第3話
――お前、何のために漫画なんて描いてんの。
――ちゃんと流行りを捉えろよ。お前が描きたいものばっか描いてどうすんだよ。そんなのお前にしか需要ねぇじゃん。
――お前の原稿読んでると、漫画そのものが嫌いになりそうだよ。
あいつの毒舌は今に始まったことじゃない。
ただ、今回の原稿は俺なりに会心の出来だったのだ。絵柄もストーリーも、それにコマ割りも。画力だって、二年前に佳作を取った頃からうんと伸びている自信がある。それだけの努力を重ねてきた自負も。
それをあいつは、さも雑事のようにチャッチャと目を通すと、キャラの服装だとか背景のタッチだとか、とにかく些末なことにひとしきり文句を垂れ、やがて原稿を投げ出しながら先の台詞をぼやいたのだった。
怒る気にもなれなかった。
打ちのめされたというより、何だかひどく疲れてしまったのだ。
ケースを開き、改めて原稿の束を取り出す。練りに練ったプロット。極限まで磨き抜いたストーリー。細部に至る背景の描き込み。下書きで何度も何度も描き直したキャラクターたち。……文字通り、今の俺にできること全てを注ぎ込んだその原稿は、奴に会うまでは確かに、キラキラと輝いて(まぁ多分、徹夜明けのハイのせいだろう)見えたのだ。今度こそ連載を獲れる。いや、最低でも短編掲載は確実に。それを足掛かりに次こそは連載を勝ち取って、SNSでバズって単行本は即重版がかかって―ー……そんな、夢と野心をめいっぱいぶち込んだそれが、今は取るに足らない落書きの束に見える。ケント紙にインクをまぶしただけの何か。いや実際、物質的な価値を言えばその程度の何かに過ぎないのだ。
こんなもののために、何年も無駄にして……
「……まだ連載ひとつ勝ち取ってない、いやそもそも勝ち取れるかどうかもわからないド底辺漫画描きの原稿です。いいんですか、こんなものでも」
そして俺は、押し付けるように雑に原稿を突き出す。爺さんを軽んじてじゃない。俺が俺に、こいつはその程度の扱いがふさわしいゴミなんだと言い聞かせるための挙措は、要は俺なりの自傷行為だ。
そんなゴミの束を、爺さんは両手で恭しく受け取る。その丁寧な手つきに、尊重された喜びを感じてしまう自分が哀しかった。……こんなゴミ、何の価値もないってのに。
「とりあえず、そちらにおかけください」
促され、見るとレジの傍らにこぢんまりとした応接スペースが設けられている。衝立の陰になって、入り口からは見えなかったのだ。
「ど、どうも……」
やっぱシャワーぐらい浴びて出かけるべきだったかな、と、おのれの不潔さに後ろめたさを覚えつつソファに腰を下ろす。一方、爺さんはそんな俺には見向きもせず、レジ奥の椅子に腰を下ろして早くも原稿の査定にかかっている。いやいや、ついさっきボツを食らったゴミ同然の原稿をそんな、と、こっちが恐縮するほど真剣な眼差しで。
そういえば、あの編集以外の人間に原稿を見せたのはいつぶりだろう。
それにしても……ここは怖いほど静かだ。近くを通る私鉄の走行音はおろか、駅前にある商店街の喧騒もどういうわけか一切届かない。おかしい。どちらも、ここからさほど離れていないはずなのに。
やがて爺さんは、読み終えた原稿の角をレジの机でトン、トンと揃える。その手つきもまた優しくて、不覚にも俺は泣きそうになる。
「本当に、お預かりしてもよろしいんですか」
椅子を立ち、俺の向かいのソファに腰を移しながら、覗き込むように爺さんは問うてくる。
「えっ……? あ、」
そうだった。この人は編集ではなく質屋の店員で、俺は、この店に売り払うために原稿を見せたんだった。
本当に……売っちまうのか。
いや、最初からそのつもりで原稿を渡したんだろ。何を今更……そんな脳内の逡巡を振り払うように、俺は大きく頷く。
「はい。売ります。そんなもんでも買い取っていただけけるのなら」
「……わかりました」
気のせいか、爺さんは気乗りのしない顔で頷く。そのまま爺さんはどっこいしょとソファから立ち上がると、滑るような足取りで奥の扉に消えてゆく。
ややあって、今度は小ぶりなアタッシュケースを抱えて戻ってくる。
ケースはもちろん、ピカレスク映画でヤクザやマフィアが現金の持ち運びに使う金属製のやつ。ははーんなるほどね、普段はあのケースに当座の現金を保管しているわけか。にしても……そんな金庫同然のケースを、ケースごと客の前に持ち出すのはいくら何でも不用心すぎない? 俺が悪い奴ならここで爺さんをブン殴って店を出て行く、なんてことも出来ちゃうんだぜ?
などと不埒な想像をぼんやり働かせていると、爺さんは目の前の応接テーブルにケースをデン、と置く。
「この中に、きっちり一千万円入っております」
「へー」
「こちらが、今回の質草を担保としたお客様への融資になります。よろしければご確認を」
「はぁ……はい!?!?!?」
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