小学生時代2

「CD、ありがとう」


 休み明けの月曜日。学校に借りたCDを持って行けば、陽太は嬉しそうな顔をしてもう聞いてくれたの、と笑った。


「どうだった?」

「やっぱり良い曲だなって。一緒に入ってた曲も、聞いたことあったよ」

「ドラマの主題歌だから。そこら中で流れてるもんな」


 そうなんだ、と星哉は返事をした。なるほど、ほとんどテレビを見ない星哉でも聞いたことがあるはずである。

 陽太がCDを自分の手提げ鞄にしまうのを、星哉はどこか寂しく眺めていた。なぜ寂しいのかは自分でもわからない。けれど、ずっと勉強漬けの日々の中で初めて借りたそのCDはどうしようもなく星哉の心を高鳴らせたのは確かだった。

 星哉の家はお小遣い制ではない。お年玉も誕生日に祖父母からもらったお金だって全部母に回収される。欲しいものは母に頼めば買ってもらえるけれど、それだって母親が納得してくれるものしかダメだ。


 だけどもう少し、聞いてみたい。


「……ファイブスターズって、どんな人たちなの?」


 星哉の言葉に、陽太は目を丸くした。それから、満面の笑みを浮かべる。


「さいっこうのアイドル!」


 いつもとはまた違う、心の底から幸せそうな笑みに、星哉は少し面食らった。みんなと遊んでいるときだって楽しそうに笑っているけれど、それとはまた違う。なんて表現したら良いのか、星哉には思いつかない。

 ただひとつわかるのは、陽太は多分本当に、これ以上ないほど、ファイブスターズという人たちが大好きなんだろうということだけだった。


「ちょっと興味湧いた?」


 陽太の言葉に星哉は頷いた。陽太をここまで夢中にさせるものがなにか、知りたかった。


「なにが気になる?」

「えっと……僕、まだメンバーの顔と名前もわかんないんだけど……」

「そっか。じゃあこれからどんどん知れることがあるね! アルバムとか持ってこようか? ライブDVDだって貸せるよ! 母ちゃんに聞かないといけないけど」

「うーん……CDのプレイヤーはうちにあるけどDVDはどうだろう。それに、多分CDもDVDも母さんにバレたらすごく、怒られると思うから……」


 星哉の言葉に陽太はうーん、と言いながら首を傾げる。真剣に勧めようとしてくれるのが嬉しかった。前に他の子がゲームを勧めてくれたときは、母さんに怒られると言えばそっか、で終わってしまった。しかたないとわかっていても、それはやっぱり寂しかったのだ。

 そうだ、と陽太が声を上げて、星哉はきょと、と見つめる。陽太はキラキラした瞳でにっ、と笑った。


「今までもだけどさ、これから毎週金曜日に、俺の好きな曲流すから。全部、ファイブスターズのだし! それが一番、知ってもらうのにいいかも。昼休みになったら教室帰ってくるからさ、気になったのとか、感想とか、教えてよ。それでさ、気に入ったのは、貸すから。できるだけシングル持ってくるし。一曲くらいなら、聞けるだろ?」

「……そうかも」

「じゃあ、決まり!」

 約束な! と言う笑顔が眩しかった。なんだか熱に浮かされてるかのようにうん、約束、と指切りをした。

 それが、まだ五年生だった去年の話である。




 六年生になってクラスも離れてしまったけれど、約束は続けられていた。今年も陽太は放送委員会に入って、金曜日にファイブスターズの曲を流す。そして昼休みになると星哉の元にやってきて、今日の曲はどうだった? と嬉しそうに聞いてくるのだ。だから金曜日がどうしようもなく星哉は楽しみだった。

 星哉はといえば、六年生になって更に塾や勉強する時間が増えた。五年生の頃もほとんどなかったけれど、遊べる日は本当に全然なくなってしまった。塾のない日も、最近は自習室に連れて行かれる。いくら中学受験をするとはいえ、毎日毎日勉強ばっかりなのは憂鬱だ。別に成績だって悪いわけじゃない。塾内だってトップに近いし、志望校はほぼ確実に受かると言われている。油断してはいけないことなど星哉にも分かっているけれど、息苦しい。

 授業中の合間の時間だって、参考書を開くことが多くなった。周りの子は星哉には触れてこない。中学受験をする子の少ない田舎の学校だ。浮いているというよりも、何となく触れてはいけないような気がするのだろう。

 変わらずに接してくれるのは陽太だけだった。

 だからこそ、陽太との時間がより特別になった。

 顔に傷があるのに、陽太は明るい。いつも笑っているし、先生から荷物を運んで、と頼まれてもいやな顔も見せない。母親に言われるがままにいい子で過ごしているが、星哉は面倒なことは嫌いだ。やりたくないことはやりたくないし、見返りがなければきっとやらないだろう。

 どうして、と聞けば、ファイブスターズのおかげなんだ、と陽太は笑っていた。


「五人ってさ、本当にすごいんだ。礼儀正しいし、どんなことにだって真剣に向き合うんだ。だから俺も、そうなりたくて」


 そう言ってはにかむ陽太を、少しだけ羨ましいと思った。きちんと名前の分かるようになった5人のアイドルの、素敵なところも真面目なところも影の努力の話も、もう陽太から聞いて星哉も十分知っている。でも、すごいなと思っても憧れたことは無かったし、同じようになりたいなんて尚更思ったことが無かった。

 星哉には、なりたいものなどない。


「ねぇ」

「ん?」

「陽太は、アイドルになりたいの?」


 星哉の言葉に、陽太はまるで考えたこともなかったというように目を丸くして、それから困ったように眉を下げた。


「なれないよ」

「どうして」

「ほっぺたの傷、治らないから」


 そっと陽太が自分で自分の頬に触れる。反対の手が、ギュッと握られるのが見えた。


「アイドルってかっこよくないとなれないんだよ」

「……ほっぺたの傷くらい、大丈夫じゃない?」

「ダメだと思う。だって、目立つもん」


 仕方がないよ、と陽太は静かに呟いた。その寂しそうな顔を見て、思わず唇から言葉が零れる。


「東京に行ったら、アイドルになれないかな」


 ぼそりと星哉が呟いた言葉に陽太はきょとんとした顔をした。それから目を輝かせる。


「なれるよ、きっと。東京に行ったら、なれる。それに星哉なら、絶対アイドルになれるよ」

「……えっ、え、僕が?」

「うん!星哉ならなれるよ、だって、かっこいいし」


 思いもよらなかった言葉に、星哉はぱちぱちと瞬きした。それから目を伏せる。


「……なれないよ」

「どうして」


 目を丸くして問う陽太から、星哉はそっと視線を逸らした。それから呟く。


「……母さんも、父さんも、医者だもん。僕に後を継いで欲しいんだって。だから、医者にならないと」


 何かになりたいなんて、考えたことがない。ただ、医者になりなさいと母親には言われてきた。そしてそれ以外に特になりたいものもないからなろうとしているだけだ。いい子でもない。母親に怒られたくないからいい子にしている。母親の様子を伺って、怒られるようなことは全部しないようにして、言われるがままに勉強して、毎日を過ごして、ただそれだけ。

 つまらない人生なんだろうなって星哉自身も思っている。それでも、それ以外の生き方なんて考えたこともない。


「……そっかぁ」


 陽太は少し残念そうに笑った。




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