第6話:心機一転?_2
――ピピピピピ――ピピピピピ――――ピピピピピ――ピピピピピ――。 ――ピピピピピ――ピピピピピ――――ピピピピピ――ピピピピピ――。
意識の遠くでスマホのアラームの音が聞こえた。私はアラームを止めるためにスマホを探した。
「……。……ん……十七時!?」
思わず飛び起きる。確かにアラームをこの時間にかけたが、ここまで寝るつもりはなかった。疲れていたのか、夢を見た記憶すらない。
「……うわぁ、やっちゃった……。あお君は……?」
私より先にあお君は眠った。だから先に起きていてもおかしくない。ソファで長い時間寝てしまい、痛くなった首をさすりつつ、私は寝室へ向かった。ドアは閉まっている。一応ノックしてからドアを開けた。
「あお君ー……?」
返事はない。部屋の電気は点いておらず、廊下の電気を頼りに覗いたベッドはもぬけの殻だった。ぐちゃぐちゃになった掛け布団は端に寄せられ、まとめきれなかった部分が今にも落ちそうになっている。慌てて片付けたのだろうか。
「……?」
それからリビングにお風呂を確認したが、あお君はいなかった。玄関を見てみると靴がなくなっている。どこかへ出かけたのだ。私はスマホを確認したが、とくにあお君から連絡は来ていなかった。一言声をかけてくれても良かったのに……と思ってしまったが、お願いしたわけではないから仕方ない。いつ帰ってくるかメッセージを送り、私は夜ご飯の準備をすることにした。
それから、五分ほど経ったときだろうか。
――ガチャ。
玄関の鍵の開く音がした。私はゆっくりとリビングのドアへ近づくと、勢いよくドアを開けた。
「おかえり!」
「……っ!? あ、え、あ、あぁ……ただいま」
あお君は驚いたような顔をしていたが、すぐにひきつった笑みを浮かべた。
「どこ行ってたの?」
「いや、別に」
「kicca見た? ご飯は?」
「あー……見てない。ご飯はいらない」
会話もそこそこに、あお君はまた寝室へと行ってしまった。今までもこうだったっけ? と首をかしげながら、私は自分のぶんだけご飯を作る。どこに行っていたのかはわからない。ご飯を食べてきたのならそう言ってくれればいいのにと思ったが、そのあとよぎるのは件の女性のことだった。私が眠ってしまってから、ゆうに数時間は経っている。遠い場所でなければ簡単に会いに行けるだろうし、向こうがこちらの家の近くに来ていたのなら、会うのはもっと簡単だ。こっそりふたりで会っていたのかもしれないし、堂々と食事をしていたのかもしれない。例えその場に居合わせても、食事だけならなにも言えまい。……こんなことばかり考えても良くないとはわかっているものの、どうしても一挙手一投足、すべてがそちらへ繋がっていく。
自分の頭にうんざりしつつも、ひとりぶんならと簡単に夜ご飯を済ませて、早々にお風呂へ入った。自分の態度も、余所余所しくなっているのだろうか。できるだけ普通にしているつもりだが、態度になにかしら出てしまっているのかもしれない。今まで気にしていなかったことがすべて怪しく見えているから、自分の中では仕方ないよなと思っている。が、相手からしたら、なにもやましいことが無ければ不審に思うだろうし、やましいことがあれば『バレてしまったのかも』と不安に思うだろう。……もしくは、開き直る、か――。
いろいろと考えていたら思わず長風呂になってしまった。疲れを取るために発泡系の入浴剤を入れていたが、それもあるかもしれない。あお君の顔を見るとそのとき考えなくてもいいことまで考えてしまうし、どうしてもあの写真の女性のことも考えてしまう。早めに浮気なのかそうでないのか決着をつけたいが、決定的な証拠も証人もない。焦るばかりの気持ちを抑えながら、私は今日日記に書くことを考えていた。
お風呂から上がると、あお君がリビングへと来ていた。
「……お風呂どうぞ」
我が家でのお風呂の順番は決まっていない。入りたいほうが先に入る。平日帰る時間の速さから、私のほうがお風呂掃除をしていて、休日もそれは変わらなかった。だから好き勝手に入浴剤を選ぶことができるのだが、たまにはあお君にもやってほしい気持ちはずっとあった。
「あー」
私の声掛けに、顔を見ないまま空で返事をしている。手にはスマホを持っていて、目線はその画面だ。
「お風呂長くない?」
「え? そうかな?」
『あお君には言われたくない』なんて言葉が脳裏をよぎる。が、今後の平穏のためにその言葉は見なかったことにした。
「もうすぐ仕事も始まるし、疲れが溜まらないように身体を休めたくて」
「ふーん。あ、ご飯は?」
「え? ご飯?」
「夜ご飯。まだ?」
「……あお君、帰ってきて聞いたとき『いらない』って言ったよね?」
驚いて思わず聞き返す。
「え? そうはいっても、普通は作っておくものじゃないの?」
「いらないって言ったから、作っても食べない可能性のほうが高いよね……?」
「……はぁ。気が利かないなぁシオは」
気が利かないと言われたことよりも、心底呆れたように吐いたため息のほうが心に刺さった。わざわざ私は確認もして、自分でいらないと言ったのにこんな言いぐさとは。
「作り置きの冷凍したやつならあるけど……」
「休日なのに作り置き? シオは俺にできたて食べてもらおうと思わないの? ……いいわ、飯食ってくる」
「え、また出かけるの?」
「誰かさんがご飯用意してないし用意しようともしてないから。仕方なしにわざわざ食べに行ってきてあげるんだよ」
嫌味のようにそう言って、あお君は出ていってしまった。
「……はぁ!?」
私がそう一言いうまでに時間はかかったが、ようやく絞り出した一言は、到底納得できないあお君への呆れだった。
「なに? なんなの……? 私が悪いって言うの……?」
まったく納得がいかない。こんないわれをすることは想像できなかったが、この人はもう私の知っているあお君ではない。そう思った。
今まで大きな喧嘩はしてこなかった。あお君のほうが年上で経験もある。ケンカになっても私が折れていた。嫌われたくないし、それ以上のケンカにもなりたくないから。だからきっと、片鱗が今まであったとしても、気が付かないフリを自分でしていたのだ。その結果がこれだ。なにを言っても良いと思っている。そして私は気が付いていなかった。思い返せば、結婚して暫くしてから、もうこんな関係だったのかもしれない。釣った魚に餌はやらない、とはよく言ったものだが、あお君も似たようなものだった。お互いリスペクトしあえる関係だと思っていたが、実際は一方通行だった。
それに、あお君は気づいていないかもしれないし、私の考えすぎかもしれないが、誰かと私を比べている節がある。はっきりとは言えないが、比べるとしたら浮気相手の女性だろう。きっと、浮気相手はいつでもあお君に手料理を、できたてを食べさせているのだ。急に言われたとしても、嫌な顔ひとつせずに。
「……そんなにその人が良いなら、離婚するからその人と結婚すれば良いのに」
初めて【離婚】という言葉を口に出した。ハッキリと頭に浮かんだ。今までは浮気していたらどうしよう、取り敢えず真偽を確かめたい。そんなふうに考えていたが、私の中でもう離婚は確定していたのか。そう思ったら急に冷静になった。
あお君のことを愛していると思っていたのに、実のところもう愛していなかったのだ。正確には、今日のあお君の態度で愛情ゲージがマイナスへ突入してしまった。そして、ずっとあお君を愛していると思っていた自分が、この一瞬でもうどうでも良くなってしまったことに心底驚いた。一度変わった心を戻すことは難しい。たとえ浮気していなかったとしても、今の態度のあお君と生活していくのは困難だろう。話し合いでなんとかなる可能性もあるが、なんともならない可能性もある。そもそも、今私がなんとかしたいとは思っていない。
それでも、普段はにこやかに今まで通りの自分であることに努めるとして、サトコに協力を得るならなにをしてもらえるだろうかと、私はじっくり考えることにした。
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