ジュウボウ

「粗茶ですが」


 マンボウを卓袱台ちゃぶだい前の座布団直上まで誘導し、パックで淹れた茶色の液体を湯吞に入れて供する。


「その台詞、その器使って、紅茶な事あるんですね」


 マンボウは私のオトボケにも的確に指摘を入れて来た。

 間違いない。

 このマンボウは模倣でも当てずっぽうでもなく、確かに「会話」しているのだ。

 

「あの……本日はどういった御用向きで……」


 知性を持ち宙に浮く魚と言う、ある種幽霊以上に出会う機会の無さそうな稀少種を前に、私は日和ひより倒した。まずは只管ひたすらに下手に出る事にしたのだ。


「先刻申し上げた通りです。訴えます」

「訴えるというのは、穏やかな話ではありませんが、そのう、こういう場合だと書面で何か……」

「訴状はありません」

「だとすると法に照らして裁きを仰ぐというのは難しいかと……。そもそもで言いますと、人と魚類との係争という先例はどこにも……」

「ええ、ですから、暴力に訴えます」

「そんなマンボウな。間違えた、乱暴な」

「あら、面白がられてらっしゃる」

「まさかまさか」


 声音に剣呑な色を嗅ぎ取り、私は急ぎ佇まいを正した。


「あのう、当方と致しましても、与えてしまった損害に対し、出来る限りの補償をする意思が御座いますけれども……」


 ああ、それを聞かなければならない。

 この悪夢めいた情景によって頭の処理機能が食い潰され、生じた過熱によって浮かされそうになりながらも、私は鋼の意思で話を前に進める一大決心を固めた。


わたくしに、一体如何いかなる咎が?」


 そこを聞かない事には如何いかんともし難いものがあるからだ。

 暴力を受領したくはないので、その回避の為にまずは原因究明である。


「『如何なる』?『如何なる』と仰いましたかあなた!」

「ここで申し上げていますのは海棲生物の烏賊イカではなく……」

「なんて見下げ果てた御方だ!あのような所業に手を染めながら、そこに邪悪の自覚きものと、そう受け取って宜しいですね!?」



 が、反響で地形と生態系を解明せんとする潜水艦の如き私の迂遠なる探査は相手のえらを見事に逆撫でし、その口をして津波のように起訴事実を読み上げさせしめた。


「混獲による個体数の減少!娯楽施設による『間抜けた奇形』といった呼び込みでの見世物扱い!とどめに流言りゅうげん飛語ひごによる対外イメエジの失墜!あなた方人間とは!如何いかにして斯様かようにも愚かに成り果てたか!」


 成程人類を代表する賢者としては、なんとも耳が痛くなる陳述 の数々ではあったが、その中で一節、対話相手の怒りに触れようと訂正せねばならない、どうしても聞き捨てならない箇所を指摘せざるを得なかった。


一寸ちょっとお待ち頂きたい。この私を捕まえて言うに事を欠いて『流言飛語』とは、それこそいわれなき誹謗中傷!確かに人は愚かで、誤解も嘘もある生き物です。しかしどこぞの大馬鹿者の無知蒙昧無責任な放言を持ち出し、智恵者たるこの私への糾弾材料に使うと言うのは言語道断!見当違いも甚だしいと言わざるを得ない!」


 この戦後最大最悪の冤罪事件に臨むにあたり、私の抱いた不本意を熱弁した所、当然の如く火に軽油を注ぐ結果となった。


「何を仰いますか!これは紛れもなくあなたへの指弾!あなた個人を裁く為の法廷です!」

「マンボウが人を捌くのですか?」

「『裁く』!のです!」

「裁く!結構!私は貴君が主張する公訴事実について、一切を否認させて頂く!」


 私には勝算があった。

 少し上等に言の葉を操れるとは言っても、所詮は脆弱なうお畜生ちくしょう

 舌戦ぜっせんで人様に勝てると思っている、その思慮の浅さが何より弱者の証。

 万に一つも、負ける道理無し。


「それでは聞きますが、貴方は昨晩、飲食店“マンボウ”で開かれた『合同コンパ』を目的とした集会に参加した。違いますか?」


 私の自信は一撃の下に砕かれた。

 その常軌を逸した魚類に、私事わたくしごとの一切を握られているような恐怖によって握り潰されたのだ。


「ぃいやぁ、まあ、行った、というか、うん………」

「その店内という公共の場において、大きな声で我々マンボウについて語って聞かせたという事実について、お認めになりますか?」

「ぃいやぁ、まあ、言った、というか、うん………」


 さっきまでの虎の威勢は何処へやら、狐どころか仔猫にも劣る引け腰にまで落ち込んでしまった。


「貴方はそこで!我々マンボウの事を!『最弱』などと呼称し貶めた!わらい物にしたのでしょう!」

「わ、私は!私は知識を!事実を開陳したまでだ!」

「いいや!嘘です!真っ赤な出鱈目!我々の『最弱伝説』に纏わる逸話は常々誤謬ごびゅうばかりだ!」

「そ、うなのですか……?」


 ここに来て私は己が声音をもう一段、落とさざるを得なくなった。

 姿勢と言い口調と言い顔色と言い「被疑者」と呼ばれるに相応しい萎えようであった。


「では自ら跳び上がって海面に衝突墜落死と言うのは」

「でっち上げです!馬鹿のする事じゃないですか!」

「日向ぼっこの際に太陽光線で」

「そんな生態を持ってたら絶滅待ったナシですよ!とっくに淘汰されてます!」

「仲間が狩られるとショックで命を」

「目まぐるしい生存競争の中、そんな事で心を驚かすのは人間みたいな腑抜けたしゅくらいですよ!」

「3億個の卵って」

「あなた方が一回に吐く精子の数と同程度の卵を産むなんて、おかしいと思わなかったんですか?人間はそれを数回繰り返してやっと1体か2体ですよ?」

「では魚を呑み込むと骨が喉に詰まると言うのも」

「………」


 呆れが頂点に達したのか、到頭マンボウは押し黙ってしまった。


「マンボウですのに、そんな貝のように口をお閉じにならなくても」

「ちょっと楽しくなってます?」

「いえそのような。今の季節お寒いでしょう?暖房入れますか?マンボウだけに」

「楽しんでますよね?」

「そんなそんな」

「おかしみを感じてらっしゃる」

「決してそのような事」

「訴えます」

「まってつかあさい」


 私に残ったのは全面降伏の道だけであった。

 事ここに至って始まるは敗戦国の常、如何いかに相手をい気にさせて、講和条件を緩めるかという後ろ向き極まった媚びへつらいである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る