海面の日、水面の月

@D-S-L

ボウ

 某県藻宇もうまる日向ひなた町に存在する曼翻まんばん荘は、それなりの歴史を持つその異容を老朽化した柱によってなんとか支え長らえている。


 そのあまりの襤褸ボロ雑巾ぶりに、心霊地所の巡礼者や廃墟愛好家が訪れては探検家よろしくその階段をギシギシ言わせながら上り、何食わぬ顔で部屋から出て来る住民と出会でくわして、すわ化けて出たか悪霊退散と泣き叫び肝と腰とを抜かしながらうの体で逃げ出して行くのも、年に一度や二度の話ではない。


 その「住民」の風体がこれまた宜しくない。

 私のように見るからにうだつの上がらない学生風情とせる分にはまだ良い方で、毎夜毎晩多種の怪獣の着ぐるみを自作し着回す特撮女史、己の信仰対象である黒光り筋肉を衆目に晒そうと剥き出す半裸の漁師、髭を毛皮のように纏い日夜ダウジングに勤しむ黒毛玉の精霊、等々、変人の目録には事欠かない。


 暗い夜に倒壊三歩手前のようなうら寂れた廊下でそういった面々に不意に出会えば、私でさえ我を失い理性を飛ばして取り乱す事請け合いであり、連中を日頃見慣れていない来訪者が狂乱するのも無理からぬ話である。


 ともあれのシェイクスピア曰く、問題にするべきは生きるべきか死ぬべきかであり、一介の苦学生たる私にとっては少ない資金の中からどれだけを住環境に割くべきかという葛藤であり、つまりは家賃の話である。

 そういった観点に立てばその建物は及第点、否、むしろ「破格」とさえ言えた。


 さて、学問を本文として日々精進を欠かさず最近は英会話まで手中に収め始めた末恐ろしい私ではあるが、そんな人間にも偶には色を好んで羽目を外したくなる時がある。

 もっと直截ちょくせつ的且つ俗世間に寄せた言い方にすれば、「女にモテたい」という欲求は人並みに持っている。


 いやそれは優秀な我が遺伝子を人類の手から奪わぬ為に必要とされる措置であり言うなれば使命であるとも言えるのだが、賢人の常として私は謙虚で自らの至らぬを承知しているので「飽く迄も私個人の欲求不満の為である」と便宜上述べておこうと思う。


 それではのような満たされなさを抱いてしまった哀れな学生諸君は、どのようにしてままならない現状を解消すべきか?

 勉学に打ち込み史上稀に見る大発見を目指す?

 企業や資本家と繋がり成功者への階段を着実に上っておく?


 どちらも誤答と言わざるを得ない。

 そんな明後日を遠く仰ぎ見ている間に、足下にある「学生身分」という資本はじわじわと、けれど一刻一刻確実に損耗していっている。


 我々がすべきことは、兎にも角にも宴だ。

 宴席で女性陣と御一緒させて頂く事である。

 宵の暗さと酔いの酩酊で細部が誤魔化せる内に、弁舌巧みに相手をその気にさせ、翌朝正気に戻った後も、「まあ折角だから」となし崩す流れを設計する。

 

 世の男子学生の中で共有されている性的自己実現のロードマップは、大凡おおよそがそういった内容であった。


 私はそれを実行するべく、学内での友との語らいの中で目に付いた空席に自らを捩じ込み、己が唯一持てる財産であり武器である舌先を思い残す事なく振るおうと、若気の至りと言うか酒の勢いと言うか、場につく一同の前で大演説をぶち上げた。


「諸君!この店の名を覚えているだろうか!そう、“マンボウ”である!諸君らはマンボウと呼ばれるフグ目をご存知だろうか!?学名モーラ・モーラ!ウオノタユウ、マンザイラク等の別名を持ち、動物界最弱の名をほしいままにするあのマンボウを!

 彼は自ら跳躍した後に海面に叩きつけられて命を落とし、日向ぼっこをすれば太陽光線で命を落とし、魚を呑み込めば骨を喉に詰まらせて命を落とし、仲間が狩られればショックで命を落とす!何とも弱々しく情けなく、その生存に3億もの産卵数が必要なほどだと言われている!


 だが彼らマンボウにも、我々人間が学ぶべき所がある!そのしぶとさ、太々ふてぶてしさだ!最弱最下な彼らでさえ、目の飛び出る程膨大な卵を産むという強行突破によって、種の保存を諦めず、進化の末尾を今尚延長し続けている!


 我々もまたそうあるべきである!完全主義に取りかれるのではなく、どんなに惨めでも、格好が付かなくとも、生きていこうという気概が!不届きさが!現代日本国民に足りていないものなのではないか!?見苦しくとも、もっと生き汚くあるべきじゃあないのか!」


 このような事を盛大にのたまった私だったが、酒席は瞬く間にその温度を急冷却し、その後それぞれ思い思いの相手を連れて、一組、また一組と会場から姿を消していった挙句、最後に残った一人がそのままとっとと居なくなった結果、私は孤独をより濃くその身に沁み込ませる事になってしまった。


 その日はどうやって我が愛しの老屋ろうおくに帰ったか覚えていない。


 翌朝ノックの音に起こされ、玄関を開けてみれば、そこに居たのは例の筋肉漁師であった。彼は「余ったから」などと供述しながら、透明なビニール袋に入ったグネグネとよく分からない何かを押し付け、鼻歌混じりに出かけてしまった。


 これは一体何なのか?

 海産物なら食せるものであり、であるならばエンゲル係数が地を這う私としては見逃すわけにはいかないのだが、如何せん調理法も、それ以前に調理の可否や必要性も判然としない。


 その得体の知れない物体を覗きながら、ほとほと処置に困り果てていた時、またも扉が叩かれた。さっきより柔らかめな音がした事から、これは着ぐるみ女史の手によるものであると推量出来る。


 私は台所の上に適当にそれをほっぽり出して、今度は何用かと再度戸を開けた。


 


 最初に思った事は、「棒が浮いている」、だった。




 いやいやそんな筈はないと、よくよく見てみれば、それは扁平であるが故に、前から見ても棒に見えただけで、角度を付ければ簡単にその正体が判別出来るものであり、それは私の目からマンボウに見えた。

 即ち、「浮遊する棒」という不可解な物質が、「浮遊するマンボウ」というより不可思議な物品に変わったわけであり、混迷は悪化の一途を辿っていると言えた。


「訴えます」


 そのみょうちきりんな生き物は声を、言葉にも聞こえる鳴き声を発することによって、そのみょうちきりんさに磨きを掛けてきた。


 


 そう、今喋ったのは私ではない。

 マンボウである。

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