第7話:心機一転?_3


 微妙な距離感を保ったまま、あお君の同窓会の日がやってきた。あまり女性の多い場へは行ってほしくない、そう思っていたが、今はもうどうでも良い。あお君がいないあいだにどう浮気の証拠を掴んでやろうかと、そんなことばかり考えていた。

 今別れるには理由が足りない。それに、浮気しているならば浮気相手とくっつくかもしれない。それは相手の思い通りに進むようで避けたかった。今は耐えるときと自分に言い聞かせて、笑顔であお君を見送った。


 私はこのタイミングで実家へ顔を出しに行くつもりだったが、それ自体悩んでいた。実家に帰ってしまっては、思わず今の状況を愚痴ってしまいそうなのである。ただの愚痴で終わってしまいそうで、両親とあお君の関係が微妙になってしまっても困る。だが、帰るつもりだという話はもうしてしまっているし、もし家を出ることになったときのために、味方や避難場所はほしい。


 そう考えたらやっぱり帰ったほうが良い気もして、私は実家に連絡を入れて帰ることにした。


 少し久し振りに帰った実家は、いつもと同じ匂いがしている。私はあお君の話が振られても、当たり障りない会話で済ませた。この日は『私も実家に帰ったよ。お義母さんとお義父さんによろしく伝えてね』とkiccaでメッセージを送ったが、既読になるだけで返事は来なかった。返信には期待していなかったし、連絡がないならそれはそれで構わない。連絡がなかったことを日記に残すだけだ。大した意味はないかもしれないが、なにもしないより良い。それに、この小さな積み重ねが、いつか自分にとって有利に進むかもしれない。それならば、どんな些細なことでも残しておくことが正解だ。


 結局。悲しきかな、一度もあお君からは返信どころか連絡も来なかった。重要視していないのかもしれないが、少し昔であれば些細なことでも連絡が来ていたのに、自分のやり取りの履歴を見ても、仕事から帰ることくらいしか話がない。他は仕事が遅くなることか、どこかでご飯を食べてから帰ること。淡々と帰り時間を記録していたときは、そういう作業と受け止めていたから気にしなかったが、改めてみると乾いた関係性が目に映る。もともとこうであったなら気にならない。そうでなかったから気になるのだ。


「……どこで間違えたのかなぁ……」


 他人同士が一緒に暮らすのは、たとえ夫婦になったあとでもある程度の気遣いが必要なのだ。『親しき中にも礼儀あり』は本当に大事な話なんだと身に沁みる。大事にする気持ちがあれば、嫌な言いかたはしないし気も遣う。自分はできているつもりでも、知らないうちに傷つけていた結果、あお君も私のことがどうでも良くなってしまったのかもしれない。……そんなふうに考える辺り、まだ私の中にあお君に対する情がなにかしら残っているのだろう。こんな言いかたは身も蓋もないかもしれないが、今は悪い夢を見ているだけで、目を覚ましたら仲良くまた過ごせるのではと思ってしまう。実際私が疑問を持つまでは何事もなく過ごしていたように思えるし、悪いことばかりグルグルと考えている気もする。よせばいいのに何度も同じことを考えては、嫌な気持ちになっているなんて、とんだ自業自得だ。


 実家で一息つきたい気持ちもあったが、まったく休まらないまま一日が過ぎた。ご飯を作らなくて良いし、他の家事もしなくて良いのは楽で助かったが、とても気持ちは休まらなかった。そんななか、一応と思い帰る前にあお君へ再度連絡を入れたが、その返事は来ない。家に帰っても電気は点いておらず、私が家を出たときそのままだった。彼はまだ帰ってきていない。スマホで時間を確認したが、時間は二十時を回っていた。私は電車で実家へ帰ったが、あお君は車である。運転していたら連絡ができないことは十分わかっているが、せめて既読をつけた時に一言で良いから返事がほしいというのが本音だ。それぐらいと私は思ってしまうが、世の中は違うのだろうか。


 一泊分の荷物をほどき、洗濯籠へ入れる。帰ってきたことも連絡したが、一向に返事は来なかった。先に送っていたメッセージに既読はついていたが、返事が来ないという結果は変わらない。今日はもう気にしないことにしてお風呂を済ませ、母からお土産でもらったおつまみと一緒に、ノンアルコールドリンクをいただく。ここでようやく一息つけた気がした。


 一時間ほどたっただろうか。おつまみも無くなり、ぼんやり見ていたドラマが終わったころに『今から帰る』とあお君から連絡が入った。


「はぁぁ……ここまで既読無視してたことはノーコメントなの?」


 ひとつ気になる部分が出ると、すべてが気になってしまう。嫌な言いかたをすると、鼻につく、だろう。些細なことにイライラしてしまって、文句を言ってしまう。しかし、そんな考えではやっていけないと頭を振って『気を付けて帰ってきてね』とだけ書いて返信した。


 そこからあお君は、しばらく帰ってこなかった。あお君の実家まで、車で一時間ほどだ。あまり混まない時間だと思っているし、高速を使えばもっと早く着く。寄り道するともなにも言われなかったので、日記を書きながら待っていたが、一向に帰ってこない。ただ待っているのも退屈だと、一度コンビニへ出てみるも、帰ってきても誰の気配もなかった。帰るという連絡が来てから三時間後、ようやくあお君は帰ってきた。私はとっくに布団に入ってウトウトしていて、気が付いたのは彼がそっと寝室のドアを開けたからだった。記憶はあいまいだったが、スマホを見る限りそれだけ時間が経っていた。すぐにそのまま眠ってしまったが、夢とは到底思えない。

 『どうしてこんなに帰ってくるまでに時間がかかったのか』と問い詰めたい気持ちもあったが、眠気のほうが見事に打ち勝ち、私はそのまま眠ってしまった。


「――起きて、シオ」

「ん……」

「起きて。朝だよ」

「……あお、君?」

「おはようシオ」

「……あ……おはよ……」


 優しく起こされて目を覚ます。目の前にはあお君がいた。


「んん……どしたの?」

「いや、昨日は遅くなってごめんね。連絡入れたあと、たまには一緒に飯でもって親父に言われて。ほら、前日は同窓会でいなかったし、言われてみればゆっくり話もしてなかったからさ。つい。連絡入れればよかったんだけど、そのままになってて。心配したよね?」

「あ……う、うん。でも、そういうことなら大丈夫……」

「良かった! あ、朝ごはん作ったんだけど、一緒に食べない?」

「……うん、食べる……」


 まだ頭はしっかり働いていない。だが、私自身久し振りに優しいあお君を見た気がして、そんなことはどうでも良くなっていた。


「顔洗ってきなよ。トースト焼いて待ってるから」

「……はぁい」


 あお君は私の頭をそっと撫でると、にっこり笑って寝室を出ていった。ぼんやりとした頭で歯を磨く。顔も洗って鏡で自分の顔を見たときに、ジワジワとあお君の不自然な優しさが突き刺さってきた。


「……なんで?」


 顔を優しく丁寧にタオルで拭きながら、最近はもう作らなくなっていた朝ごはんを急に作っていたあお君に疑問を抱く。突然の取り繕うような優しさに、素直に喜ぶことができない。いったん様子見をするつもりでリビングへ向かうと、確かにそこには朝食が用意されていた。

 端っこがカリカリになったベーコンに、トロッとしたスクランブルエッグ。私の好きなオニオンドレッシングのかかったサラダに、イチゴジャムの載った無糖のヨーグルト。そしてちょうどのタイミングで焼き上がったトーストがテーブルに置かれた。たっぷりバターを塗ることが好きな私のために、大きめにカットしたバターも小さな器に載せられている。朝は主食をそれほど食べないからかトーストは半分だし、グラスにはオレンジジュースが注がれている。ホテルのバイキングでとってきた朝食のように、私の好きな物ばかりが、ちょうど良い量で準備されていた。


「作ってくれてありがとう」

「いつもやってもらってるから。……その、ずっと忙しくて、全然家のことできなくてごめん」

「仕方ないよ、仕事だし」

「上手くいかなくて、ずっとイライラしてたと思う。ゴメン」


 本当に申し訳なさそうに両手を合わせて謝るあお君を見て、逆にこちらが申し訳ない気持ちになった。

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