祭りのあと #4
「あと一歩のところでマーライオンだよ……」
そのボヤキに宇佐美は笑った。
今日は休みなので、昼まで惰眠を貪っていた野崎は、まだ部屋着姿のまま気怠そうにソファに座り込んだ。
二日酔いを案じて差し入れを持ってきた宇佐美は、そんな野崎の姿に苦笑しながら言った。
「それは災難でしたね。で。白石さんは?もう帰ったんですか?」
「ついさっきな。彼氏の荷物を引越し業者が取りに来るから、立ち会わなきゃいけないんだってさ」
野崎は言いながら眠そうに欠伸をした。
「二日酔い、平気だったんだ?」
「あいつは出すもん出してスッキリしたんだろ。お陰でこっちは寝不足だよ……」
そう言って再び欠伸をする。
宇佐美は笑うと、来る途中に立ち寄ったカフェで購入したホットコーヒーを差し出した。
「ありがとう」
受け取って一口飲むと、ようやく気分が晴れてきた。
ホッとした様に息をつく野崎を見て、宇佐美はホットサンドの包みも手渡すと、ゆっくり室内を眺めた。
ここへ来るのは初めてだった。
以前。
離婚のゴタゴタがあった時――
連絡が取れなくなった野崎を心配して、様子を見に来ようと思った事があったが……結局来ることはなく、その後も訪れる機会がないまま。
「……」
宇佐美は、なぜか誘われるように窓辺に寄った。
8階からの眺望は、かなり恐ろしかった。
マンション自体高台にあるため、実際の高さよりさらに高く感じる。
「風が強い日は窓開けると大変なことになる」
「眺めはいいけど、10階以上の高さに感じる……」
「こっから落ちたら確実に死んでたな」
そうなってたかもしれない事を思い出して、野崎は笑った。
が。
宇佐美の方を見て笑うのをやめた。
窓からベランダをじっと見つめる宇佐美の背を見て、「ゴメン」と呟く。
「え?」
「母親の事、思い出した?」
「――」
ベランダから飛び降りて死んだ母親の事を、思い出したのではないかと感じて詫びる野崎に、宇佐美は慌てて首を振った。
「いえ。そうじゃないです」
「でも」
「本当に」
大丈夫だから――と手を振る宇佐美に、野崎は黙ったまま小さく頷くと、ゆっくり立ち上がって、カーテンを引いた。
さり気なく、ベランダを自分の視界から遮る野崎に、宇佐美は少し驚いた顔をしたが、そういう優しさがこの男の良い所なんだろうな……と思い笑った。
そして、改めて室内を見回して言う。
「思いのほかキレイにしてますね。もっと散らかってるかと思った」
「離婚して一人になった男の家は荒れてると思ったか?」
こう見えても俺は几帳面なんだぜ~と、野崎は変な所で胸を張った。
とはいえ、台所を見る限り自炊している様子はあまり見られず。
宅配やコンビニ弁当などの空き容器がゴミ袋に入れられている。
疲れて帰って来て、自炊する気力もないのだろう。
空になった酒瓶や缶が、床に置かれたままになっているのも気になった。
いらぬ心配だと思いながらも気にしていると、ふいに野崎が言った。
「あれ以来、一度もあの子の姿を見ないんだよな……やっぱ成仏しちゃったのかな?」
あの子――というのは、あの小さな影の事だろう。
父親のピンチを救う為に現れて、そのまま消えてしまった少女。
野崎にしか本当の姿を見せなかったが……
「成仏したら、やっぱりもう会えないのかな?」
「さぁ……そんなことないと思うけど」
「宇佐美は感じる?あの子の気配」
「――」
聞かれて宇佐美は室内を見渡した。
「……今はなにも」
「そっか……」
野崎は少しガッカリしたように頷いた。
「オモチャでもあったら、遊びに来るかな?」
「あはは。それ、いいかもしれませんね」
宇佐美は笑うと、ふと何か気になる様に視線を玄関の方へ向けた。
――空気が動くような気配を感じた。
野崎は気づかず、ホットサンドを齧っていたが、宇佐美は微かな空気の流れを目で追っていた。
カウンターの上に置いてあったチラシが、風もないのにヒラッと舞い落ちる。
まるで誰かが、息を吹きかけて飛ばしたように――それは宇佐美の足元に落ちた。
「……」
宇佐美は黙ってそれを拾い上げると、僅かに左の口角を上げた。
「クリスマスツリーでも飾ってみたらどうですか?」
「え?」
ふいに言われて野崎は振り向いた。
「クリスマスツリー。子供はきっと喜びますよ」
「ツリーか……」
野崎はホットサンドを食べながらリビングの一角をみた。
殺風景な部屋も、ツリーを飾れば少しは賑わうだろう。
もうじきクリスマスだし、悪くないアイデアだった。
おっさんの1人暮らしには些か不釣り合いにも感じるが、部屋に明かりがついていれば防犯にもなりそうだ。
「探してみるかな」
その言葉に、宇佐美はほくそ笑んだ。
手にしたチラシはただの英会話教室の案内だったが。
そこには大きなクリスマスツリーが描かれていた。
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