第2話
不意に聞こえたその声に、俺は思わず身構える。ーーが、すぐに、いや店なんだし店員さんがいるのは普通じゃね? と冷静に思い直す。
見ると確かに、店奥の古いレジが置かれたカウンターの傍らに、仕立ての良いスリーピースに身を包んだ、やけに姿勢のいい爺さんが立っている。……爺さん、だろう。髪が雪のように白い。ただ、口元や眼鏡の奥の目元に皴が目立つ以外は肌艶も良く、高齢者特有の萎びた印象はない。
きちんと撫でつけた髪といい、また、品のある顔立ちといい、それなりに裕福な暮らしぶりが垣間見える―ーなどと、俺が爺さんを観察する間、爺さんもまた俺をじっと見据えている。深淵を覗く者は何とやら、なんて古い格言がふと脳裏をよぎったその時、ふたたび爺さんは口を開く。
「それとも、お持ち込みの方で?」
「えっ、あ、いや……」
そもそも俺ごとき貧乏人に売れるものなんて……
いや、ある。
むしろ俺は、こいつを売りにここに来たんだ。そんな確信が不意に頭をもたげる。というか、なぜ今まで失念していたんだろう。
その、唐突な心変わりを奇妙に思うよりも先に、俺は問うていた。
「……売れるんですか、これ」
「ええ。お持ち込みいただけるなら何でも。もっとも、当店はあくまで質屋でございますので、買い取りではなくお預かり、というかたちにはなりますが」
かたち。文字通り、形の上ではということか。もっとも、今のご時世、いっときの融資のために質屋を利用する人間はごくわずかだろう。大概は不用品の処分先として、そのついでに小金を稼げる場所としての利用がメインのはず。
だから実質、売る、ってことになるわけだ。
売って、手放して、俺とは関わりのない場所に流れてゆく。……その想像に、せいせいする自分が確かにいる。
「えっと、じゃあ……」
俺はリュックを床に下ろすと、中からクリアケースを取り出す。
B4サイズ用のわりとデカめのそれの中身は、ついさっき出版社で担当編集にクソミソに貶された漫画の原稿だ。
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