坂の下の喫茶店
第30話
「はぁ〜〜〜…」
いつもなら絶対に笑顔になるカフェ特製チャイラテもこのときばかりは、効果がない。
どうして。どうして。どうして。
繰り返すほど自分が嫌いになっていく。
「いいものあげようか?」
ため息を吐き切ったとき、カウンターの向こう側から柔らかな声が聞こえる。
「ははは。迷子になったときみたいな顔してる。」
「…いいものってなんですか?」
マスターのからかい混じりの声音に、唇を尖らせて尋ねる。
いつでも穏やか年齢不詳のマスターはにっこり笑って、
「まずはコレ」
とあたしの掌に三角形の見慣れた苺味の飴を載せた。
掌でコロンと不安定に転がる。
マスター…また子ども扱いして…
「いいから食べてごらん。魔法の飴だから。」
女の子は秘密とか魔法というフレーズにめっぽう弱い。
ノロノロと両端を引っ張ると小さな飴が顔を覗かせた。
ゆっくり口に含むと、馴染みのあるふんわり苺の味とカリカリの食感に肩の力が抜ける。
あ。美味し。
「……マスター。あたし最悪だよ」
魔法の飴のおかげで。
ほろりと、甘い香りとは裏腹な苦い言葉が唇から漏れた。
「うん」
「汚くて狡くて酷いこと心の中でたくさんあって。」
「うん」
「自分のことすごく恥ずかしい。」
「恥ずかしく思ってるんだ。」
「そう。恥ずかしい。ダメだよね、こんなこと考えてるなんて。」
「そう?」
「そうだよ。だって、今までそんなこと思ってもなかったのに…」
「今まで思ってもいなかったことを思っちゃうくらいの気持ちが、自分の中にあるんだ」
「へっ⁈」
俯いていた顔が反射的に上がる。
いま、マスター何て言ったの?
目も口も丸くなった間抜けな顔でマスターを見つめると、マスターは目を逸らさずにゆっくりと繰り返した。
「今まで感じたことのない、汚くて、狡くて、酷いこと思っちゃうのは、その裏に何か強い気持ちが生まれてるから。じゃないのかな?」
汚くて、狡くて、酷いことを思ったときに、何かあった?誰かいた?
そう続いた言葉に、脳みそが自動的に答えを探す。
キュルキュルキュル…チーン。
慣れ親しんだ幼馴染の顔が浮かぶ。
「いる…かも。」
呆然と呟いた。
「うんうん。「いる、かも」なんだね。」
あやふやなあたしの言葉にも温かく頷いてくれるマスター。
でも、何で?
彼とは幼い頃からの付き合いだ。
今まで一度も彼と一緒にいて、こんな嫌な感情を感じたことはなかったのに。
「ま、ま、マスター⁈あたし、彼のこと嫌いになっちゃったのかなぁ⁈」
焦ってつっかえながら出てきたあたしの言葉に、マスターは一瞬きょとんとして、次の瞬間大笑いした。
「あははははははは‼︎すごい、そんな風に感じるんだね〜。
いや〜さすがさすが若いなぁ。はははは‼︎」
普段穏やかなマスターらしからぬ破顔に、自分だけ置いていかれたようで頬を膨らませる。
だって、彼といるときだけだもの。こんな気持ちを感じるのは。
マスターはひくひくしている口元を押さえながら、
「自分の考えに焦るくらいなんだから、違うよ。大丈夫。
…そうだな、もう少し落ち着いて思い出してごらん。彼の表情、言葉、行動、周りにいた人たち、状況、たくさんあるよ。
嫌な気持ちを彼に感じるのと、彼の言動に感じるのとは、全く違うから。」
温かみのあるゆっくりとしたトーンに誘われ、あたしはカップの中にある自分の記憶に沈んでいく。
窓からのぞく青空がうっすらと紅く染まっていった。
〈scene end〉
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