〈第三話〉『学校の怪異』

 埃っぽい教室の中に、薄いガラス窓を引っかく音だけがこだましていた。

 キィー、キィーと耳障りな音を立てて、幾重にも傷がついたガラスの一部に、ドン、と強い衝撃が与えられる。ガラス窓には、叩かれた場所を中心に蜘蛛の巣状のひびが走り、幾分、強度が弱まったようにも見えた。と、再び、そこを引っかく音が響き始める。今は夜中だ。作業を邪魔するものは何もない。

 ひびと引っかき傷で相当弱まったガラス窓に、更にドン、と衝撃が与えられた。ガラスは音を立てて砕け散り、空いた穴からは新鮮な空気が入り込んでくる。冷え冷えとした秋口の夜気だ。

 作業の主はその成果に満足すると、身をかがめてガラス窓の穴をくぐり抜けた。それから大きく伸びをし、どこへ向かうともなく歩き出すと、闇夜の廊下に足音が遠く消えていった。


 * * *


 天高く、実り豊かな季節がこの事務所にも訪れようとしていた。

「こんにちは。遅くなりました」

 玄関扉に軽快なノックをし、愛が姿を現した。自身の学業を終え、今日も豊の事務所に出勤したのだ。部屋の中には、やあ、と応えた豊の他に、珍しい客がいた。

「おう。久しぶり」

 客、というには語弊がある。黒縁の眼鏡に白衣といった出で立ちの、多忙ゆえに事務所には滅多に顔を出せない彼もまた、ここの所員であるからだ。

「新田さん。お久しぶりです」

「いいねぇ、高校生は。勉強はどうだい」

「なんとか。隼は追加の課題が出て、うんうん唸ってますよ」

 相変わらずだね、あいつは、と気だるげに言う新田は、手にしたマグカップのコーヒーを啜ってから、伸びをしてソファの背もたれに身を預けた。この部屋は受付と応接室を兼ねており、玄関の真正面には受付の机が置かれているが、その隣は全て応接用のスペースで、向かい合わせのソファが大きなテーブルを挟んで鎮座している。

 いつも忙しそうな新田が、豊の事務所に来ていながら、こうしてゆったりと過ごしているのは、愛にとっては初めて見る光景だった。

「新田さんは、大学のほうはいいんですか?」

「教授が学会で海外に出てる。一週間は暇人だ」

 たまには良かったじゃないですか、と明るく返した愛に、まぁね、とだけ答えた新田は、彼の向かいでノートパソコンに向かう豊の方を振り返った。豊は、二人のやりとりに耳も傾けず、画面上のデータを睨み続けていた。

「どうよ。この間の結果は」

「やはり、例の家が中心となるようだ。成分が決め手になった」

「そりゃ、俺の功績だな」

 背後に回って軽口を叩いた新田に、そうだね、とだけ返事をした豊は、また黙って作業に没頭し始めた。一週間前から扱っている、とある案件について、採取したサンプルの分析を、豊が新田に頼んでいたのだ。

 お前も相変わらずだね、仕事ばっかり、と感心まじりに新田がぼやいたところで、受付の電話が鳴りだした。愛が応対に出て、暫く話を聞いていたが、やがて困ったような顔になり、彼女の様子を窺っていた豊に声を掛けた。

「豊さん。学校からの依頼なんですけど……」

「学校?」

 鸚鵡返しの返事をする新田をよそに、豊は黙って受話器を受け取ると、そのまま愛から話を引き継いだ。

「学校が何だって?」

「三週間くらい前から、あちこち物が壊されたり、そういう悪戯みたいなのが続いてるんですって」

「んなの、学校内で解決しろよな」

 あっさりと切り捨てる新田とは対照的に、豊は電話口でじっくりと事情を聴き、最終的には、分かりました、今からお伺いします、と告げて通話を終えた。

「今から依頼先に向かう。愛は一緒においで」

「待てよ。それって俺が電話番?」

「新規の依頼に一から付き合うのと、どっちがいいかい?」

 とうに答えは分かりきっている、といった調子の豊からの問いに、うーん、と唸り声をあげて天井を仰いだ新田は、最後には降参したように、分かった、とだけ返事をした。げんなりとしたその表情と声音に、愛も笑いを抑えきれない。

「鈴村が戻ったら、こちらから連絡するまで待機と伝えてくれ」

 いつもの長い黒色の上着一枚に、最低限の調査用具と、携帯端末が入った鞄を持った豊は、愛の支度が済んだのを確認すると、玄関扉を押し開けた。了解、という新田の返事を待ってから戸が閉められる。色付きはまだ遠い緑の街路樹を、秋風が鮮やかに駆け抜けていった。


 * * *


 件の高校に着くと、二人は校長室へと案内され、中では校長と教頭が、揃って彼らを待ち受けていた。

 話を聞くこと三十分、要約すれば愛が新田に述べた一言に変わりはなかったが、各所でそのような事態が続いているにも関わらず、夜間の見回りや警備を強化しても、一向に不審者は見つからない、というのが現状のようだった。教頭から、これまでに起きた事件をリスト化したものを渡されたが、器物の損壊や異音が大半といったところだった。

 まずはこれまでに起きた事件の現場を調査すべく、豊は席を立ち、愛と共に校内を歩き始めた。放課後特有の、ざわついた空気が学校中に溢れている。廊下で立ち話をする生徒たちの笑い声、グラウンドから遠く響く威勢のいい掛け声、教室から漏れ聞こえる部活動の話し合い。夏休みを過ぎて文化祭も終え、時節柄、一段落ついた頃合と言えども、校内の活気はなかなかどうして落ち着きを見せてはいない様子だった。

「どこから調査しましょうか?」

「旧校舎に行こう。最初にガラス窓が割られていた所だ」

 階段を上がり、廊下を曲がったところで、校舎のあちこちを眺めながら歩いていた愛は、出会いがしらに人とぶつかってしまった。よろけた体勢を立て直してから、すみません、と相手に謝るも、学ラン姿の男子生徒は、いえ、と素っ気なく言っただけで、そのまま歩いて行ってしまった。愛は、ほとんど無表情だった彼の後ろ姿が気になった。

「行くよ」

 豊の言葉に、愛は慌てて振り返り、再び旧校舎へと歩みを進めていった。

 現場は、ここ数年に渡って使われていない空き教室で、飛散したガラスは残さず片付けられていたものの、割られた窓の本体は、枠ごと外されていただけだった。全体的に埃っぽい空気の中、その窓の周辺だけに丁寧な清掃がなされており、周囲とは明らかに異なる雰囲気を放っていた。

 豊は、ガラスの外された窓辺に近づくと、窓から床へと至る壁を注視し始めた。犯人の指紋でも探し出すのか、といった様子で丁寧に壁を検分し、ついには微細な毛を発見した。

「これは……?」

「合成獣の体毛だ。まだ種類までは特定できないが」

 豊さんでも特定できない合成獣がいるのか、との意外さと、それでもこうして合成獣に繋がる証拠を見つけ出せるなんて凄い、という尊敬の念が、愛の心中で同居した。

「まだ悪戯の線も捨てきれないが、合成獣による被害の可能性も出てきた。引き続き各所を調べよう」

 二人は旧校舎をあとにし、夜間に荒らされたという美術室へと足を運んだ。美術部の活動日だということで、室内では各人が展示会に向けて銘々の作品に取り組んでいる。活動の妨げにならないよう、ほとんど言葉も発さずに黙々と調査を続ける二人を、部員の女子生徒たちが、ひそひそ声で噂した。

 一夜のうちに備品の大半が散乱していた、という美術室も、今となっては片付けられており、目ぼしい証拠は見つけられそうになかったが、埃を被ったまま壁際に並べられている石膏の胸像群の中から、旧校舎のものとは違った合成獣の毛を採取することができた。荒らされたあとの片付けでも、横倒しになっていた多数の像を起こしただけで、ろくに掃除はしなかったようだ。

 二人を遠巻きに見ていた女子生徒たちが、学校内に合成獣がいるの? やだー、気持ち悪い! でもまぁ、ユーレイよりはまともなセンじゃない? などと話している。会話の内容が気になった愛は、校内の不審事件について、彼女達に聞いてみることにした。

「あれでしょ? 旧校舎の窓が割られた、ってやつ」

「美術室もさ、朝来たらぐっちゃぐちゃになってた、って先生が嘆いてたし」

「体育館の照明が急に消えたって!」

「音楽室の楽器がひとりでに鳴るとか……」

「中庭の池のところに、男子生徒のユーレイが出るって」

 最後の方は単なる七不思議のように思え、半信半疑で聞いていた愛だったが、他ならぬ豊が、その話に興味を示した。

「そういった幽霊話は、いつ頃からあったんだい?」

「前はぜんぜん。最近、校内で変な事件が続いてるでしょ? それからだよね」

 ねー、と他の生徒たちと確認するように頷き合う彼女たちを見ながら、何かしら思案していた様子の豊だったが、活動の邪魔をした礼を述べると、愛を引き連れて美術室の外へ出た。

「豊さん。今の話、関係あると思いますか?」

「一概に無関係とは言えないだろう。誇張された話もあるにしろ」

 現に、体育館の照明については、何者かに配線が切られていた、という旨で教頭からのリストにも載っていたが、楽器や幽霊についてはさすがに言及されていなかった。

 そのまま二人は、これまでに被害を受けた箇所を順に回っていき、何かしら証拠に繋がりそうなものを探していったが、悪戯程度の事件では、どの現場も被害が発見されてから、すぐに片付けられてしまっており、決定的な手掛かりを得ることはできなかった。それでも、豊が各地点で見つけ出したものがある。合成獣の体毛だ。

 しかし今回に限っては、犯人が合成獣だと、すぐには断定できない理由があった。

「全部、別の種類ですよね……」

 述べ七か所で採取した合成獣の体毛は、長さや質感、色といった特徴が全てばらばらだったのだ。初めに旧校舎で見つけたものは細長くしなやかな橙色、美術室のものは太く固い灰色、そして体育館の配線版に張り付いていたものは深い緑色だ。一般に、色鮮やかな体毛を持つとされる合成獣と言えど、これらの毛を全て持ち合わせているような種類は確認されていない。

「今日はもう遅い。いったん事務所に戻ろう」

 採取したサンプルを鞄にしまい、夜間の警備は引き続き厳重に行うよう教頭に頼み込んでから、二人は学校を後にした。夕暮れ時の陽は落ちかけ、地面に映る影を長く伸ばしていた。

 二人が事務所に戻ると、新田に加え、隼も応接室に姿を見せていた。だが、彼に限って言えば、留守番をしていた訳ではなかった。煮詰まった科学の課題を、新田に見てもらっていたのだ。

「お帰り」

 テーブルに突っ伏して、訳わかんねぇよ、とうめき声を漏らす隼に代わって、新田が戻った二人に挨拶をした。

事務所こっちは何もなかった。そっちはどうだ?」

「合成獣の痕跡を複数確認した、とは言えるが……」

「お前が出ると、いつも合成獣絡みになるよな」

 一般の業者が見落としがちなだけだ、と豊は常々言うのだが、実際、『調査事務所』とだけ銘打っているにも関わらず、彼の専門である合成獣の絡む案件が、何故だかこの事務所には数多く舞い込むのだった。

「でも、こんなに多くの種類が学校にいるでしょうか?」

 机の上に並べられたサンプルを見ながら、愛が率直な疑問を述べた。まだ経験の浅い彼女と言えど、この事務所に通うようになって半年以上も経てば、今回のような痕跡の見つかり方が異様なのは、一目瞭然だった。

「確かに。食糧の確保といった点から見れば、学校は合成獣にとってそう棲みよい環境ではない。互いに『共鳴』し合う性質から言っても、校内にこれほど多くの種類が共存するというのは考えにくい」

 豊の言葉に、うーんと愛が考え込んでいたところで、応接室の大時計が鳴った。時刻は既に午後の六時だった。

 隼と愛に、明日また事務所に来るよう豊が告げて、学生二人が帰宅すると、応接室は賑やかさを失い、規則的な秒針の音だけが響き出した。鈴村は、別室で書類をまとめているようだった。

「新田。今週は大学に行くかい?」

「学部生の世話があるし、一回は顔出さないといけねぇな」

 そうか、と呟いて、豊は珍しく溜め息をついた。そうして、暫しの静寂が続いたのち、重たげな口を再び開くと、申し出にくそうに言葉を紡ぎだした。

「今日採取したサンプルを、分析に掛けてもらいたい。……明日、頼めないか?」

「貸せよ。今から行く」

 新田はぶっきらぼうに言うや否や、白衣の上に薄手の上着を羽織り始めた。まだ秋の初めとはいえ、日没を迎えると、外気は途端に冷ややかになるこの頃だった。

「……すまないな。いつも」

「構わない」

 簡素な返事をして、サンプルを受け取った新田は、すぐに玄関へと向かったが、ふと立ち止まると、豊の方を振り返った。

「お前がこの仕事を続けてるのは、博士のためだろ?」

 新田は返答を待たずに、足早に事務所から出て行った。後には、沈黙する豊が一人取り残された。


 * * *


 翌日は、鈴村を事務所に残すと、隼を加えた三人で高校へと出向いた。警備の記録や監視カメラの映像を確認させてもらうも、不審な人影はまったく見当たらなかった。一応、複数種の合成獣が学校に棲み付いている可能性を視野に入れ、昨日調査した現場を中心に、刺激剤の入った罠を要所に設置していく事にする。

 次の目的地は、一階の校舎の端、校庭に直接面している野球部の部室となった。美術室と同様、夜間に荒らされていたという。昨日調査をしたときは、部活動のない日だったので、教頭に鍵を開けてもらったのだが、本日は活動日ということで、三人は直接現地へと向かう。廊下を歩く途中、ジャージを着た運動部の生徒たちと多数すれ違った。

 豊は部室の戸を開くと、休憩中の部員たちに断りを入れ、部屋の隅やロッカーの隙間に、愛と二人で手際よく罠を仕掛けていった。隼は、室内が荒らされていた当時の状況について、部員たちに詳しく聞き込みを行う。

 と、ジャージ姿の生徒が一人、遅れて入室して来たかと思えば、それは昨日、愛が廊下でぶつかった男子だった。

「何してるんすか」

 あまり抑揚のない、冷めた声で話しかけてくる。言葉の内容とは裏腹に、本当に彼らの挙動を気にしているのか、甚だ疑問を覚える口調だった。

「校内で続く不審事件の調査だ。学校から公式の依頼を受けている」

「事件ったって、悪戯みたいなもんじゃないすか」

 少年は、変わらぬ淡白な調子で喋り続けてはいたが、言葉の端にはどこか、部外者である彼らに対する反発心が感じられた。豊が、すかさず彼に質問を切り返す。

「何か調査されては困るものでもあるのかい?」

 いえ、別に、と答えたきり少年は口を噤んだが、そこで屋外からどなり声が響いてきた。

「山瀬! 何やっとる」

 叫んだのは、野球部の監督らしき中年の男性だった。休憩時間は既に終了し、練習が再開していたようだ。少年は黙ったまま、彼らに浅く目礼をして、そのままグラウンドの方に駆けていった。

 次行こうぜ、と言ってさっさと歩き出した隼に付いていきながら、愛は野球部の練習風景を見やった。威勢よく校庭の外周を回っていく部員たちの中で、山瀬という少年は、ほとんど表情もなく淡々と走り続けていた。あまり生き生きとした様子には感じられなかった。


 * * *


 引き続き、これまでに被害を受けた現場を中心に、校内の各所に罠を仕掛けていき、一通りの作業を終えると、既にそこそこの時間となっていた。休憩用にあてがわれた空き教室に戻ると、豊は携帯電話で新田に連絡を取り、前日に頼んだ分析の過程について報告を受けた。通話を終えたところで、愛が豊に疑問を呈す。

「今回は、センサー類やカメラを設置しなくていいんですか?」

「合成獣が犯人であれば、捉えるには罠だけで十分だ。悪戯ならば同じ場所を繰り返し狙うことは考えにくいし、かと言って学校内を全てカメラで監視するのは現実的ではない。あとは、新田の方の結果次第だったが」

 今回は手こずっているようだ、と言って、豊は手近にあった椅子を引いた。

「サンプルの種類が多かったからですか?」

「それもあるが、今回は特殊な解析を頼んでいる。普段ならばまず必要ないレベルだが……」

 豊がそう答えた所で、彼の携帯電話に着信があった。発信元は、事務所で留守を預かっている鈴村だった。

「どうした?」

『警察から新規の依頼が入りました。化学工場の発火事故現場にて、合成獣の痕跡が多数確認されたそうです』

「仕方ないな。こちらから直接向かおう。愛を事務所に戻すから、鈴村は合流する用意をしてくれ」

『了解しました』

 通話が切られ、豊は小さく息を吐く。それから愛の方を振り返ると、短く指示を出した。

「別の依頼が入った。今から現場に向かうから、愛は事務所に戻ってくれるかい」

「分かりました……」

「って、所長。俺は?」

「一緒に来るんだ。一人で留守番をさせれば、受付で居眠りをするだろう」

 うげぇ、と言って面倒臭そうな顔をしつつも、隼は手荷物をまとめ始めた。持ち物の少ない愛は、事務所に戻る準備を一足早く終えて、彼らより先に学校を出た。

 事務所に着くと、鈴村は既に、愛と入れ替わりで外出する用意を済ませていた。

「お疲れ様です」

「それでは留守をお願いします。所長からまた指示があるでしょうから」

 はい、と了承の返事をすると、すぐに鈴村は出て行った。人気ひとけのない事務所の中を、しんと静けさが支配する。こういう時、まだ経験の浅い自分は、隼と同い年でも現場では役に立たないんだろうな、と愛は思う。

 受付に着き、小まめに連絡を確認しながら学校の宿題を広げたが、二つの事件が気に掛かって、なかなか捗らなかった。こうして忙しなく仕事をこなす豊たちを見ていると、よく自分の依頼など受けてもらえたものだ、とも感じられ、続けて両親のことを思い出し、物悲しくなってしまった。

 予想に反して、二時間も経たないうちに、三人は事務所に戻ってきた。愛は慌ててお茶を淹れ、どうだったんですか、と豊に尋ねてみたところ、しょうもねぇ依頼だったよ、と横から隼が回答した。

「配管からの漏水で腐食した天井裏に、ツノネズミがコロニーを作っていただけだ。この程度でいちいち呼び出さないでもらいたい」

「でも、私のときだって、大した事件とは……」

「あれは警察の捜査後だから構わないんだ。今回の案件は駆除業者の仕事だ」

 自分たちの役割は警察のあとに在る、というのが豊の持論だった。そもそも彼らの本来の仕事は、調査であって駆除ではない。警察が一通りの捜査を終えてなお、不明な点があった場合に、調査を引き受けるのが彼らであり、今回のように、必要なのは害獣の駆除だけだとすぐに分かる案件ならば、依頼する相手は(一般人の手に負えない合成獣である場合を除いて)彼らではなく、駆除業者であるべきなのが筋だった。

「金子邸のときは、オカガエルの駆除までやらされたじゃないっすか」

「あの時は、原因の対処まで含めた依頼だったからね。何にせよ、あそこまで業者を呼ぶには時間が掛かりすぎた」

「今回は警察側の速断にあたりますね。担当の刑事にその旨は伝えましたが」

「いつもの駆除業者に連絡を取ってきた。あとは任せた」

 豊の語気も、どこか投げやりといった雰囲気を帯びていたが、無理もなかった。高校の事件の調査に水を差されたのは事実だった。

 その日はそのまま解散となったが、夜道を歩く愛の頭には、ある考えが浮かんでいた。あの高校で、合成獣の痕跡を確認したあとも、豊が業者に依頼を引き継がなかったのは、何か特種な合成獣がいる可能性があるからでは――?


 * * *


 翌日、帰り際のホームルームが長引いた影響で、愛が普段よりも少し遅れて事務所に着くと、所内にはやや不穏な空気が漂っていた。

「何かあったんですか?」

「例の高校で、新しい事件が起きたってよ」

 やれやれ、といった調子で隼が答える。現場に向かう用意をしていた豊が、池の魚が全滅していたそうだ、と簡潔に補足した。

「それは、病気とかじゃなくて……」

「無論、故意的なものだ。昨日までは全く異常がなかったそうだ」

 愛は溜め息をついた。器物損壊も許されたことではないが、生き物が標的になったのは、特にいい気分ではなかった。

 三人が高校へ向かうと、事件の起きた中庭は、生徒が立ち入らないよう封鎖されていた。円形の池に近付けば、数メートルは離れた手前でも、生物の腐った悪臭が漂っている。水面には、鯉の死体がいくつも浮かんでいた。

 豊が手袋を嵌め、死骸の一つをゆっくりと引き上げた。隼は鼻をつまみながらも、その鯉を凝視する。頭の付け根の辺りに、小さく食いちぎられたような跡。中庭は四方を校舎に囲まれており、天窓もある。野生の生物による被害ではないのは明らかだった。

 合成獣だろう、と豊が小さく判じるのを聞き、愛はまた溜め息をついた。

 校内の各地に仕掛けておいた罠を確認すると、その内のいくつかは壊されていたが、人間の悪戯による破損ではなかった。どれもが、内側から無理やり打ち破られたような壊れ方をしており、何よりも、合成獣の毛が付着していたからだ。

「だからって、こんな広い校内で何匹も退治に回るの、俺、嫌だぜ?」

 休憩用の空き教室で、文句を垂れる隼をなだめながら、愛は豊の様子を窺った。彼は先ほどから、携帯電話で新田と話し込んでおり、二人の方を気にするそぶりは全く見られなかった。

 数分後、了解した、と言って通話は切られ、豊は学生の所員二人を振り返った。

「今回の犯人だが」

 合成獣なんですよね、と愛が言おうとした矢先に、意外な言葉が彼の口から発せられた。

「捕獲するにあたり、一度事務所に戻る。現状では用意が不十分だ」

「準備って。また俺らで退治するんですか? 業者に任せちゃいましょうよ」

「そうはいかない」

 隼の不平不満をばっさりと切り捨て、豊は更に続けた。

「一連の事件で、各地で採取したサンプルの分析結果が出揃った」

「んで、どんな結果だったんです?」

「全てのサンプルのDNAが一致した。この意味が分かるか?」

 予想だにしなかった内容の問い掛けに、驚いた愛は一瞬、思考を詰まらせたが、すぐさま我に返り、その意味する所を考え始めた。あの多様な体毛が、全て同じ個体のものであるとすれば、それは。

「……指定ランク〔A〕、メタモルフォーゼ能力を有する、『虹』の一個体だ」

 隼と愛は、思わず息を呑んだ。

 驚異的な発達力をもつ人工細胞からなる『合成獣』といえど、姿を自在に変えられるような能力をそなえた品種は、数えるほどしか存在しない。それらは全て“ランク持ち”であり、中でも『虹』は、同種と認定できる個体が三体、成熟した、との記録が研究所のデータに残されていた点で、とりわけ特異な品種だった。

 ランク〔A〕以上の合成獣は全て、『虹』のように個別の名称を与えられているのだが、『虹』以外の品種は一つの例外も無く、一個体ずつしか存在しないからだ。

「『虹』って、どうして分かったんすか!?」

「合成獣対策本部に、八年前に捕えられた別個体の記録が保持されている。今回のサンプルのデータが一致したんだ」

 嘘だろ、といって隼はかぶりを振った。二ヶ月前の金子邸に続いての、ランク持ち合成獣の出現になる。

「おかしいだろ、最近。この分じゃそのうち『ひじり』とか出てくるんじゃねぇの」

「隼。無駄口はいい。いったん事務所に戻る」

 厳しい口調で咎める豊に、愛は今すぐ詳しい質問はできなかった。『聖』というのは、ほんの数種類しか存在しない〔S〕ランクの一つ、人間と同等の知能を持つとされる最高位の特殊危険指定種だったが、豊の事務所に所属する彼女でさえ、ろくに噂も耳にしたことがないほどの存在だ。隼お決まりの軽口だった。

 事務所で留守番をしていた鈴村に連絡を入れてから、三人は早急に高校をあとにした。まずは『虹』をいかにして誘き寄せるかが第一の課題だったが、豊は簡単だ、と事もなげに告げた。

「校舎内という閉鎖的な環境、今日の鯉が襲われた事件からしても、奴はそろそろ飢えている。餌を用意すれば喰いつくだろう」

「餌って、何を用意するんですか?」

「幸いにも八年前の記録が豊富にある。当時はまだ、合成獣駆除の薬剤が開発されていなかったから、強固な檻に閉じ込めて監禁し、飢えさせる以外、殺す方法がなかったんだ」

 合成獣の人工細胞に効果のある化学物質がようやく発見されたのは、今から四、五年前のことだ。

「八年前の個体は、合成獣駆除の研究のために、対策本部の管理下でしばらく飼われたのち、餓死させられた。餌として様々な食物を与えたが、最も喰いつきが良かったのは鶏肉だったそうだ」

 事務所でパソコンの画面にデータを映し、真面目に解説を続ける豊だったが、隼は、はぁ、と冴えない返事をした。ランク〔A〕をもつ合成獣を前にして、鶏肉では緊張感がなさすぎる。愛も内心では同様の感想を抱いてしまったが、口には上らせないでおいた。

「『虹』は変身能力が桁違いなだけに、知能がそう高くないのは救いだな。今日中に罠を仕掛けよう」

 分かりました、と鈴村が答え、彼女が餌の調達に赴くと、隼と愛は豊の指示に従い、捕らえる罠の強度を高める作業を始めた。

 強化プラスチック製の箱を金属板で補強する工作に、二人が苦戦していると、今夜は泊まりになる可能性もあるから、予め準備をしておいた方がいい、と豊から通告された。

「泊まりって。どういうことすか?」

「何せ、今回の相手は自在に変形するから、我々がすぐに用意できる軽易な罠では、長時間に渡って封じ込めておくことはできない。昨夜のように破壊されてしまえば」

「じゃあ、俺たちの作業は必要ないんじゃ」

「補強はあくまでも時間稼ぎだ。我々が『虹』を始末するためには、罠に掛かった奴が、変形して脱出し終えるまでの間に、直接捕えて薬剤を打つ必要がある。常時、監視をしなければならないから、下手をすれば夜中になる」

 げぇっ、と悪態をついて、隼は箱の上に体をもたれさせた。愛は、せっかく補強した罠が壊れやしないかと気が気ではなかった。


 * * *


 準備を万全に整えてから、一行は再び高校へと赴き、校長に事情を説明して、校内に泊まり込む許可を得た。

「罠は、どこに仕掛けるんですか?」

「部屋が広すぎても狭すぎても、一固体を捕獲するには適さない。加えて、合成獣は基本的に人目を嫌うから、使用頻度の高い場所では、すぐに罠に掛かる望みは低い。特に『虹』は暗闇を好む性質があるから、教室や倉庫よりも、写真部の暗室が良いだろう」

 四人は鍵を借りて暗室を開け、照明を点けると内部を見渡した。部屋の中央には大きな机が一つだけ、周囲の壁沿いに棚が三つほど備え付けられている他、隅には幾つかの段ボール箱が積まれてはいたが、こざっぱりと整頓された室内には物品も少なく、床面積が数平方メートルの小さな暗室は、害獣の捕獲にはうってつけの部屋だった。

 餌を入れた罠の箱を机の上に置き、続けて暗視カメラやセンサーの類を部屋中に設置した。照明を落とすと、待機用に借りた教室に移動し、無線でデータを収集するノートパソコンを立ち上げ、暗室の様子を注視する。画面上に映し出されている、暗視カメラの映像は、ほとんど真っ暗だ。静まり返った教室の中に、カチカチというマウスの操作音だけが響き出した。

 下校時刻のチャイムが鳴ると、校内はそこかしこが一斉に、帰宅する生徒のざわつきで満たされたが、十分も経つとまた、元通りの静けさが取り戻された。窓の外からはカラスの鳴き声が聞こえてくる。叔母の家にいったん帰宅して、明朝に登校する用意を済ませていた愛は、今日の宿題と明日の授業の予習をし、隼は来週末までに提出する課題の仕上げに取り掛かっていた。

 交代でモニターの番をしながら、七時を回ったところで順繰りに夕食を取る。愛は叔母が簡単に持たせてくれた弁当を開け、隼は持参した水筒からカップラーメンに熱湯を注いだ。大人二人は市販の弁当を食べ終えると、鈴村はモニターの監視に戻り、豊は『虹』の始末報告書の準備を始めた。隼は課題のワークシートを机に広げ、俺こういうの苦手なんだよね、いつ来るか分からないってやつ、と言って、手持ちぶさたそうにペンを回し出した。

 九時を過ぎると、辺りの冷え込みは一層強まり、床からはひやりとした冷気が立ち昇ってきた。四人しかいない閑散とした教室に、エアコン一台だけでは暖房効率も悪く、保健室から借りた毛布を掛けて、なんとか寒さをやり過ごす。隼と愛が、早くも眠気に襲われ始めた頃、モニターを監視していた鈴村が、鋭く声を上げた。

「反応が来ました」

 三人は一斉にモニターに詰め寄った。ピーッ、というセンサーのブザー音が繰り返し発せられる中、画面上には異様な物体が映っている。巨大なアメフラシのような生物が、罠の箱に取り付いている、とでも言えばいいのだろうか、姿の全容を把握するのに、愛は幾らかの時間を要した。うねうねとしたその動きは、とてもではないが、見ていて気持ちの良いものではない。

 鈴村がパソコンを素早く操作し、サーモグラフィーの映像に切り替える。体温は人間よりもやや低い、不定形の生物が、餌の入れられた罠の箱に覆い被さり、まさに入口から中に入ろうとしていた。

「引き続き監視を。隼、愛、行くよ」

 豊は短く指示を発し、暗室のある方向へと駈け出した。隼は薬剤の入ったスプレーを取り上げ、慌ててそのあとを追う。暗闇の階段を、豊はほとんど意にも介さず駆け下りていった。最後尾となった愛は、懐中電灯で足元を照らし、隼と自分が転ばないように気をつける。廊下を走りながら無線のスイッチを入れ、鈴村との連絡を保った。

 暗室の前に三人とも揃った所で、豊が扉を開け放ち、部屋の照明を点けた。室内が一気に光で満たされる。中央の低い机の上には、破れかかった罠の箱。そして、中からはみ出すように見えるのは、体長およそ五十センチほどの、全身が黄色の毛で覆われた、巨大なアメフラシのような合成獣。

『虹』は、突然の強い光に、明らかな動揺の色を見せた。罠の箱からは離れぬまま、その場で妖しくうねり出したかと思うと、中空に伸ばした突端から、見る間に色と形を変えていき、緑色の細長い生物へと変貌していった。その新たな姿は、蛇というよりも、まるでウツボかアナゴのようだ。

 豊が机へと駆け寄り、『虹』の身体を掴もうという頃には、相手は既にその変化へんげを終え、彼の手からするりと抜け出した。意外にも俊敏な動きで、罠から一気に離れると、床へと飛び降りて這い逃げようとするが、そこへ隼が、薬剤のスプレーを吹きかけた。『虹』は、じたばたともがき出し、どこにあるのか分からない口から、ギギギと威嚇の声を上げた。

 薬剤の注射を打ち込もうと豊が繰り出した手を、バチンと弾き返し、『虹』は再び変化を始める。細長い体躯を丸めて、一つにまとめたかと思うと、桃色をした球形の物体になった。そのまま床の上を弾んで逃げ出そうとした所に、豊が鋭く蹴りを喰らわせる。桃色のボールは吹っ飛ばされ、壁に激しくぶつかって再び床に落ちた。

 打撃が果たして有効なのか、と部屋の入口に立ったまま動けずにいた愛は思ったが、相手は合成獣とはいえ、そこは生身の生物、強い衝撃を食らった『虹』は、力なく転がると、先ほどよりも弱々しく、ギギギと声を発した。と、二人の追手から逃れるべく、室外へ逃げ出そうとした『虹』が、彼女の方へ飛び跳ねてくる。愛はとっさに、手にしていた懐中電灯を向けた。

 強烈な光を浴びた『虹』は動きを止めた。そこへ隼がすかさず、再び薬剤のスプレーを吹きかける。キィーッと悲鳴を上げた『虹』は、最後の抵抗なのだろうか、力を振り絞るように変化を始めた。豊は『虹』に駆け寄ろうとしたが、ふと、硬直したように立ち止まった。その変身が、今までとは違う異様さを伴っていることは、その場にいた全員が、直感的に感じ取れたからだ。気を付けて下さい、と無線から遠く鈴村の声がする。

『虹』は、どろり、と床に根を張ると、その上に球形の頭を、短い柱で持ち上げた。特筆すべきは全身の色だ。元の濃い桃色を薄めていった、と同時に、段々と黄色味を帯び始めて、仕上げに少しくすんだその色。愛たちが良く知る、人間の肌の色だ。

 その頭は、見る見るうちに黒の頭髪を伸ばし始め、顔には、耳や鼻といった突起をこしらえる。目元が窪んで眼球が現れ、唇の線が引かれた。そうして変化を終えた時、その場に在ったのは、肩から上だけが床の上に生えたかのような、実物大の、人間の頭だった。初めて愛がこの高校に来たとき、廊下ですれ違いざまにぶつかった、あの、無表情な少年の顔。

 そして、ニタリ、と表情を歪めたかと思うと、ゆっくりと、口を開いてみせた。

『バ……バ……バケ……モ……ノ』

 続けてギギギと声を発し、狂ったようにケタケタと笑い出した。

 少年の首と、正面から向かい合っていた豊は、無言のまま、一歩、に近寄った。思いもよらぬ『虹』の変化に、固まっていた隼と愛は、何も言えずに、ただその様子を見守っていた。

 豊は、決して気を抜かず、それでいてどこか、目の前にある首を憐れむような、静かな威圧感のある表情で、に近付いていった。それから、そっと懐に手をやり、銀色の尖った物体を取り出すと、対象を見つめたまま、硬い声で、隼と愛に命令を下した。

「……二人とも、後ろを向くんだ」

 愛は、何も考えず、とっさにその言葉に従って、耳を塞いだ。隼も同様だった。ぐちゅり、とにナイフを突き刺す瞬間が、背を向けていたのに、確かに分かった気がした。

 傷口から体液がどんどん溢れ出し、床に流れてはジュワッと蒸発していく。異形の生物は、凶器を突き立てられた傷跡から、切り開かれるように形を崩し、ビビビーッ、と甲高い悲鳴を上げ、激しく悶えて姿を縮こませていった。豊は、黙ったまま一連の変化を眺め続け、最後にアンプルを取り出して、残った物体に薬剤を注射した。先ほどよりも一回り小さい、焦げたような虹色の球体だった。

 それから、豊は初めて溜め息をつき、後ろを向いていた隼と愛に、もういいよ、と柔らかく声を掛けた。恐る恐るこちらを振り向く二人に微笑んでみせ、鈴村を呼んで撤収しよう、と優しく指示を出した。はい、と同時に返事を発した隼と愛は、互いの顔を見合わせると、気まずそうに笑みを浮かべてから、それぞれ動き出した。時刻は夜の十時になろうとしていた。


 * * *


 その日はもう遅いということで、解決した旨だけを校長に電話で連絡し、宿直の教師に閉門を頼んで、四人は学校を出た。翌日、改めて高校を訪れてから、豊は詳細な報告をしに校長室へ向かい、隼と愛は暗室の片付けを始めた。昨晩、体液の飛び散った床を、隼はモップで拭きながら、その柄に両手を重ねて顎を載せ、しっかし、所長をバケモノ呼ばわりか、としみじみと呟いた。

「不定形の生物が人型をまねた所で、ろくに喋れはすまい」

 豊はそう話していたが、あの生物が絞り出すように発した不気味な声を、愛はなかなか忘れられそうになかった。

 機材の撤収を全て終え、ようやく引き揚げか、という頃合になってから、まだ用事が残っている、と豊が言い出した。隼と愛に心当たりは無かったが、先に車に戻っていても構わない、と言う所長に首を振り、廊下を歩み出した彼の後ろを着いていく。

 豊が向かった場所は、野球部の部室だった。ミーティング中だ、と言う監督に構わず、山瀬に用がある、と豊ははっきりと告げた。監督は渋い顔をしつつも彼の中座を認めた。

 部室を離れると、豊は山瀬を引き連れて校内を歩き続け、そのあとに隼と愛が続いた。人気のない廊下の隅まで辿り着くと、豊は足を止め、険しい表情で少年に向き直った。

「学校にあの合成獣を持ち込んだのは君だね?」

 愛がこれまでに聞いたことのない、怒りの込められた鋭い語気で、豊が彼を問い質した。山瀬は顔をしかめ、何のことっすか、と反発心の混じった声音で言い返してくる。隼は驚きを隠せずに、思わず横から口を挟んだ。

「所長。なんでこいつが――」

「人間にほとんど接する機会の無かった生物が人型をまねるならば、自身の前にいる相手と同じ姿に化けるのが自然だろう。だが、奴はそうしなかった」

 それはつまり、『虹』が以前にこの少年と長らく接触していた、という事実を示す。

「自在に姿を変える能力があると分かった時点で、素人にも判断は付くだろう。あれは、非常に強力で厄介な合成獣だ。なぜ旧校舎に捨てたんだ」

 山瀬は、初めのうちこそ、目の前にいる豊に喰って掛かりそうな殺気を放ち、反抗心を顕にしていたが、次第にその覇気を無くしていくと、最後には諦めたように、つまらなかったから、と小さな声で呟いた。隼は、予想外すぎる彼の返答に、眉をひそめて問い返した。

「いま何つった? お前」

「あんたたちはどうか知らないけど、俺は学校なんて面白くない」

 部活も好きでやってる訳じゃない、と彼は続けた。その身勝手な理由に腹が立った隼は、怒りに任せて大声を上げる。

「んじゃお前、自分がつまんねぇからって、他の皆も困らせようとしたのかよ!?」

 お陰でどれだけ迷惑したと思ってるんだ、と憤って怒鳴り散らす隼に、迷惑な思いをしたのは、主にこの学校の関係者ではないか、と愛は物申したくなったが、何とか我慢をした。

「……学校に言えよ。どうせ停学にでもなるんだろ」

 吐き捨てたように言った山瀬の言葉を無視して、豊は彼に質問を重ねた。

「どこであの合成獣を拾ったんだい?」

「家の、庭の古い倉庫にいた。どっから来たかなんて知らない」

 何よこれ、外に捨てて来なさい、と命じた母親に反して、少年は黙ったまま、その生物を適当な餌とともに袋に入れた。暫くの間、隠れて自室の隅で飼ったのちに、学校に持ち込むと、使われていない旧校舎の教室に捨てた。

「学校という場をどう思おうと、それは個人の自由だ。だが、君の取った行動は無責任すぎる」

 豊は厳しくそう言い、鋭利な眼差しで山瀬を睨んだ。気圧された少年は、半歩、後ろへとあとずさった。

「置かれた環境が気に入らないのなら、まずは自力で変える努力をすべきだろう。八つ当たりなど、もってのほかだ」

 そう言い放つと、豊は踵を返してその場をあとにした。隼と愛は、慌てて彼を追いかける。廊下を曲がる前に、愛が振り返ると、山瀬は立ち尽くしたまま、自分の足元へと視線を落としていた。


 * * *


 校舎を出ると、女子生徒たちの華やかなお喋り声を背景に伸びをしつつ、なーんか、後味よくねぇな、と隼は呟き、それについては愛も同感だった。それでも三人は高校を辞して、彼らの戻るべき事務所へと車を向けた。昨日よりも一段と涼しくなった風が、人々の往来する交差点を吹き抜ける。恐らくは、近いうちに、野球部の人数は減ることとなるのだろう。

 事務所に帰り着くと、鈴村に加え、新田が彼らを待ち受けていた。よう、と軽く出迎えの挨拶をした彼に、お陰で今回も助かった、と豊が淡々と謝意を述べた。言われた新田も、別に、と返しただけで、取り立てて嬉しがる様子はない。同い年の幼馴染である二人の信頼関係は、既に仕事の上にも確立されているようだった。

 豊は金属製のケースを開けて、持ち帰った『虹』の死体を確認し、始末報告書を仕上げるために所長室へと向かった。金子邸で〔B〕ランクの合成獣を退治した時にも、個体を回収して帰り、のちに記した報告書と共に、国が運営する合成獣対策本部へと提出している。個体は本部で入念に解析され、得られたデータは、他の合成獣への対策情報として蓄積されていく。

「んで、隼。お前、課題はできたのか?」

 からかい半分に新田がそう問い掛けると、隼は非常に微妙な表情をして見せ、まぁ、何とか、とだけ答えたのだが、一回り年上の兄貴分には、全てお見通しのようだった。さっさと出せ、との命令に、へーい、と大人しく従っている。愛は、彼らの様子にくすりと笑みをこぼしながら、自分がこの温かい輪の中で、楽しく毎日を過ごせていることに、誰にともなく心中で感謝した。

 受付に着いていた鈴村が、鳴り出した電話を取り上げる。ええ、それで、と答えながら、忙しなくメモを取り始めた。また、新たな依頼が舞い込んでくるようだ。愛は窓辺に行き、室内の空気を入れ替えようと、サッシに手を掛けて視線を上げた。

 外には、どこまでも高い青空が広がっている。秋は、まだこれからが本番だった。

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