第10話

 アカツキの話す別の世界は空想や妄想とするにはあまりにも質感のあるものだったが、しかしどうしても空想なのではないのかと疑いたくなるような話も多くあった。


 魔力もなく、魔法もなく、貴族もいない。そのうえ戦争すらやりたくないと言い、平和というものを堅く守り、それが崩れることなどあり得ないと考えることすらない人が多くいる国など、あまりにも現実味がない。


「そのニホンという国は狂っている」


 特に頭がおかしいと感じたのは、ニホン人とやらは、生で魚を食うらしいことだ。


 これにはダブルテイルも流石に嘘だと断言したが、アカツキは熱心に熱量を持って、スシというイカれた食べ物を説明する。


「もう満足だ。もういい。ただでさえ生魚を食うという狂った話を聞かされているのだ、加えてそれらをレーンに乗せて客の前を回遊させるなど………頭がおかしくなりそうだ」


「なぜ理解されないんだ。旨いぞ。シャリとネタのバランスが良く、1口サイズだというのに確かな満足感を与えてくれる。冷えていることがプラスに働くジャパニーズソウルフードを。なぜ」


 本気で疑問に思っていないと出せないような声音でアカツキは言った。


「もういい。別の話をしてくれ、せめて理解できるものがいい」


 ダブルテイルは軽く手を振って話を変えることにした。


 しかしアカツキはスシの話から離れようとしなかった。


「いやいやいや、寿司を理解不能のバケモノみたいに言わないで貰えます? 国民食と言っても過言じゃないんですけど?」


「じゃあどう信じろと? 冗談ということにしてくれないと頭がおかしくなる」


「どうしてそこまでスシを信じられないんだ」


「ならば魚を食うという悪食をどう信じればいい。あんなバケモノを食うなど…腹を壊すだけで済んだら奇跡だ」


「魚をバケモノ呼びすんなよ。生で食うのは理解できなかったとしても、焼いて食うぐらいはあるだろ」


「焼いても食うものか、あんなバケモノ」


 ダブルテイルが嫌そうに言うと、アカツキが突然なにかが引っ掛かったような息を漏らした。


「なぁダブル。そもそもこの世界の魚について教えてくれない?」


「マグロ、イ=カ…クジラもいたな」


「クジラは魚じゃないだろ」


「…? どうみても魚だろう。後、トビウオとかいうイカれた魚もいる」


「うーん。とりあえずクジラの話は置いておいて、聞き覚えのある名前ばかりだ。マグロもイカも、トビウオはちょっとチョイスの癖を感じるけど、おかしいところはなにもないな。マグロについて教えてくれるか?」


「マグロは海の中を高速で動き回るバケモノだ。大きな群れを作り、敵と出会ったなら先頭を泳いでいる個体が体当たりで殺す」


「なんじゃそりゃ!?」


 アカツキが驚いたような声を上げた。


 その様子がスシの話を聞いた時の自分と似ているなと思い、ダブルはしっかりした根拠のあることだと説明することにした。


「本にはそう書かれていた」


「誰だそんな嘘八百のゴミを書いたのは!」


「海洋生物の研究者らしい」


「え、えぇ…。いや、マグロがおかしいだけだ。きっとそうだ。イカは? イカはまともだろ」


「イ=カか? イ=カは足が10本ありスミを吐く。海の王者で、なんでも食らう悪食。時折地上に上がってきて人を襲う」


 アカツキの反応は前回と変わらないものだった。


 それからダブルは知っている限りの魚の話をした。イ=カとタ=コは仲が悪く、縄張り意識も強いため、イ=カがいる場所ではタ=コはいないということや、クジラはマグロを主食にしていて身体が強いこと、トビウオとかいう海の気狂いの話もした。


 そもそも海に出ること事態が、死出の旅と言われるほどに生還率が低いことも話した。その主な原因がマグロやイ=カである。


「なんてこった。バケモノが魚ではなくて、魚そのものがバケモノってことかよ。味は? 一応捕まえたりは出来てるよな?」


「死ぬほど美味しくない。1度食べたことがあったが2度とゴメンだ」


「あー。あ! 待て! 鮭とかは? 鮭とか川を上る魚は?」


「そんなものはいない。居て堪るか」


「ふざけんなよ……」


 呆れや落胆の比重が大きいと分かる声をアカツキがあげた。


「至って真面目なんだがな。それで、スシとかいうイカれた食べ物を信じられない気持ちが分かったか?」


「この世界はクソだ」


 その言葉にダブルテイルは心の底から同意した。


「全くだ」


「どこに行っても、それこそ異世界行っても世界はクソだなんて、夢も希望も、寿司も刺し身もない。終わってる」


 アカツキは重いため息をついた。


「しかし仮にその食べ物があったとしてもアカツキは食べられないだろう」


「やめてね。マジレス」


 何を辞めて欲しいのかは全く分からなかったが、とりあえずこの話題は辞めるべきだと言うことは何となく理解した。


 ハンドルを握りながらこんな問答を繰り返している。話題は面白いようにコロコロ変わっては変わってを繰り返す。


 いつの間にか朝方の太陽は頂点まで上っており、元々暑そうな荒野は窓越しにすら顔をしかめたくなるほどだ。


 恐ろしいほどの早さで時間が過ぎている。そう自覚したとき、ダブルテイルは自分のお腹がすいていることに気づいた。


 魔力吸引ペダルを踏むのを辞めて、ゆっくりとブレーキをかける。


「おお? どうした?」


「昼食だ。お腹がすいた」


「なるほど。それで? なにを食べるんだ?」


「缶詰め」


「なんてこった。味気ない。異世界らしく旨そうなヨーロッパ系の飯を所望する」


「よーろっぱ? それが何を意味しているのかは知らないが、仮にアカツキが望む食事があったとしても、食べられないだろう?」


「だからマジレス辞めなって泣くぞ」


 ダブルテイルはそこでようやくマジレスという言葉の意味を何となく掴んだ。


(食べられないことを言うなと言ってるのか)


「悪かった。それで、よーろっぱ系の飯? とはなんだ」


「パンに肉にチーズにソーセージ!」


 ダブルテイルはスシなどというイカれた食べ物を説明されると思っていたが、恐ろしいほど分かりやすい食べ物で安心した。


「あぁ。それならどこにでもあるぞ。ここにはないが」


「どこにもはないじゃねーかよ!」


「街に行けばあるぞ。ただ、エルフやドワーフ達の街ではあまり見掛けないらしいが」


「エルフってなに食ってんだ?」


「腐った豆だ」


「納豆…だと」


 アカツキがなにやら衝撃を受けている様子を尻目に、ダブルテイルは身体を捻って後部座席に身体を差し込む。


 後部座席の足元にある食料品をまとめている金属製の箱を開き、そこから3つ缶詰めを選んだ。それから隣にある別の金属製の箱を開き、詰め込まれているジャガイモを1つ取り出す。


 それらを助手席に転がして───


「うおおお! 人の頭の上からなんか落とすの辞めな!」


「あ、すまない」


 癖で食べ物を投げ込んでしまった。いつもなら物言わぬ剣しかないが、今はアカツキがいることを失念していた。


 そして罪悪感を少しだけ感じた後で、小さな笑みを浮かべてダブルテイルはその考えを笑う。


(アカツキも剣だ。物を言うだけの剣だ)


 ジャガイモの皮をむくための包丁とまな板を取り、そして缶詰めを温めるための魔道具を持って運転席に戻る。


「カセットコンロ! 夢も魔法もねぇ!」


「ん? これか? これも魔道具の1種だが?」


「えぇ……許せねぇよ、俺」


「なにを?」


「魔道具がそんな形してやがることが許せねぇ」


「なんだそれは」


 アカツキの訳の分からない言動を流しつつ、ダブルテイルはイモの皮を剥いてから一口サイズに解体し、魔道具に火をつける。


「おい! バカ! 窓を開けろ! 二酸化炭素で死ぬぞ!」


「は?」


「いいから速く窓を開けろぉぉぉぉ!!」


 ダブルテイルは突然叫びだしたアカツキに困惑する。


「落ち着け。外は暑いし、風には赤土が混じっている。開ける理由はない」


「死にてーのか! なら火を消せぇぇぇ!」


 話を聞いてくれそうにないと判断し、ダブルテイルはとりあえず火を消した。


 するとアカツキがキレ気味に危なかったと説明してきたが、ダブルテイルはそれに冷静に反論した。


「なにを言ってるいるのか分からないが、魔力を用いた炎ではそんなことは起こらない」


「は? なんで?」


「魔力を使っているのだから…当然だろう?」


「魔力ってなんなんだ…?」


「魔力は魔力だ」


 ダブルテイルは再び火をつけ、フタを開けた2つの缶詰めを火に当てる。


 缶詰めが温まるのを眺めている間。アカツキがなにやらブツブツと独り言をこぼしていた。内容は魔力を使った炎についてと、魔力についてだ。


「燃えているのに燃やしていない? 熱量だけを産み出しているのか? 火をつける魔道具というよりは熱量を産み出す魔道具って感じか? でも燃えてんだよなぁ。……やっぱ俺許せねぇよ」


 どうしても魔道具の見た目が気に入らないらしいことをダブルテイルは不思議に思ったが、気に入らないという気持ちは感覚的なものだと思うので、質問することはやめた。


 それから時間的に多分大丈夫だと思い、ダブルテイルは魔道具の火を消して厚手の手袋を着けて缶詰めを持ち、中身を深めのマグカップに移す。


 2つとも中身は同じドロッとした白シチューだ。それはダブルテイルのお気に入りだ。


 保存食として見るならこの缶詰めはあまりよろしくない。消費期限は中の下で、しかも温めないとあまり美味しくないという制限もある。挙げ句にシチューであるため味に濃淡がなくバリエーションがない。極めつけに1つだけで食べるなら物足りなく感じるというシロモノだ。


 だからこそダブルテイルは2つ開け、ジャガイモを常備している。


 一口サイズのジャガイモをグツグツのシチューに落とし、スプーンで混ぜる。


 するとアカツキがせがむような声を上げた。


「なぁー。それなに? 見せてくれよ」


 ダブルテイルは上機嫌にお気に入りの白シチューに薄茶色のジャガイモが飲み込まれていく様子を見せた。


「うお。くっっそ旨そうだな」


「だろう? 私のお気に入りだ」


 温めないと美味しくないのならば温めればいい。味に変化がないというのならば変化を加えればいい。1つで物足りないのならば2つ開ければいい。そして消費期限の問題は致命的ではないためどうとでもなる。


 そうしてダブルテイルはこのシチュー缶のすべての問題点を力業で解決した。楽に食べられ、放置しても問題ないという缶詰めの利点を全て投げ捨てるほどにこの白シチューを気に入っている。


 ダブルテイルは3つ目の缶詰めを開く。


 中身はただの乾パンだ。しかしシチューにはこれがなくてはいけない。


「うお。スゲーな。味気ないとか言ったの撤回するわ。ヨーロッパ感スゲーな。ヨーロッパのことエアプだけど」


 相変わらずなにを言っているのかは分からないが、少なくともこの食事に感嘆していることは理解したので、ダブルテイルは上機嫌にスプーンで掬ったシチューを口の中へ運んだ。


 ドロッとしたしたシチューの中にあるジャガイモ。乾パン。水筒の水。


 熱さと粘りけと、冷たさと乾き、そして潤い。


 シチューの熱さと濃い味を喉の奥へ落とし、その後に乾パンを放り込むことで乾パンの乾きとシチューの粘り気が相殺し、食感を含めた全てが調和しバランスが取れる。


 掬ったシチューの中にジャガイモが混じることで味に変化が生まれ、一度噛むとジャガイモのホクホク感が口のなかで暴走する。しかしそこで流し込む冷たい水が効く。


 ジャガイモは直接火を通していないため熱すぎて火傷することもない。


「う、旨そうに食いやがって…ズルいぞ」


 剣からそんなことを言われるとは思わなかった。


 ダブルテイルは薄く笑い。それから次の一口を掬った。

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