第9話:心機一転?_5


 「ただいま」


 あお君が帰ってきた。待ちわびていた帰宅だ。身体は怠く、少し寒気がしている。マスクをして、インフルエンザではないことを祈りながらあお君を出迎えた。


「おかえり」

「……大丈夫?」

「うん……。ちょっと、思ったより寒気がしてさ……」

「熱は? まだ低いなら、お風呂入って汗流したほうが良いかも」

「えっとね、さっきは買ったときは三十七度七分だった」

「俺なら入っちゃうけど、体力もなさそうならやめたほうが良いかもね」

「……ササッと入ろうかな……」

「脱衣所の暖房、つけておきなよ? お風呂よりも寒いんだから、それで酷くなってもいけないし。ご飯、いくつか買ってきたから食べられるの選びなよ。お風呂から出たら食べたら?」

「うん、そうする。ありがとう」

「俺先食べるね」

「うん」


 あお君はコンビニで買ってきたご飯を袋ごとテーブルに置いた。中には風邪のときに飲むスポーツ飲料水や、ゼリーにヨーグルト、アイスクリームも入っている。おにぎりとサンドウィッチにサラダ、パンも入っている。大きなお弁当はあお君のぶんだろう。ハンバーグが入っていて重そうだ。今の私には向かない。


 私はまだ元気なうちにとお風呂へ向かった。もしかしたら、お風呂に入ることで熱が下がるかもしれない。


 お風呂に入ると、じっとりとして嫌な気分だった身体がサッパリとして、とても気分が良くなった。……と言っても、熱が下がった気はしないが。それでも、明日は熱が上がって入れなくなるかもしれないし、冬場とはいえ一日お風呂に入れないといろいろと気になってしまう。出てみるとあお君はお弁当を食べ終えていて、ソファに座ってテレビを見ていた。食べ終わったお弁当の容器は……片付けられていない。テーブルにそのまま置きっぱなしになっている。気になるがあえて言わない。言ったら片付けてくれるだろうが、機嫌を損ねる可能性もある。……そう考えてしまうのは、まだあの同窓会前の態度が頭の中から離れないからだろうか。


「私おにぎりもらうね。お腹すいたら、ヨーグルトもあとで食べようかな」

「ヨーグルトとゼリーはシオのだから好きに食べて」

「ありがとう」

「アイスもね。好きなのどうぞ」


 あお君はそう言ってくれたが、私のほうを見ようとはしなかった。


(……どうしたんだろう?)


 なんとなく違和感を感じた。が、体調が悪いせいかもしれないと見なかったことにする。


「あ、そういえば、今週末……金曜日、仕事終わったあと飲みに行ってきても良い?」

「え? あ……うん、良いよ」

「良かった。このあいだの同窓会で、職場の近いヤツがいてさ。飲みに行こうって話してて。俺今仕事落ち着いてるし、行くなら今かなって思ってたんだよね」

「あー……じゃあ、私も金曜日行ってきても良いかな? 体調がよくなったらだけど」

「良いよ。……誰と?」

「サトコ。覚えてる?」

「あぁ、覚えてるよ。帰りの時間気にしなくて良いよね? シオもいないなら」

「んんー……うん……」

「絶対盛り上がると思うんだよね。朝帰りはしないつもりだけど。先寝てて」


 ようやくこちらを見て、ニコニコと上機嫌で笑っている顔が見えた。……感じた違和感はコレだろうか。基本的に飲み会に行くことを止めることはない。あお君の飲み会の話が出なくても、私は今週末飲みに言って良いかと聞くつもりだった。私が飲み会にNGを出すかもしれないと思って、おおかたこちらを見なかったのだろう。私も飲み会に行くと言ったから、そこに被せて遅くなるという話をした。断られないように。なんだか少し納得のいかない気もしたが、私のほうがNGを出されたくないと、そこは口を閉じることにした。


 ……嫌な予感がする。またここから、あお君の帰りが遅くなってしまいそうな。不安を感じてしまいそうな。気持ちが落ち着かなくなってしまいそうな。……だが、時期としては年度末に向かって行くし、まだ起こっていないことを心配するには精神が擦り切れていく。今は体調が悪いから余計に、だ。


「わかったよ」


 私もにこやかにそう返した。


「俺もお風呂行ってくるね」

「うん。行ってらっしゃい」

「明日の仕事どうする?」

「起きて熱があったら休もうかなって。明日の朝次第」

「薬まだあったよね? 薬局は寄らなかったけど」

「うん、まだある。頭痛いから、頓服は飲んで寝るよ」

「先寝てて良いからね」

「そうする」


 あお君がお風呂へ行ったのを見届けて、私は頓服を胃に放り込んだ。なんとなくまだお腹の空いている気がするが、あまり食べたいと思えない。私はサトコに今週金曜日飲みに行かないかと連絡を入れて、今ちょっと体調が悪いことも添えた。できれば早めに会いたい。今の楽しみはサトコと話すことなのだ。話題はあお君と女性の話になってしまうかもしれないが、そうじゃない話もしたい。最近のサトコの話も聞きたいし、仕事の愚痴も言いたい。


 まだ頭が働くうちに、今日の日記を書く。あまり頭が動いている気はしないが、日課を忘れたくはなかった。


「……明日仕事行くかもしれないし、早く寝よう……」


 日記を書いて本棚にしまい、私は歯を磨いてベッドへともぐりこんだ。薬が効いてきたのか、頭痛は軽くなった気がする。ベッドの脇に体温計とお茶を用意する。夜中に熱が上がっても良いように。いまのところ、熱は上がってはいない。明日の朝、良くなっていることを祈って私は眠りについた。


 ――翌朝。


「……三十七度五分……。なにこのなんとも言えない体温は……」


 どうせならすっかり下がって三十六度五分だとか、思いっきり上がって三十九度でもあれば良かったのに。前者であれば気にせず会社へ行ったし、後者ならば遠慮なく休むことができる。熱の有無で言われればきっとあるほうなのだ。平熱は三十六度五分である。


「んんんー……全然有休使ってないもんな……今日くらい休もうかな、もし風邪だったとして周りに移してもいけないし。まぁ、使い物にならない人は、仕事に行くよりも休んだほうが良いよね、うんうん」


 気持ち的に、もう休みに傾いていたし実際微熱もある。周りも気を遣うかもしれないし、休むほうが良いだろう。


「……お休みしまーす」


 私は出社を諦めて会社へ連絡を入れた。


 コンコン。ガチャ――。


「――シオ? 会社どうする?」

「んんー……今日は休む」

「わかった。なにかあったら連絡して」

「うん、ありがとう」


 あお君は私に声をかけて、そのまま会社へ行ったようだった。


「……お腹空いたな……」


 昨日、おにぎりを食べてからは結局なにも食べなかった。日記を書いたあとはとにかく眠たくて、食欲よりも睡眠欲のほうが勝ったのだ。私は冷蔵庫を開けて昨日の残りのヨーグルトを手に取り、朝食をとることにした。


 なんの気なしにテレビをつける。久し振りに見たワイドショーは、有名芸能人の不倫騒動だった。


『――ということで、マツさん、いかがですか?』

『そうですね。……相手方もご結婚されていて、しかもお子さんもいらっしゃる。会見のお話ですと、同窓会で再会……とありましたから、昔お互いに好きだったのかもしれませんね』

『否定はされていますが、可能性はゼロではない――と』

『そう思いますよ。だって、どれが本当でどれが嘘かなんて、本人たちにしかわかりませんからね』

『ドラマについてはどうなると思いますか?』

『もうクランクアップは迎えているようなので、このまま放送されるかもしれませんね。代役はもう取れないですし……まぁ、役どころとご本人は別物……と考えるファンのかたや視聴者のかたも多いでしょうし』

『なるほど。では――』


「……やめてよ、同窓会とか……」


 先日、あお君は同窓会に行ったばかりなのに。しかも、どこかの誰かと……写真の誰かと、浮気しているかもしれない状態で。考えてもみなかったが、そうか。あの写真の女性はあお君の地元の人間で、同窓会の日に早く出かけていったのは、彼女に会うためだったのかもしれない。帰る、と連絡が来てから、随分と時間が経ってから帰ってきたのも、その女性と別れるのが惜しくて、なかなか帰ってこなかったのではないだろうか。


「考えたら頭痛くなってきた」


 私は一度考え始めると止まらない。眠たくてもつい考え込んでしまうし、しかも悪いほう悪いほうに考えてしまう。今回のあお君の話もそうだ。

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