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「しかし重い雨だね。雨宿りの屋根も見当たらない。キミ、傘に類するものは持っているのかい。私はもうキミを助けることにしたけど、風邪なんて引かれたら手に余る」

「傘……荷物は何も。いや、僕は別の砂浜にいたはずで、気付いたらここに……ここは……?」

「ほー、連れ去られた系だ。ごめんね、傘は冗談。言葉が伝わることに喜びすぎて、ちょっとはしゃいでしまいました。まあ、結局傘の予備は私もないんだけど」

「あ、雨はすぐに止みます。これは普通の雨じゃなくて、曲りが招く異変なので、あいつらが居なくなれば、それで」

「ここに来て初めての良い知らせだ。まあ、まだ止まないみたいだけど」


 ネモジンは少年の目の前に立った。顔を上げた少年は首の角度と降り注ぐ雨に息を詰まらせていた。麻らしい衣服の背中は雨にも流されず赤黒い。青白い顔からはもはや笑みも消えていた。


「キミが立ち上がらない理由は……一番、趣味。二番、それどころじゃない痛み。どっち?」


 ネモジンは指を立てて尋ねた。


「実感と近いのは二番です、背中から足の感覚がありません」

「数字も伝わりそうだね。いや、了解。キミはそのまま。楽にしてて良いから」


 少年の背中に回り込む。当然、傷は変わらず背中にあった。


「病院、救急車──いや、いっそ携行できる連絡手段があるのか聞きたいな。私の言ってる意味は分かる?」

「携帯電話のことですか? 持ってはいませんが、ここはどうせ圏外です。自動車が通ることも、まずありえません。整備された道は海岸沿いの一本しかないので、監視は避けられても山を越えられない」

「怪しい話が増えた。監視と来たかあ」


 ネモジンが視界から消えた今、少年の声は何かを受け入れたように落ち着いている。その態度以上に言葉の意味がネモジンの気を引いた。


「でもその口ぶりなら、電波も自動車もある所にはある感じだ。変な話だね。経験上、それなりに工学が進歩した土地は普通、こういう妖怪は出ないんだけど。文明は魔性を駆逐するものだから」


 少年の返事はない。その顔が緩慢にうなだれていく。地面に沈んでいくように。意識障害。

 ネモジンは剣を持ち直し、自身の片手の指先を切った。赤い血が少年の傷に落ちる。

 そして外套の内側から人差し指大のアンプルを取り出し、少年の傷の真上で割り開いた。容器から黒い節足動物が落下する。傷口に入り込む。少年の目と口が最大限に開く。言葉以前の絶叫。少年の全身が震えた。


「死んじゃダメだよ。キミを生存させることが、私がこの世界をクリアするための条件かも知れないんだから」


 ネモジンは自分の喉に手を回し、被服の衿を開いた。露われた薄い胸元には皮より光沢の強い、埋め込まれた鉱石のような部位があった。


「これとそれはね、一つ前の世界で貰った自律寄生骨格。傷を塞いで、神経をバイパスする。痛いのは我慢して。おそろいだから。そんな理屈はないか」


 ネモジンは自分のそれを指でつついた。結晶が微かに沈み、周りの肌と肉だけが波打つ。存在を示す動作には、普段とは違う疼きを押さえる意図もあった。意識などあるはずない結晶が同類の活性化を喜び、存在に共鳴している気がした。目を閉じる瞬間も存在を感じる。そんな機能を説明された覚えはなかった。


「痛みのピークは最初の一瞬。あとは気にしなくて平気。残る問題は失血と感染症だけど、まあ、処置できる医療技術はありそうだし」


 ネモジンは左右の雨を見回した。視線は感じるが、襲撃の気配はない。少年の声に怯んだのかも知れない。殺しきる方が雨が止んで良いのに。ネモジンは少年に向き直った。相変わらず四肢を着いた身体は、しかし痙攣が止み、ただ大きく深い呼吸を繰り返していた。


「ありがとうございます。あなたは命の恩人です。何かお礼をさせてください」


 少年は咽せながら言った。ネモジンが知る限り、少年の体には、人と話す次元ではない痛みが走っているはずだった。


「おお、気が早いね。客観的に見ると、私はキミの言う曲りとあまり変わらないんじゃない?」

「全く違います。あなたは僕を助けた」

「捕って食べるためかも。それか人体実験の材料にしたかったとか」

「それならそれで構いません。この命があなたの役に立つのなら。あなたに今死ねと言われれば僕は死にます」

「迫力あるね。でも自力では難しいと思うよ。今つけたそれは、キミの意思と関係なくキミの身体を助けるから」


 ネモジンは言いながらも逡巡はしなかった。


「じゃあ、道案内をお願いしようかな。人が集まってて危険がある方向は、どっち?」

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