第10話 牛肉が食べたい。
すき焼きが食べたい。というのはつまりほとんど牛肉が食べたいと同義だと思う。
しゃぶしゃぶはなんでもいんだよ。豚でもいいし、ラム肉でもいい。寄せ鍋の肉がなんでも問題ない。カレーもビーフでもポークでもチキンでもいい。
すき焼きだけは牛肉じゃあないとダメだろうがよ。アナンダマイドが出ないんだよ。
ということでしばらく呆けて暮らしていた。これまでずっと張り詰めていた糸が切れたような気分だった。ああ〜あ。すき焼きが食べたかったなあ。すき焼きが一生食えないというのがこんなにも辛いこととはな。はあ。は〜あ。
とため息ばっかりついてると、ユスラに心配された。「すき焼きがどうしても食いたくて」と言っても意味わかんなすぎるだろうから、「いやあ、忙しくしていたからあまり気にならなかったが、記憶がないというのは思ったより不安でね」と言うと、「そういえばそうだよね。なんか、平気そうだと思ってすっかり気にしていなかったけど……」と言われる。まあいや実のところはそうでもないんだけどね。
とはいえ、両親のことはユスラも覚えていないらしい。で、この集落で拾われてからで言うと、みんな穏やかで良い人たちばかりだから、それこそちょっと前に魔獣が来るまで特筆すべきような出来事もなく、半ば植物のように暮らしているから、そんなに「これ」と語るようなエピソードもないみたいだ。でも、ユスラはどこか楽しそうに、森を散歩してたらアルミラージ(ドラクエ3に出てくるのと同形なのであろう)を見かけて、かわいいからどうしても捕まえたかったけど捕まえられなかった話とか、ラタトスク(リスっぽい哺乳類なのであろう)を捕まえるために罠を作ったけど、「偶然」罠が壊れて(というか多分ラタトスク自体の「魔法」の力なのであろう)逃げられて泣いちゃった話とかをしてくれた。そういえば、この集落に来てユスラが撃退した魔獣というのはどういうやつだったのか? と聞くと、ペリュトンだと言う。四つ足の哺乳類で、木の枝のようなツノが生えてて(ほな鹿か?)、背中には翼が生えているという(ほな鹿と違うか)。知らね〜動物。と思って、ふと気づいた。
この世界に「牛」はいないかもしれないが————牛肉みたいな味のする獣は存在するのではないか?
ミノタウロスは頭部が牛で身体が人間だが、ケンタウロスは頭部が人間で体が馬だ。ということは、ミノタウロスのケンタウロス版みたいなやつがいたら……流石に倫理的にダメな気がするが……とにかくなんか、「ある」か? あるような気がしてきた。
サンとウカはもう数ヶ月うちに滞在しているが、もともとは「冒険者」を目指していたという。俺とユスラもそれに便乗して世界を巡ったら、どこかには牛っぽい味のする獣がいるのではなかろうか? 俄然勇気と希望が湧いてきた。俺の瞳に炎が灯ったのを見て、ユスラは少しほっとしたように笑った。人間はパンのみに生くるにあらず。すき焼きを構成するすべての食材によって生きている。そう思った。
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