四限目
幕間のシークレット・コード
第4話
中西 結が校庭に目を向けたのは、選択科目の美術の授業のために移動した専門科棟の三階からとある人物を発見できたからだった。
理くんのクラス、これから体育なんだ。
デッサンの準備で道具を胸に抱えたまま窓の前から動けなくなる結。
見つめる先には、大好きな幼馴染兼彼氏の倉永 理の姿がある。
思わず窓を開ける。
ふわりと薫る緑色の風。
理がジャージに身を包み、グラウンドに向かって歩いている。
普段強面の彼がなんとなくウキウキしているように見えるのは、根っからの運動好きだからだろうか。
あ、笑った。ふふ。
理がくしゃっと頬を緩ませて笑っている。
こちらから顔は見えないが、きっと同じクラスの長谷川くんや室井くんとじゃれているのだろう。
あの三人は本当に仲がいい。結にはよくわからないけど、わいわいおしゃべりしているときの理くんはとっても楽しそうだ。
理くん、と心の中で呼んでみる。
こっちに気づかないかな。
小心者の結には、長谷川たちの前で理に話しかけること自体かなり高いハードルなので、学校では滅多に話せない。
外野から見るととっても怪しいが、じぃっと見つめるのが関の山だった。
ゴールデンウィークもとっくに終わり、梅雨入り前の日差しは燦々とグラウンドに降り注いでいる。
「あっちぃ」と唇が動き、ジャージを勢い良く脱ぎ捨て下に着ていた半袖の裾を肩まで捲り上げる理。
二年で唯一男子バレー部のレギュラーを獲得した長身の体躯はしなやかに引き締まり、号砲に似た強烈なスパイクを繰り出す背中から肩の線は男らしい。
ふいに、あの腕に捕まったときの力強さを思い出し頬が熱くなる。
変なこと思い出しちゃダメ…っ!
必死に先日の記憶を頭の中から追い出そうとする結。つい、と教科棟を仰ぎ見る理。
点と点を結ぶように。目が、合う。
今まで見つめていたのを見透かすように、ニヤッと目を細める理。
うぅっ。
小柄な長谷川くんの頭を小突く振りをしてこちらにひらひらと手を振ったあと。
グーパーと手のひらを握っては開く仕草。
ガチャンッ!
結が抱えていた備品が派手な音を立て落ちる。
美術室にいる他の生徒に注目され、我に返ると慌てて拾い集める結。
もうっ…理くんの、ばかぁっ!!
理の仕草に、結は全身を真っ赤に染めてふるふると震わせた。
付き合い始めてから生まれたグーパーの合図。
かたや引っ込み思案、かたや説明が足りずに身体が先に動くタイプ、としばしばコミュニケーション不足ですれ違いがちな二人だからこそ生まれた二人だけの合図。
最初は、明後日の方向を見ながら理が「ん」と出してきた左手だったように思う。
躊躇いがちな『手繋ぎたい』の意思表示は、いつしか『そばにいたい』にも『キスしてもいい?』にもなった。
変わらないのは、お互いの存在や体温を確かめたくて、胸の奥がきゅっとなるときに使うということ。
でも。
理くん、今のは絶対ワザとだ…っ!
結は俯き、揺れる自身の黒髪で熱い頬が隠れたことにホッとしながら、火照りをやり過ごす。
理はわざとグーパーをしてみせて、結の反応を面白がっていたに違いない。
心臓に悪いから周りの人がいる前では困るよ…はぁ。
気持ちを立て直して立ち上がると、窓の外にはもう理くんたちの姿はなかった。
ホッとしたような、からかわれっぱなしで放り出されて腹が立つような、モヤモヤを抱えたまま美術の授業を受ける。
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