第〇一〇話 付与魔法(下)

「誰か!」


 

 倒れたティナの呼吸は荒く、とても苦しそうだ。

 

 必死に叫ぼうとするのに、喉から漏れるのはか細い音だけ。思うように声が出せない。こうしている間にも、俺の身体から溢れ出す魔力が、すぐ傍にいるティナの命を蝕んでいく。

 

 なんて無力なんだ……!


 

 今日はリリアナがいる日だ。他の二人のメイドは別の仕事をしているのか、近くに人の気配はない。

 

 リリアナは俺の部屋に本を取りに行っているだけだから、もうすぐ戻ってくるはずだ。彼女なら、この状況をなんとかしてくれる。

 

 逸る気持ちを抑え、できるだけ呼吸を整える。そして、ありったけの空気を肺に溜め、叫んだ。


 

「リリアナッ!」


 

 ダメだ……自分でも情けなくなるくらい小さな声しか出ない。これでは部屋の外にすら届かないだろう。万策尽きたかと思われた、その時だった。


 

「ルシャ様! どうなさいました!?」


 

 俺の蚊の鳴くような声を聞きつけたリリアナが、血相を変えて部屋に飛び込んできた。


 

「ティナが……! 俺の魔力に当てられて……!」

 

「――ッ!? ティナ、なんて無茶を……!」

 

「俺のせいなんだ! 後で全部説明するから、とにかくティナをここから……俺から離してくれ!」

 

「畏まりました!」


 

 リリアナはティナをその細腕に軽々と抱えると、風のような速さで部屋から出て行った。


 

 ◆ ◆ ◆



 しばらくして、リリアナが一人で戻ってきた。


 

「ティナは医務室に寝かせ、他のメイドに任せてきました。それで……ルシャ様のせいだと仰っていましたが、どうしてあのような事態に?」


 

 俺は書庫で倒れそうになったところをティナに支えられ、部屋まで送ってもらったいきさつを正直に話した。


 

「なるほど……。ですが、ティナは本望でしょう。主に尽くし、その身を挺して主を守れたのですから。メイド冥利に尽きるというものです」

 

「そんな大袈裟な! ティナはそんなに悪いのか!?」

 

「命に別状はありません。ですが、三日は動けないでしょうね」

 

「三日もか!?」

 

「三日で済む、と言うべきです。ルシャ様専属のメイドは、こうなることを覚悟の上で何度も付き添っておりますので、多少の耐性がついているのです。一般人なら一週間は動けないでしょう」

 

「……慣れで耐性がつくのか」

 

「そのようですね。奥様……ライラ様が多少平気なのも、ルシャ様がお腹の中にいる時からの苦労の賜物だと聞いております。ただ、年々増大し続けるルシャ様の魔力には、さすがの奥様も追いついていないようですが」

 

「母様が……」


 

 俺の魔力は、胎児の段階から規格外だったようだ。知らなかったとはいえ、とんでもない親不孝者だな、俺は。


 

「それで、ルシャ様。お加減はいかがでしょうか?」

 

「まだ身体はふらつくが、眩暈は治まったようだ」

 

「書庫で長時間立ちっぱなしだったのが良くなかったのでしょう。次からは気をつけてください」

 

「ああ、注意する」

 

「それでは、ティナの様子を見てまいります。今日はもうおとなしく、ベッドで本を読んでいてくださいますか?」

 

「もちろん、そのつもりだ」

 

「こちらが、お探しの付与魔法に関する本です」


 

 そう言ってリリアナから渡されたのは、一冊の古びた本だけだった。


 

「これだけしかないのか?」

 

「はい。付与魔法の使い手が極端に少ないため、一般では関連書籍が販売されていないのです。こちらはレクス様が帝国中を探し回り、唯一見つけ出した使い手の方に依頼して、特別に書いていただいたものだそうです」

 

「父様が、わざわざ……?」

 

「レクス様もライラ様も、お二人ともルシャ様の可能性を信じていらっしゃいます。早くから、こうして準備をなされていたのですよ」

 

「そうか……。それなら、その期待に応えなくてはな」


 

 リリアナから本を受け取ると、俺は早速ページをめくり始めた。彼女は俺が本に集中したのを確認すると、静かに一礼し、ティナのところへ向かった。


 

 ◆ ◆ ◆


 

 本はそこまで厚くなく、すぐに読み終えることができた。

 

 しかし、その内容は衝撃的だった。ここに書かれていることがすべて本当なら、付与魔法はハズレ魔法どころか、俺にとって最大の武器になるはずだ。

 

 興奮冷めやらぬまま、ふと最後のページに書かれた著者名に目をやる。

 

 その瞬間、脳天を撃ち抜かれるような衝撃が走った。


 

「――ティルデリング、だと!?」


 

 ゲームの中で、桁違いの性能を誇る伝説の武具がいくつか存在した。その多くに【シディルウルギア/ティルデリング】と銘が刻まれていたのだ。

 

 前者は伝説の鍛冶師、後者は伝説の付与師の名だ。

 

 てっきり、ゲームの中だけの架空の人物、それもとっくに亡くなっている過去の偉人だと思っていた。そのティルデリングが実在し、あまつさえ父の依頼でこの本を書いてくれたというのか!

 

 だとしたら、鍛冶師のシディルウルギアも、まだどこかで生きている可能性があるかもしれない。


 

 本によれば、付与魔法――エンチャントに必要なものは四つ。エンチャントをかける『装備』、効果を決定づける『触媒』、術者の『魔力』、そして術を起動させる『詠唱』。

 

 中でも特に重要なのが触媒と魔力であり、エンチャントの効果は触媒で八割方決まってしまうらしい。詠唱は補助的なもので、決まった型はないそうだ。

 

 とはいえ、ご丁寧にティルデリング自身が使っているという詠唱も記されている。


 

 ――大地の息吹よ、我に力を貸し、この刃に生命の光を宿せ。

 ――鋼鉄に風を、鋭利に強靭を。

 ――敵を打ち砕き、勝利を掴むため。

 ――自然の力よ、今、ここに集え!


 

 これは剣の切れ味と耐久度を上げるエンチャントらしいが、重要なのは触媒となるアンバーと聖銀の粉を魔力で合成すること。詠唱はこれと違っても、似たような効果は得られるとのことだ。


 

 父様はいったいいくら払ったのか見当もつかないが、ティルデリングが知り得るエンチャントの成功例と失敗例の組み合わせまで詳細に書かれている。これはもう、試してみるしかないだろう。

 

 ただ、問題は触媒だ。成功例、失敗例から判断するに、どうやら宝石の粉は必須のようだ。

 

 エンチャントが金のかかるハズレ魔法と言われる所以だろう。この初歩的なエンチャントですら、アンバーの他に聖銀――ファンタジーではお馴染みの希少金属――が必要なのだから、その高価さは想像に難くない。


 

 しかし、本にはもう一つ、俺にとって極めて興味深いことが書かれていた。

 

 エンチャントに使用する魔力の量で、仕上がりの性能に差が生じる、と。

 

 魔力だけが取り柄の俺にとって、これ以上ない朗報だった。


 

 エンチャントはたとえ失敗しても魔力は消費するらしい。ならば、適当な素材で練習を繰り返せば、体調改善のための魔力消費ができるのではないだろうか?


 

 逸る心を抑えられない。今すぐにでも試したいが、今日はベッドでおとなしくしていると約束したばかりだ。

 

 俺は思考を切り替え、今できる最善手を取ることにした。


 

「ルシャ様、本はもう読み終えられたのですか?」


 

 ティナの様子を見に行っていたリリアナが、絶妙のタイミングで戻ってきた。


 

「リリアナ、ちょうどいいところに! この本に書いてある素材で、すぐに集められそうな物を集めて欲しいんだ」

 

「……集めて、どうなさるおつもりでしょうか?」

 

「決まってるだろ? エンチャントの練習をするんだよ!」

 

「……ルシャ様。実はその素材、すでにある程度は集めてあります。リリーがこの本をお預かりしていたのは、レクス様から事前に素材を集めるよう指示を受けていたからですので」


 

 父様の過保護っぷりも、ここまでくるといっそ清々しいな。


 

「それなら、身体が回復したらすぐに練習できるな!」

 

「……それが、大変申し上げにくいのですが、ルシャ様にはまだ無理かと存じます」

 

「どうしてだ!?」

 

「ルシャ様は、まだ精通なされていないからです」

 

「……精通? それは必要なことなのか?」

 

「はい。男性は精通を、女性は初潮を迎えないと、魔力を魔法という形で体外に放出することができないのです。ルシャ様はご病弱なため、少しばかり身体の成長が遅れていらっしゃるようですので……おそらく、もうしばらくは……」

 

「そうか……」


 

 まさか、病弱がこんなところにまで影響しているとは。

 

 ゲームの主人公たちが十五歳から物語を始めるのには、そういう理由もあったのかもしれない。

 

 新たな壁にぶち当たり、俺はひとまずゴーレムの研究を優先させることにしたのだった。

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