2
来着したネモジンはいつも通りのゲームを始めた。つまり、まずは目の前の命を助けることにした。
状況への驚きはない。ネモジンは、自分が出現した世界に必ず誰かの危機があることも、その問題を解決した先に、次の移動があることも了解していた。それが彼女のゲームだった。
薄暗い水辺に対する全ての疑問と検証を後に回す。外套を打つ雨に眉だけを顰める。そしてネモジンは砂に突っ伏す人に歩み寄った。
「こんばんは。そこの人、聞こえますか?」
雨音にも消えそうな声にひとり苛立つ。編み笠の下で張ったつもりの声は、蒸し暑く生臭い空気にすら圧し負ける気がした。
幸い“そこの人”はすぐに顔を上げた。返事はないが反応はあった。少年と青年の中間、──一回り年下の少年としよう。ネモジンは決め付けた──十代前半、男性的外見。少なくとも顔と体格は人らしく、音声でコミュニケーションを取る種でもあるらしい。
「お、いいね。この段階で躓くと手間が多いからさ。助かるよ。幸先が良い」
少年は大きく開けた二つの目と一つの口に雨と泥を流し込んでいた。声はない。
ネモジンは少年の背中を見た。厚い雨雲に隠れた陽光は、彼の血液と思しき体液を赤と示している。やはり助かる。見慣れたヒト型。自分と同じ、あるいは近縁の種。破れたコートに湧くように吐き出す血から傷の深さは計り知れないが、その位置が背中の中心線であることは確かだった。
身体のつくりが違わなければ背骨、胸椎の上。凶器が貫通していれば心臓か肺に到り即死と見て取る。息があるだけ幸運ではあった。
まあ、でも、まだしばらくは保つだろう。ネモジンはまた決め付けた。
「その顔は驚きと拒絶の表現? 分かりやすいけど、状況の説明には足りないかな。キミの他にピンチの人とか、集落とかはあったりする? ぱっと見は無さそうかな」
ネモジンは周囲を見た。雨天。太陽の所在も分からない。薄暗い砂浜を加味しても正面の海は不気味に黒い。攪拌する波の白さがわざとらしい。
陸側では、葦に似た背の高い茂みが海岸線と並走していた。人影はない。人が通るような道もない。
「ふーむ、ふむふむ。朝なのか夜なのか、そもそもそういうのがある土地なのか……」
呟くと同時に左右の砂が噴き上がった。
ネモジンは判断した。マントの下から細い剣を抜き、虹を描くように振る。肉を切る微かな摩擦に体重を掛けて身体を回す。慣性だけで落下する影の裏側から剣を立て、左手の喉笛を突く。
苔のような獣毛に覆われた人間大の肉が二つ、砂と折り重なって倒れる。抜いた剣先に血痕はない。雨が流すまでもない。ネモジンはその結果に満足し仰々しく振り向いた。
少年は泥の上から同じ結果を見ていた。雨に濡れた顔は泣いているようでもある。ただ目元から頬の角度は笑顔を作っていた。少年は笑っていた。
「こ、殺した。人が、曲りを」
その声は上擦った。眼球は死体とネモジンの間で泳いでいだ。ネモジンはその動きに合わせて首を傾けた。
「そうだね、殺しちゃった。マガリっていうのは、この獣人のことだよね。個体名? 種名? それとも亜人全般の呼び方? 私の知る限りだとコボルトって妖怪に似てるんだけど、そう呼ばれてたりしない? 鉱石が好きな地下生物。いや、私の知ってる分類に合うとは限らないけどさ、こういうのってわりと似通うから」
「ま、曲りは曲りです。姿形の区分ではなくて、この手の人間でも生物でもない存在はそう呼ばれています」
「そっか。情報は薄いけど、話が通じて嬉しいな」
次は波打ち際が噴き上がる。飛びかかる影に対してネモジンは大雑把に剣を振り、泥に沈むコボルトの結末は無視した。
死体が増えた瞬間に少年の笑顔は大きく深くなった。唇から白い歯が覗いた。喉の奥が鳴った。笑い声を噛み殺すように。
なんだこいつは。どっちが化け物だ。ネモジンは、味方する側を間違えたかなと思い、獣人だった死肉の並びを見て、今更か、と思い直した。
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