオンコートの独占という女の理想像を少しだけ崩した。


 子供の教育には不適切だったが他に手段はなく、なし崩し的にレオンコートは風俗店のバックヤードで面倒を見られ始めた。それによって良くも悪くも、レオンコートは様々な人に触れあう機会に恵まれた。


 自分を孫のように扱う店の女店長。自分を可愛がる母親の同僚。様々な表情を浮かべた客の男。


 客の男は基本的にレオンコートを見て見ぬふりをするが、まれに話しかけてきたり、小遣いをくれたりする男もいた。


 いったい何に対してなのか分からない、「頑張れよ」という言葉を分からないまま頷くことが度々あった。


 やがてレオンコートは大人が持つ個人の顔と外へ向ける顔の違いを感じ取り、徐々に理解していった。


 自分に向けるダラケた笑顔を隠しきって、楽しそうな笑顔を張り付けている。仮面を被り、見たことがない綺麗な笑顔で知らない人を出迎える。


 自分に向ける優しげで楽しげな声に、ハチミツをまぶして客に振り撒く。


 そしてまれに、店の中でゴミ箱などを蹴り飛ばす。


 レオンコートはほとんど必然的に人の機嫌と気配を読むコツが身に付いた。


 人によって態度を変える。怒っていても、その怒りを直ぐに整理できる人には飲み物でも持っていき話を聞く、出来ない人には飲み物だけ置いて隠れておく。


 時には怒っているのか、楽しげなのか、全く分からない様子のおかしい人が現れるため、その場合は飲み物すら持っていかずに隠れておく。


 翌朝にはケロッとしてるか、店から消えていなくなる。


 自分の身の振り方をなによりも先に理解した。そして人の優秀さというものを、差を理解した。


 余裕のある人と余裕のない人。魅力のある人ほど価値があり、魅力のない人は路傍の石ころと同じ目でしか見られない。


 人を見る目を見ることで、その客の価値が分かってしまう。そしてそれから見えてくる価値が、レオンコートに人の価値を教えてくれた。


 他人の物差しを覗き見る。


 そこから見えてくる世界は、レオンコートに強い興味を持たせるには充分だった。


 余裕のある人、物差しが大きい人。彼らはいったいなにを考えているのか。


 しかし残念ながらレオンコートのいる店は、彼らにとって路傍の石ころであった。


 どうすれば彼らと話ができるのか。どうすれば彼らの価値観を知れるのか。


 考えに考えて、やがてレオンコートは1つの答えにたどり着いた。


 自分の価値を利用する。


 彼らの中で最も物差しが大きな人の目に止まる。それが可能だったのならばチャンスが生まれる。


 しかしそれは賭けである。それも酷く分の悪い賭けだ。


 賭けるものは命。手に入れるのは話をする時間。


 この風俗街ではよく人に死にが起こる。それをレオンコートも度々目にしていた。目にしていたのだが、レオンコートは子供であり、それの現場意識が低かった。


 自分の容姿が整っていることを知っていたレオンコートは、ある日、店のバックヤードから街へ飛び出した。


 夜の街。何度か店の人と歩いたが、1人で歩くのは始めてのことだった。だがレオンコート歩みに迷いはない。


 最も価値があると見た店の道のど真ん中に立ち、レオンコートはその時をじっくりと待っていた。


 往来の邪魔であることは分かっていたが、しかし奇跡的と言って良いのか、誰もレオンコートに退けという言葉をかけるものは居なかった。


 やがて3名の男が道の先に現れた。


 その3人の中央を歩くデウルの男。それはレオンコートが見た中で最も価値がある男だ。身につける衣服も、歩き方も、他とは一線を画している。


 男たちが姿が近づいてきて、やがて男の目がレオンコートを捉えた。


 どんな目で自分を見ているのか、見たくないような、見たいような、不思議な感覚。しかしレオンコートはそれから目をそらさなかった。


 そして得た答えは。


「お前、俺を待っていたな?」


 レオンコートは笑顔を浮かべた。それは仮面の笑顔ではなく、純粋な自分個人の笑顔。


「待ってましたよ。はじめまして、僕の名前はレオンコートと言います」


「ほう。それで?」


 男の目に浮かぶのは好機の目。


「単刀直入に申しますと、少しだけお時間を頂けませんか?」


「面白い。お前は俺になにを支払う?」


「いいえ。支払うのは貴方です。僕と話す機会を貴方に売ります」


 レオンコートがそう口にすると、今まで脇に立って黙っていた2人のうち1人が会話に割り込んだ。


「ガキ。言葉を───」


「黙るのはお前だ。ダラー」


 それだけ。それだけで2人ともなにも言わずに引き下がった。


「部下が失礼したな。詫びとしてその機会を買おうか」


「まいどあり」


 笑みを浮かべ、レオンコートは上機嫌に自分のいる店に彼らを案内した。


 その途中でフィオレンディーアが不意に質問した。


「レオン。お前の母親が働く店は、ドゥニーアルカナではないか?」


「はい。そうですけど?」


「そうか…」


 男、フィオレンディーアはどこか困ったような声をあげた。側にいる2人組はフィオレンディーアの台詞と同じような顔をしていた。


「なにかありましたか?」


「あぁ。店長と昔に少しな。店長はお前に優しいか?」


 レオンコートはフィオレンディーアの声に優しさが混じったように感じ取った。


「はい。お婆さんみたいです」


「そうか。それは良かったな」


 店の前にたどり着くと、フィオレンディーアは部下の2人に待機を命じてレオンコートと共に店に入った。


 多くの人が驚いた顔をして、それから笑顔を取り繕った瞬間。


「なにをしにきた?」


 初めて聞いた店長の低く拒絶する声に、レオンコートは思わず身を竦めた。そして店長は、視線がフィオレンディーアからレオンコートに向いた瞬間に、顔に怒りを張り付けた。


「いや、誤解はしないでくれ。俺がコイツに買われたんだ。お話しがしたいと」


 店長は怒りを隠そうともせずに小馬鹿にしたように言った。


「はぁ? 笑えない冗談はよしな」


「冗談ではない。でなれば俺が貴方に顔を見せるわけがない」


「それを信じろって? ディー。私はあんたを信じたりしないよ」


「だろうな。だから、レオンコートのことを信じてくれ」


 話が突然自分に向いたレオンコートは、状況を上手く飲み込めていなかった。しかし分からなくとも、言うべきことと求められていることは分かっていた。


「うん。僕から話しかけたよ。店長」


「本当だろうね?」


「本当だよ」


 店長はタメ息を吐くと怒りを静めて、いつもの優しい声音に戻った。


「はぁ……そうかい。いいかい必ず帰っておいで」


「わかった」


「安心してくれ、必ず帰すと約束す───」


「あんたのことは信じないと言ったはずだよ。さっさと行きな」


 フィオレンディーアは謝罪と共に店を出ていき、レオンコートもそれに続いた。


 レオンコートは、店長との話を聞きたい気持ちもあったが、なんとなく詮索してはいけないような空気を感じたので黙っていた。


 フィオレンディーアに連れられて、個室のある飲食店に入った。


 いざ、話をするとなった時。耐えきれずにレオンコートはフィオレンディーアに店長の話を聞いた。


 しかしフィオレンディーアに軽く流され、それから話題をすり替えられた。


 母親のこと、店長のこと、将来のこと。なぜ自分に話しかけたのか、なぜ自分を待っていたのか。そんな疑問を途切れることなく投げ掛けられた。


 その中で、やがて一番知りたかった答えをフィオレンディーアは口にした。


「お金だ。お金。良くも悪くもお金を持っているかだ」


「お金…ですか?」


「お金を持っているから余裕が生まれる。当たり前のことだ。お金があるから優しくなれる。お金があるから冷たくなれる」


 レオンコートがなにを言っているのか理解できずに首をかしげると、フィオレンディーアは優しく言った。


「そうだな。レオン。お前は価値と言ったな? それと同じだ。お金は価値そのものと言って良い。価値を持っているから余裕が生まれる。価値があるから自信を持てる。お前が俺を待っていたのも、自分に価値があると思ってのことだろう?」


「顔ですか?」


「それも価値だ」


 レオンコートはフィオレンディーアから、価値と未来の関係性を聞かされた。そして大きな物差しとは、多くの視点から作り出されるものだと理解した。


 強い衝撃と面白さを味わった。


 それからフィオレンディーアは少しだけ口調をキツくして言った。


「いいか? レオン。物差しが大きくなりすぎると、目の前の人の顔すら分からなくなる。物差しを使う相手と使わない相手はしっかり区別しろ」


「どういうことですか?」


「店長に物差しを使うな」


「わかった」


 レオンコートは手に入れた大きな力に溺れるように、新しい玩具を手にした子供らしく、無邪気に物差しを使い続けた。


 店長に物差しを使うなという言葉の真意を知らぬままに、様々な人にその物差しを向けては評価を下す。


 母親も、その同僚も、客も、全てにそれを使い。無自覚に感情が腐っていった。

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