「うん。これで、この『悪縁』は……ちゃんと切れたわね」
夕刻。街の、人通りも多い中心街。
小洒落たカフェなどの飲食店が立ち並ぶ一角に『個別指導ペアーズ』の看板はあった。
そんな塾へカジュアルスーツ姿の青年が入っていくわけだが――その顔は、つい一ヶ月前と比べれば随分と生命力にあふれている。
それを遠目に見て、満足するように頷くのは、栗毛に鳶色の瞳をした高校生の少女だ。
「うん。これで、この『悪縁』は……ちゃんと切れたわね」
彼女の手には普通の大きさの握り鋏が、鞘に収まった状態で握られている。
もちろん、それはただの握り鋏ではない。
ひとたび鞘から抜けば身の丈ほどの大きさとなり、この世にあるありとあらゆる悪縁を切り捨てる。
大鋏【アトロポス】というのが、その銘だ。
「良縁、奇縁、人の世には様々な縁があるけれども……悪縁だけは、捨て置けない。必ずしも悪意や害意だけが原因とは限らないとはいえ、悪縁は放っておけば縁を結んだ人を呪い陥れて不幸を呼び込むものだし、それが『悪霊』や『悪鬼』へと変貌してしまっては目も当てられない。だから、あたしたち『縁切り業者』はそれを見つけ、手繰り、必要とあればその得物で悪縁を断ち切る。そして、その『業界』の中でも最近話題の『赤い糸切りのリナ』というのが、ここ最近のあたしの通り名」
誰に聞かせるともなく、栗毛の少女はひとりごちる。
今でこそ、栗髪鳶目紺セーラーといった、どこにでもいる高校生女子の姿だが。
彼女こそが、赤髪赤目で大鋏を携えた和装少女『赤い糸切りのリナ』、その人だった。
そして業界での通り名ではなく、フルネームを名乗るのなら半田里奈――ナツキ講師が一ヶ月前まで在籍していた『学習塾ふぁくとりぃ』の、時季外れの新規塾生、高校生女子の半田というのが彼女だった。
「不覚にも、学力不足で塾に通うことになったというのは『仕事』関係なく本当に本当のことだったけれど……。まさか、そこであんなに太い『悪縁』に縛られた人を見かけるなんてね。ナツキ先生の授業は、なかなかためになったんだけど……」
普段のリナであれば、そういう突発的な『仕事』をタダではしない主義だったが。
真面目で誠実に努力し続けている彼が、悪縁のせいで不幸に陥っているのを見過ごすことは、さすがにできなかった。
だから、今回は主義を曲げてでも『仕事』に取り組んだ。
従兄などからは「別の『業者』に頼めばよかっただろうに」と言われたものの――今回の件に関していえば、おそらくそれでも結果は同じことだったろう。
「……さよならだね、ナツキ先生」
既に姿が見えなくなった男のことを思いながら、リナはささやく。
リナの振るう大鋏【アトロポス】は、どんな悪縁であろうともたやすく断ち切ることができる。業界内でも稀に見る逸品なのだが――これにはいくつか大きな注意点(リスク)がある。
そのひとつが【アトロポス】で悪縁を断ち切ると同時に、振るった当人であるリナとの縁も断ち切ってしまうということだ。これは「知り合った誰かの幸せを願ってハサミを振るった」場合、そのせいでリナ自身はその誰かとの縁が切れてしまうという意味でもある。だから彼女が親愛から誰かを助けても、その後、その誰かの人生へリナは関わることができなくなってしまうのだ。この二律背反(ジレンマ)は、彼女の縁切りには常に付きまとう。それが身近な相手であったり、強く思った相手であったりするほど、彼女自身の心は痛むのだ。
たとえそうした相手でなくとも「その後、新たに別の悪縁を結んでしまってもリナとの縁が切れているので【アトロポス】の力にすがれない(厳密にはまったくできないわけではないが)」という意味もあるので、やはり安易に縁切りはできない。業界内でもひときわ強力な力であるからこそ、いざという時を想定せずに動いてしまうと、後々深い悔いを残してしまうことになる。ゆえにこそ、彼女はしばしば仕事の際に「見きわめ」ようと悪縁の主に接触を持とうとする傾向があるのだが――それは同時に、その相手へ情が移ってしまいがちだということでもある。相手を知り、親身になれた頃にこそ別離しなければならなくなる――それもまた、彼女の抱える葛藤(ジレンマ)だ。今回は少しきっかけが違うが、やはり、結果は同じこと。
「これが、『縁切り業』の宿命……」
そのことはリナも十分理解しているつもりだったが、やはり、親しんだ相手との別離は辛い。
だから未練がましく、こうして遠目に行く末を見ようとするのだが――既に縁が切れてしまっているので、それ以上のことはできない。
このあとナツキ講師へ駆け寄って何か言葉をかけてやりたいと思ったのだとしても、縁が切れてしまっている以上、それは上手くいかないことだろう。
それを証明するかのように――折り悪く、リナのスマホが鳴る。
「はぁ、従兄(にいさん)から『緊急要請』か。……まったく、一度縁が切れてしまうと、こんな遠目に見ることだって制限されてしまうのね」
メッセージを斜め読みするに、ちょうどリナがいる市内で要注意規模の『悪霊』が発現したとのことだった。
これが『悪縁』の段階であれば、縁の結ばれた人間限定でしか不幸は起こらないのだが、捩れて歪んで『悪霊』と成ってしまうと周囲へも不幸をまき散らす。
無論、それでもすぐに影響を与えるとは限らないわけだが、わざわざ緊急要請を告げてくるということはよっぽどの『悪霊』なのだ。
本当に間が悪いが――もちろん、放っておけるはずがない。
「……【払鞘】!」
だからリナは気持ちを切り替え、封印解除の合言葉と共に、手にした握り鋏【アトロポス】の鞘を払う。
シャランと、心地よい鞘走りの音が響き渡り――その音の波に呼応して、リナの栗髪鳶目が赤髪赤目へと変じる。
同時に、紺セーラー服がはだけてほどけて織り糸となり――瞬く間にそれが再構築されて、和装へと変じる。
その間、わずか〇・〇五秒。
「さあ、お仕事の時間よ……!」
そうして、赤髪赤目の和装少女は、夕の闇を跳ぶ。
この世に蔓延る『悪縁』『悪霊』『悪鬼』らを、今日も断ち切らんと。
これは、そんな少女の物語である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます