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 海は浅瀬の際限まで墨のように暗く黒く、やはり黒い砂浜は海獣の表皮のように滑らかだった。ネモジンは波の来る手前で立ち止まった。それでも踏む砂は鳴って沈み、確かな足跡が付いた。気付いて周囲を見回すと、砂浜のどこにもネモジン以外の足跡はない。

 ネモジンは構わずにしゃがみ、両足の間で砂に手を刺した。そこはすでに寿太郎の気配の真上だった。気配までの距離──深さの確信はなかった。掘るとしたら面倒だとも考えていた。結局のところネモジンの手は、本人の想像より簡単に、砂の下で何かを掴んだ。握りやすい棒状、硬質、冷たく指が滑る。ネモジンは砂に埋もれた取っ手を連想し、それを引き抜いた。

 ネモジンの腕力を正しく受け取り、砂浜がせり上がった。取っ手は見えない。引き上げた右手はまだ砂に埋もれている。砂鉄をまとった磁石のように、砂を積んだ容器があったかのように、ネモジンの手と取っ手を包んだまま、濡れた砂の山が持ち上がっていた。

 指を解くと手は抜けた。空いた穴は周囲の砂が流れて埋めた。砂山自体は戻らない。野生動物が獲物を埋めた痕跡みたい、と思うネモジンの前で砂の山は変形した。四方が崩れ落ち輪郭が直方体になる。表面がなだらかに流れ落ちる。濡れた砂の黒が密度を増して固まり、乾いたように赤みがかる。飴細工のようにさらに薄く延び、白い層とムラが透ける。等間隔の隆起が一列に浮き上がる。

 それは生物の皮膚に見えた。そして同時にネモジンは、目の前の塊を人の背中だと認識した。

 左を見れば後頭部の黒い頭髪が、右を見れば白い尻が背中と繋がっている。腕と臑を地面に付けて、裸の人体がうずくまっている。砂の変化が収まると同時に背中が引きつけのように膨らみ、また縮んだ。後頭部から掠れた呼吸音が始まる。一歩下がれば横顔が見える。

 目が開く。それは寿太郎だった。

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