第8話:心機一転?_4


 この日のあお君は本当に優しかった。朝ごはん用意を皮切りに、夕食も作ってくれた。お昼は一緒にちょっと遠いアウトレットモールまで出かけて、買い物とランチを楽しむことができた。運転はあお君が引き受けてくれて、今まで悩んでいたことを申し訳ないと思うくらいには楽しかった。

 これが続いてほしい……とまでは言わないが、このまま昔のあお君に戻ってほしいとは思っていた。付き合い始めたときのような、そんな優しさが感じられる。自分にも良くない部分があったのではないかとはんせいしながら、久し振りのデートらしいデートは、いつ思い出しても良い思い出として終わった。


 そこからしばらく、正確には二週間ほどあお君はこの調子だった。仕事も早く終えて帰ってくるし、夜ご飯も一緒にとる。休みの日の食事作りは引き受けてくれて、最近は面倒がって行かなかった買い物も荷物持ちとしてついてきてくれたし、とにかく関係性は順調だった。三月かGWにでも旅行に行こうかという話も出て、しばらく旅行に行っていなかった私は、有頂天だったと思う。普段も十分忙しかったが、年度末から年度初めにかけて忙しくなるのは毎年のことだったら、きっと今回もそうなる前に時間を作ろうとしてくれたのだろうと、私は思うことにした。

 二週間、日記は書き続けていたが、特に目立った内容はなかった。年始から同窓会にかけてこそ死にかけの気持ちになっていたが、今は穏やかな日が続いている。


 そんなとき、サトコから連絡が来た。珍しく電話がかかってきたのである。朝から少し体調の悪かったので、あお君に会社帰り夜ご飯を買ってきてもらうよう頼んでいた。仕事は乗り切ったが、できることなら他のことはサボりたい。なんなら少し熱もある。明日は休まないといけないかもしれない。『定時後に会議が入ったから遅くなる』と言われていた私は、家に帰ってきて少し落ち着いたころにかかってきたサトコからのその電話を、久し振りに友達と話したいと思いとった。


「もしもし?」

『あ、もしもし? シオ今良かった?』

「うん、大丈夫だよ」

『……ちょっと元気なくない? ……もしかして、蒼飛さんのこと?』

「え? あ、今日朝からちょっと体調悪い気がしてるんだよね。だからそれかも」

『そうだったんだ』

「うん」


 頭の隅っこに置いていたあお君と女性の写る写真のことを思い出し、私はなんとも言えない気持ちになった。


「それで、どうしたの?」

『別に? ちょっと、元気にしてるかな? って思って』


 連絡を入れようと思いながらも、なかなかサトコへ連絡が入れられずにいた。サトコなりに、心配してくれていたのだろう。


『浮気調査、進んでる?』


 いきなりぶっこんで来た。ゴシップ好きなサトコらしいと言えばサトコらしい。大学時代も、どこからか聞きつけて、いろんな人の恋愛事情をよく知っていたっけ。好奇心も強いが、姉御肌で面倒見も良いサトコは、いつも話題の中心にいた。大丈夫かな? と思うときもあったが、基本的にいつも誰かの話を聞いて助けている。


「直球だなぁ」


 私は思わず笑ってしまった。


「進んでるか進んでないかと言えば、進んでないよ」


 素直にそう答えた。


『そうなの? なにか手伝おうか?』

「うーん、手伝ってもらうほどのことはないかも」

『浮気してなさそうってこと?』

「どうだろ……少なくとも、今は……?」


 少し煮え切らない返事になってしまう。気になる部分はあったが、今だけで言えばそれも薄れてきている。


『そっか。ま、なにもないのが一番だよね!』

「うん。結局、あの女性が誰なのかはわからなかったけど……」

『あ! ねぇ! 私、あの人誰かわかったかも!』

「え!?」


 予想外のサトコの言葉に、私は思い切り驚いた。


「だ、誰?」

『うーん、名前はわからないんだけどね?』

「どこかで見たとか?」

『そんな感じ。……聞きたい?』

「……う、うん」


 今までぼんやりとしたまま放置していた写真の女性が、急に輪郭を持ってこちらに迫ってくるような気がした。


『このあいだ、営業の子と一緒に、お客さんのところ行ったのね。その帰り道に、あの写真の人見たのよ』

「どこで?」

『それが……』


 どこか気まずそうに、その先を濁しているような気もした。


「え、どこ?」


 私はもう一度聞いた。


『う、うん。それが、蒼飛さんの会社から出てきたんだよね』

「え、あお君の?」

『そう。でも、蒼飛さんの会社って、ビルにいろんな会社が入ってるじゃん? だから、最初同じ会社なのかな? って思ったけど違うのかも……。同じ部屋から出てきたのを見たわけじゃないし』

「オフィスビルだもんね……」

『でも、同じ場所で仕事してるならやっぱり関係あるのかな。あの距離は絶対、偶然じゃないよ!』


 確かに、写真に写っているふたりは親密そうだった。最近は見ないようにしていても、頭はしっかりとその姿を覚えている。


『まだこのあと何回かあのビル行くことになるんだけど、私探ってこようか?』

「え、でも、そんなの良いの?」

『全然! 本当に浮気だったら証拠なにか掴めるかもしれないし、そうじゃないならそうじゃないで、安心できる要素ほしいじゃん?』

「それはそうなんだけど……。サトコは仕事で行くわけだし……」

『仕事で行くからこそだよ! あの場にいても怪しくないもん。蒼飛さんに怪しまれても私ひとりじゃないから、言い訳しやすいし? ……言い訳ってのも変かな』

「んんんー……」


 わかる。サトコは善意で言ってくれている。仕事で行ってもおかしくない……というか、仕事で行かないとおかしい場所ではあるし、昔忘れ物を届けに行ったこともあるが、入ってすぐのところに警備員さんがいて簡単に中には入れない。

 少し忘れかけていたあお君の浮気の件だったが、うっすらと『そりゃあ同じ会社か同じ建物なら浮気しやすいな。合流しやすそうだし』と思ってしまい、やっぱり心のどこかでは浮気をまだ疑っていた自分に嫌になりながらも、それを完全に払拭するためにサトコへお願いすることに決めた。


「じゃあ、そうだな……また行くことがあったら、辺りにいないか確認してくれる?」

『もちろん!』


 サトコの声は明るい。


「そんなドンピシャで見かけることなんてそうそうないと思うけど……」

『いやー、わからないよ? ビルの階によって会社が決まってるのは、このあいだ確認したから!』

「早い!」

『っていっても、自分が行かなきゃいけない会社確認しただけなんだけどね。めちゃくちゃすっごいおっきいビルってわけでもないから、フロアごと借りるのが楽なのかな? とか考えてた』

「なんかホント、面倒なことお願いしてごめんね……」

『全然平気だよ! 会わない可能性だってあるし、そのときはそのときということで』

「うん、もちろん。……今度、ランチでもおごるね?」

『やった! でも、それは浮気の尻尾掴んだときで十分だよ』


 笑って話してくれるのがありがたい。


「それ関係なしに、ランチか飲みに行きたいな。なんていうか、お喋りしたい」

『わかる! 私もシオと喋りたい!』

「今度行こうよ! ……つい最近まで、あお君も買えり遅かったし、休みの日も急にどっか行っちゃったりしてたから、私も行っても問題ないよね?」

『そりゃいいでしょ! たまには息抜きしようよ!』

「週末飲みにいこっか?」

『行く! 予定見てみるね!』

「私も!」

『……それにしても、シオ元気そうで良かった』

「心配かけてた? ありがと」

『変なこと言っちゃったかなって、ちょっとだけ後悔してたんだよね……』

「……写真のこと?」

『うん。送ってから、ケンカになってたらどうしよう……とか、実はまったくの別人だったらどうしよう……って、いろいろ考えちゃって』

「そんなことないよ! むしろ、いつも遅いの当たり前で麻痺してたから、あお君と向き合うのにちょうど良かったかもって思ってる」

『それなら良かった。でも、私が種まいちゃったと思ってるから、困ったらなんでも言ってね? できることはするから』

「ありがとう。そう言ってくれるだけで心強いよ」

『喋れる相手、いないよりもいたほうが良いでしょ? あー、ご飯楽しみ! 私お店探しておくね?』

「うん、お願い」

『じゃあまた連絡するよ』

「うん。今日は電話してくれてありがと」

『元気そうで良かったよ。それじゃ、またね!』

「またね!」


 私はサトコとの電話を切って、早速空いている日を確認した。さすがに自分がよく出かけていた手前、ダメとは言われないだろうが、それでもあお君の機嫌がいいタイミングでご飯の話をすることにした。

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