5

 ジョギング程度に走るネモジンに。寿太郎は文句を付けなかった。寿太郎は、背中の痛みを聞かれればないと答え、重みを聞かれればむしろ身体が軽いと答えた。ネモジンは足を緩めず、それ以上急ぐこともしなかった。寿太郎が着いてこられないなら、その時はその時だと思っていた。

 雨が止まなかった。弱まったと思えば強くなり、視界も開けては曖昧になった。といって襲撃もない。先ほどと同種か別種か、ともかく曲りに違いない何かが、付かず離れず二人を追っている。空は昼頃らしく明るいが、見上げてもそれ以上の情報はない。

 つまり私たちは、魔獣を引き連れて人里に向かっているわけだ。ネモジンは思い当たりに目を細めた。寿太郎の言うとおり曲りが世に知られた存在であり、仮にこの先に街のような物があるとすれば、そこには当然、住民を守る防備があるだろう。戦闘の手間は省ける。もし住民に被害が出れば恨みを買う。寿太郎の治療を考えても人とのトラブルは避けたい。

 どこかで始末は必要になる。

 寿太郎に遅れる様子はない。

 ネモジンが足を止めた瞬間、雨が止んだ。自動車がトンネルに入ったように一瞬で、魔獣が全速で引き返したように唐突に。

 数歩飛び出して止まり、振り向いた寿太郎に陽が差した。びしょ濡れの髪が光の粒を反射する。やはり昼間らしい。ネモジンに尋ねるより早く状況に気付き、寿太郎もまた空を見上げた。のし掛かるように厚かった雨雲が青く溶けていく。

 霧が晴れる。二人を囲んでいた草原はすでに遠く、道だったはずの空間はいつの間にか四方に開けていた。魔獣は影も形もない。

 ただ寿太郎の肩の向こうに、平地から延びる低い塔があった。


「滑走路……管制塔?」

「元滑走路と元管制塔、と聞いています」


 ネモジンの感想を寿太郎は柔らかく訂正した。

 根元に近付けば、それはやはり管制塔に見えた。高さは40メートル程度、灰緑色の外観、材質は合金、上部には窓らしい階があり、屋上には避雷針まである。ネモジンは壁面をノックした。扉らしい部分はなく、反応もなかった。


「ネモジンさん、あなたは曲りと違います」


 寿太郎が口を開いた。人の不在を残念がる様子もなく、ただ日なたでずぶ濡れの腕を広げている。暢気で牧歌的な景色ではあった。ネモジンは少し考えて、塔の作る日陰で自分も笠を下ろした。肩にも届かない髪は水滴も落とさなかった。


「さっきもそんなこと言ってたけど。こだわりポイントなの?」

「事実なので。仰るとおりここは特殊な土地ですが、曲りについての研究は公に進んでいます。何より明白な点は、先ほども言いましたが、連中が雨を呼ぶことです。ここがネモジンさんは違う」


 寿太郎は捲し立てた。内容を伝えるためではなく、自分は情報を持っていると、役に立つと主張するように。ネモジンは希薄な内容を吟味して頷いた。


「うーん、私って魔力が低いから。それが理由かもだね」


 寿太郎は沈黙した。その虚ろな顔に雨粒が当たった。早過ぎるグラデーションで日差しが消える。寿太郎の落胆を強調するように。

 来た道に立つコボルトがいた。一体、歩く速度で、雨音を連れて近付いてくる。

 ネモジンは笠を被り直した。寿太郎はその横を追い抜き、塔ににじり寄る。その手が外壁に触れた瞬間、二人の頭上で何かが爆発した。最後のコボルトが地面に倒れる。

 一連の顛末が銃撃であることをネモジンは正しく理解した。

 再び陽の差した視界に湧く影があった。滑走路の四方からコボルトより小さな姿がうろつく。人だ。ネモジンが初めて見る寿太郎以外の人間たちは、コボルトの死肉に手を付け、そしてその場から消した。

 転送魔法かEQUIPへの収納。後者だとすれば、おそらく同業者。ネモジンは驚きながら納得した。


「こういうこともあるんだ。つまり私は最初の──ここじゃ何て呼ぶの? ともかく異世界の来訪者として、最初の一人じゃないんだね」

「──はい」

 寿太郎は肯定した。その目は現実を疑うように細められていた。

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