第2話 忘却の王女

 まぶたをひらくと、彼女の目に飛び込んできたのは、美少年の白い顔だった。


「......お、王女が、目覚めた!?」


 彼女の顔をのぞき込んでいた美少年は、小刻みに震えだした。

 今の今まで一度たりとも目覚めることのなかった彼女の麗しい寝顔は、決して触れてはいけない神聖な宝石。

 それが今、本来の輝きを取り戻してまばゆい光を放つように、あかい瞳を彼に向けてきたのだ。


「......お、おまえ、だれ?」


 彼女は彼を見て言った。

 しかし彼は何も答えられなかった。

 彼女の声を聞いた瞬間、感動が頂点に達し、わずかな言葉が口から出ることすらも困難になってしまったから。

 美少年はよろよろと後ずさって床に尻餅をついた。

 

「?」


 何が何だかわからない彼女は、疑問を浮かべながら、ゆっくりと上体を起こした。

 頭がボーッとする。

 何かとてつもなく長い眠りから覚めたような、あるいは衝撃的な悪夢からめたような、感じたことのない気だるさがある。


「てゆーか、ここどこなんだ。病院なのか......?」


 彼女は天蓋のかかった大きなベッドから出て、部屋を見回した。

 やけに高い天井。やけに広い室内。

 妙におもむきのある西洋の古風な屋敷のような部屋は、とても日本とは思えない。


「お、王女様......!」


 やっと立ち上がった美少年が、いきなり彼女の足元へひざまずいてきた。


「え?」


 彼女はぎょっとする。


「な、なに」


「お、王女様。いえ、リザレリス王女殿下!」


 美少年の声が広い部屋に響く。

 

「......は??」


 彼女は間抜けな声をらして、ポカーンとする。


「私は今すぐディリアス様へ知らせて参りますので、ここでしばしお待ちくださいませ!」


 そう言って美少年はうやうやしく頭を下げてから、部屋を飛び出していった。


「な、なんなんだよ、いったい」


 寝耳に水とはまさにこのこと。

 彼女には何が何だかさっぱりだった。


「そもそも、なんで俺が王女様なんだよ......」


 そうつぶやいた次の瞬間、彼女はハッとする。

 突如としてあらゆる違和感が怒涛どとうのように押し寄せてきた。


「俺......俺じゃない!?」



 *



 彼女の名前はリザレリス・メアリー・ブラッドヘルム。

 この国〔ブラッドヘルム〕の建国者である伝説の吸血鬼ヴェスペリオ・リヒャルト・ブラッドヘルム王を父に持つ、吸血鬼のプリンセスである。

 かつてブラッドヘルム王からプリンセス・ロイヤルの称号も与えられているリザレリスは、まさしく正統なる終身の吸血姫ヴァンパイアプリンセスなのだ。


「あ、あのぉ......」


 気がつけば舞台衣装のような宮廷ドレスにティアラまで被せられ、うながされるがままに玉座へ座らされていたリザレリスは、ひたすら当惑していた。

 彼女の眼前には真紅の絨毯じゅうたんが川のように伸び、それを挟んで城の者たちがズラッと総出で膝をついている。

 数段高い玉座から、彼女が彼らを見下ろす光景は、まさに王女と家来たちの構図といったところだ。

 ただし家来たちに、それを強制されたような様子は微塵みじんもうかがえない。

 むしろ抑えきれない王女殿下への拝謁はいえつの喜びをこらえているように見える。


 というのも......。


 ついさっきまで、城中てんやわんやの大騒ぎとなっていたからだ。

 ついに五百年の眠りからリザレリス王女が目覚められたと。

 その間、当のプリンセス本人は現実についていけず、ただただ狼狽するのみだったが。


「王女殿下。どうかお言葉を」


 彼女の隣に寄り添って立つ、この眼鏡をかけた長身痩躯ちょうしんそうくの年配紳士はディリアス。

 彼は王女の側近となる人物だ。


「そ、その、ディリアス」


「なんでございましょう」


「い、いや、なんでもない」


 リザレリスの頭の中の混乱は一向に収まっていない。

 前世で刺されて死んだ男が、どこぞのお姫様に転生した。

 それは理解した。

 だが、理解はしても受け止めきれていなかった。


「......てゆーか、なんで前世の記憶も人格もそのままで、このリザレリスとかいう女のそれはまったくないんだ?」


 思わず口をついて出てしまう。

 としたリザレリスは、ディリアスの顔を見上げた。

 ディリアスはきょとんしている。


「王女殿下。なんとおっしゃいましたか?」


 彼の顔を見つめながらリザレリスは逡巡しゅんじゅんするが、すぐに覚悟を決めた。

 というより、すでにもう面倒臭くなったのだ。


「俺の言葉だけど......」


 リザレリスはすっくと立ち上がった。

 一同の視線が、彼女の光輝こうきうるわしい姿へ集中する。

 美しい黄金の長髪に薔薇バラのような紅い瞳。

 それらをより際立たせる透き通るような白い肌。

 まだ十代のうら若き乙女に見えながら妖艶ようえんさも秘める比類なき美貌びぼう

 まさしく、彼女こそ伝説の吸血鬼の娘、吸血姫ヴァンパイアプリンセスだといって誰もが疑わないだろう。


「......」


 皆、息を飲んで彼女を見守っている。

 リザレリスは大きく息を吸い、口をひらく。


「俺、なんにも覚えてないんですけどー!!」


 広々とした玉座の間に、王女の声がトランペットのように響き渡った。


 シーン。


 水を打ったような静寂。

 この場にいる誰もが、きょかれて固まっていた。


「あ、あの、王女殿下」


 ややあってから、おそるおそるディリアスが声をかけた。

 リザレリスは彼に一瞥いちべつをくれてから、再びキッと前を向く。


「だから俺はリザレリスなんて姫様のことも、このブラッドヘルムとかいう国のことも、何もかもなんにも知らないんだよー!!」


 隣のディリアスが狼狽うろたえる中、もはやリザレリスは完全に平常心を失っていた。


「はあ?吸血鬼?なんだよそれ!意味わかんねーわ!五百年も眠ってたって、じゃあ俺は今いったい何歳なんだよ?」


「お、王女殿下、どうか落ち着いてください」


「うるせー!てゆーか、そんなに長く眠ってたくせに、なんでいきなり起きてフツーに活動できてんだよ!何もかもわけわかんねーよ!」


「お、王女殿下がご乱心だ!!」


 ディリアスと他数名の重臣たちが慌ててリザレリスを取り囲んだ。


「は、離せよ!」


「王女殿下!いったんお退がりください!」


「いいから離せって!俺はプリンセスなんだろ!?」


「と、とにかく殿下を自室までお連れしろ!」


 ディリアスの指示の下、重臣たちの手により、リザレリスのわめき声が玉座の大広間から遠ざかっていった。

 取り残された臣下の者たちは茫然としていた。


「......お、王女殿下は、記憶を失くされたのか?」


 なお、王女殿下が女王陛下に即位することが棚上げになったのは、言うまでもない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る