第36話

「ふぎゃぁっ?!」

首筋をつぅっとなぞる感触に色気のない叫び声を上げる環。

「なななななに????」

慌ててパーカーのフードをかぶり振り返る環が涙目で、俺は笑う。

「いや。

項とか触ったことねぇな、と思って」

「そんな理由でいきなり触るんじゃありませんっ!」

よっぽどびっくりしたのだろう、変な口調になっている。

「…ふうん。

いきなりじゃなきゃいいってことか?」

曲に誘われ抑えていた感情が顔を出す。

椅子に手をかけて。

「触らせて。全部。」

甘い香りに胸が痛い。

「なぁ、環。


お前の唇も

項も

指先も

腰も

全部、ちょうだい。」

ぎゅっと目を瞑った真っ赤な顔が、ずっと苛めていたいほど可愛い。

きっと『愛の目覚め』で描かれる感情も優しいものではなくて。

相手を求め、飲み込み、余すところなく喰らい尽くす。

そんな仄暗い劣情の芽生えだ。

自分が似たような感情を持ってるからこそ、作曲した人の気持ちが分かるような気がした。

「黙ってたら、勝手にもらうからな?」

耳元で囁いて、こめかみにそっと口づけた。

固まっていた環が稲妻に打たれたかのようにビクンと身体を震わせる。

ん?反応よすぎ?

ゆっくり瞼を開いた環は、呆然と呟く。

「……大ちゃん…あたし。

分かった、かも……


ちょっ、ちょっと、ごめん!!!」

ドンッ!

いってぇ。

遠慮なくピアノ椅子から突き落とされて、カーペットに転がる俺。

そして、ピアノが先ほどと同じ旋律が奏で始める。


いや、同じなんて嘘だ。


叩きつける音色が膨らみ熱を帯びる。

生き物のように息づく。


なんだこの音…

全く違う旋律の波に俺は唖然とする。


ーーーーーィン…

名残惜しいまま、最後の一音が響き消えていく。

「あーーーーースッキリしたーーーーー!!!」

晴れ晴れとした笑顔で伸びをする環。

「もういいのか?」

「うん!

一回弾ければあとはそれを思い出すだけだから平気。

大ちゃん、ありがと!!

ここまで気持ち良く弾けたの初めて!」

手出しただけなのに、なぜか環からお礼を言われ複雑な気分。

まさか、伝わってないとか…。

「お前、さっきの意味分かってる?」

恐る恐る尋ねると、環は首筋まで赤くしておずおずと言った。

「…わ、分かってるよ。

環も、大ちゃんのこと考えてて。

わぁ〜ってなることあるよ?」

「…っ!」

あーちくしょう。

俺のことでワケ分かんなくなる環とか、可愛いすぎる。

真っ赤な頬に手が伸びそうになる自分に呆れながら、ずっと気にしてたことを聞いてみる。

「…余裕ないのとか。

そういうの、イヤになんねぇの?」

環はきょとんとした顔で、

「んー。ならないなぁ。


あたしのこと大事にしてくれるのも大ちゃん。

『余裕ない』って気にしちゃうのも大ちゃん。

さっき、みたいなのも大ちゃん。


どっちかだけの人なんていないもの。」

大ちゃんそんなこと気にしてたの?

あはは、可愛いー。

と、あっけらかんと笑った。

四堂の言う通り。

こんな俺を『可愛い』と笑い飛ばす環に敵うわけがない。

神様仏様四堂生徒会長様、マジで最高。

「じゃあさ。

練習終わったなら、ちょっと付き合ってほしいところある…いい?」

環はにっこり笑って、

「もちろん♪どこ?」

「体育館の裏。ほら鞄貸して。

行くぞ」



その後の話は、俺と環だけの秘密。



〈scene end〉

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