こっちを向いて
第18話
あれ?と東堂 薫がそれに気付いたのは梅雨の中休みですっきりと晴れた青空を垣間見ながら、中庭の外れにある東屋でのことだった。
「前髪、伸びた?」
先にお昼ご飯を食べ終え、しばらく前から石机に上半身を放り投げている幼馴染ー小鳥遊 柾の前髪が目元までかかっている。
髪の隙間からうっすらと右目を半分だけ開けてこちらを見やる様子は、昼寝を邪魔された猫そっくりだ。
肯定だけど返事をするのは眠くて無理。
そんな思考が透けて見えて。
好機とばかりに伸ばした指先が柾の前髪に触れる。
柔らかい。
日向ぼっこをする猫を撫でてるみたいで、思わず、ふふ、と笑ってしまった。
梅雨どきだからかくせ毛が緩く波打っていて、手触りは毛足の長い上質なテディベア。
指先の心地よさにうっとりする。
「いいなぁ」
胸元まで伸びた自分の髪の毛は真っ黒なストレート。
聞こえはいいが、全くもって融通が利かなない面白みのない髪質で。
自分のだって年頃だ、周りの友人のように髪型をアレンジして可愛くなりたい願望はある。
それを真っ向から否定するように、まとめてみれば量の多さにピンがささらず、編み込んでみれば端からしゅるしゅると解けていき、巻いてみれば30分と持たない。
あわや遅刻、を数回経験して、さじを投げた自分はよく頑張った方だと思う。
だから、柾のアレンジしやすく華やかな印象を与える緩いくせ毛は憧れなのだ。
髪先を指に絡めて遊びながら左手でそばに置いてある携帯をタップする。
時刻は、あと少しの微睡みを約束している。
「…柾?」
そっと名前を囁く。反応は無い。
眠ってるのだろうか。
一ヶ月前シフトを増やしたと言っていたバイトのせいか、なんとなくやつれてみえる。
伸びた前髪が忙しなさを映している。
ちゃんとご飯食べてる?
正面から尋ねたってはぐらかすから聞くのはやめた。
その代わりに、毎朝お弁当を多めに作ってダイエットや嫌いな野菜を理由に押し付けている。
柾はとっくに気付いてるだろうけど、何も言わない。
夕飯を食べ損ねるほどアルバイトを入れる理由を突っ込まれる面倒臭さと天秤にかけて、大人しく口を開ける方を選んたのだろう。
心臓にハンデがある己の身体。
普段母親よりも口うるさく体を冷やすな急に走るなバランスよく栄養取れと言うくせに、自分のことはてんで無頓着だ。
アルバイトを増やした理由を「遊ぶ金が欲しいから」うそぶく幼馴染が、ちょっと寂しい。
昔は、何でも一番に話してくれたのに。
「置いて、いっちゃう…?」
子どものような言葉が口をついて、ストンと胸の奥に落ちる。
駄目なのに。
柾が側にいないと思うだけで、こんなに頼りなくて心細い。
柾の輪郭を確かめたくて、触れないギリギリの距離で耳から頬を辿る。
突然。
「触るなら、もっと」
ちゃんとがいい。
かすかな呟きに、強く掴まれた指先。
次に、濡れた感触。
「……っ!まさっ、起き……」
さっきの、聞かれた?!
左腕を枕に下から見上げる柾の瞳。
吸い込まれるような黒目に追い込まれる。
「オレンジの香りがする」
確かにさっきまで食べていたお弁当のデザートはオレンジだった。
お行儀悪く手で食べていた。
だけれども。
「あたしの、指はオレンジじゃ、ない…ってばっ!」
果汁の欠片を求めて這う舌は幼い頃こっそりエサをやった野良猫のようにざらついてなんていなかった。
もっと、熱くて、力があって。
いや、当たり前だ。何を考えてるの自分。
「残念。せっかく美味しそうなオレンジ食べる夢見てたのに」
ぱっと手を離されて、血が上った頬にひやりと風が撫でる。
勝手に突き放された感覚になる。
そんな気持ちを紛らわせたくて口を開く。
「柾…さっきの聴こえて…?」
「んん、よく寝た。15分くらい?」
伸びをした柾に微睡んでいた時間を問い返されて慌てて頷いた。
ヤバい食べ終わってから全然記憶ない、と苦笑いしてるし大丈夫聴こえてない。
「午後の授業で寝ないでね?」
「次が与野の日本史だから?」
薫は俺のノートないと困るものね、とにんまり唇が弧を描く。
からかったつもりなのに、逆に与野先生の授業とすこぶる相性の悪い自分を揶揄されて、ぐうの音もでない。
念仏にしか聞こえないあの授業、あたしを昇天させたいに違いないのだ。
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