幸せな帝国生活 ~「失敗作」と呼ばれていた王女、人質として差し出された帝国で「最重要人物」に指定される~
絢乃
01 プロローグ
「……ソフィア、お前にはエリュシオン帝国へ行ってもらう」
目の前に居並ぶ王宮の大広間は、いつになく張り詰めた空気に包まれていた。
私の父、ルミナール王国の国王ユリウスは、いつも以上に険しい表情で私を見下ろしている。
床に反射する窓外の光が、まるで私の心をあざ笑うように揺れていた。
「……私を、人質として差し出す……のですね」
私は震えそうになる声を必死で押さえ、微かに顎を上げて言った。
国王は短く鼻を鳴らして、私の存在を再確認するように薄い笑みを浮かべる。
「そうだ。エリュシオン帝国は我が国を従属下に置いた。向こうがその気になれば王国史に終止符を打つことだってできる。娘を一人差し出すだけでそれが防げるのなら安いものだ。ましてや『失敗作』のお前で済むのなら文句はない。貴様のような魔力もろくにない娘でも人質くらいにはなるわけだ」
失敗作――昔から、両親や兄姉が私を嘲る時に使う言葉だ。
歴代王家は強い魔力を誇り、数多の魔法を駆使して覇権を握ってきた。
魔力の低い王族などは、王国史を遡っても私くらいしかいない。
「……わかりました」
私は伏し目がちに返事をした。
エリュシオン帝国との戦いは、我がルミナール王国の完敗に終わった。
父や兄姉は桁外れの魔力で活躍したが、それでも帝国には及ばなかった。
私は何もできず、ただ見ているだけだった。
父王であるユリウスは敗戦後、帝国の従属勧告を承諾した。
その条件の一つとして、我が子を人質に差し出すことになった。
そして、魔力が低すぎて役立たずの私が選ばれたわけだ。
「ソフィア、聞いているのか? 今日中に馬車を出す。荷をまとめろ。……もっとも、貴様に持ち出す価値のある品などなかろうがな」
「はい、承知しました」
私の返事を聞くと、父王は背を向けた。
重々しい王冠を被ったその後ろ姿には、かつて感じたことのない冷たさがあった。
「ソフィア、魔力のない落ちこぼれめ……お前がクラリッサやレオポルド程の魔力を持っていれば、帝国を打ち負かすことだってできたかもしれぬというのに」
その独り言めいた言葉が、私の胸を刺す。
けれど、私は唇を噛みしめただけで何も言わなかった。
こんな思いは何度もしてきたので慣れていた。
「失せろ、ソフィア。今すぐ部屋へ戻って準備をし、夕刻までには出立しろ」
「……はい、父上」
私は深く一礼する。
父王は声を発することなく玉座に腰掛け直した。
衛兵たちは、誰一人として私に目を合わせようとはしない。
(これで良いのかもしれないわね)
王家だけでなく、全ての貴族が私を見下していた。
王女でありながら、政略結婚の話すら来たことがない始末だ。
このまま王国にいても、私が幸せになることはないだろう。
ここで帝国に差し出されてしまえば、もう蔑まれることはなくなる。
私と王国の両方にとって良いことではないだろうか。
そう考えると、唐突な人質宣告もいくらか前向きに捉えることができた。
◇
部屋に戻って衣服や私物をまとめていると、扉が軋む音とともに気配がした。
振り向いた私の目に飛び込んできたのは、恐怖すら覚えるほどの圧倒的な魔力のオーラだった。
姉のクラリッサと兄のレオポルドだ。
「まあ、ソフィア。今度は人質として帝国へ行くのね。落ちこぼれの妹にも、ようやく王家に役立つ日が来たわね」
クラリッサが言った。
きらびやかなドレスをまとい、顔は薔薇色で高貴に輝いている。
しかし、その瞳には相変わらず嘲りが浮かんでいた。
「クラリッサ姉様……」
「何? 私に感謝でもする? ああ、そうね、あなたは最後の最後までみっともなく這いつくばるしかないものね」
クラリッサは口元を歪めて笑う。
私が何も言い返せないでいると、今度はレオポルドが
「ソフィア、お前は戦争で何をしていた? 何もしていない。魔力が低い失敗作だから前線に出してもらえず、王宮で過ごしていただけだ。だが安心しろ。今回のお前の役目はただ帝国に渡るだけだ。お前にできる唯一の芸当だろう?」
「……そうですね」
「ソフィア、あなたは王族として恥ずべき存在よ。その汚れた血筋を帝国に押しつけられて清々するわ。きっとお父様もそう思っていらっしゃるでしょうね」
「…………」
私は何も言い返せなかった。
クラリッサの言葉は、彼女だけでなく王国政府の総意なのだ。
「クラリッサ、あまり時間を取るな。これ以上、失敗作に付き合う暇はない」
「わかったわ。じゃあね、ソフィア。せいぜい人質として立派に役目を果たしなさい」
二人は私に背を向けて出て行く。
残された部屋には、私の浅い呼吸音だけが弱々しく響いていた。
「……失敗作、か」
最初は辛かったその言葉が、今では何も感じない。
あまりにも言われ慣れすぎて、いつからか痛くなくなっていた。
◇
それから数日後――。
私はエリュシオン帝国領の小さな町・ロックウェルへと辿り着いた。
馬車での道中は長く、数日を要した。
ただでさえ距離があるのに、魔物の出ない迂回路を進んだからだ。
その間、何度か馬車を乗り継ぐことになった。
国境を越えたところからは帝国の馬車になり、御者も帝国の軍人になった。
「ここが貴女の住居になります」
私は館の前で降ろされた。
それなりに立派ではあるものの、庭には雑草が生え放題の有様だ。
誰も手入れをしていないことが明らかだった。
「……ああ、食糧や最低限の生活用品は中に用意してありますので、ご自由にお使いください。もしも足りない場合は、町役場を通じて帝国政府までご連絡ください」
「ありがとうございます。お世話になりました」
私は御者にお礼を述べるが、彼は返答しなかった。
形ばかりに頷くと、馬に乗って去っていったのだ。
(そうだろうとは思っていたけど……)
出迎えはなかった。
周囲の町民は興味深そうに見てきているが、声を掛けてはこなかった。
拒まれているわけではないが、受け入れられているわけでもない。
そんな印象を受けた。
「……ここで暮らすのね」
私は背筋を伸ばした。
落ち込むのは、あとにしよう。
今は、ここで生きていくしかない。
扉を押し開けると、中は空っぽだった。
広い玄関、長い廊下、埃まみれの花瓶や調度品が見える。
「使用人は……いないか」
本来ならば、最低限の侍女や従者がつくはずだ。
だが、私には誰も与えられなかった。
「これが、失敗作への扱い、ということかしら」
笑うしかなかった。
乾いた笑いが、ひっそりとした館の廊下に染み込んでいく。
「でも、もういいわ」
ここで嘆いても仕方ない。
王国で疎まれ、馬鹿にされてきた日々を、これで終わりにしよう。
「頑張らないと! もう失敗作なんて言わせない! 言う相手もいないけどね!」
両手に力を込める。
私はここで生きることを決意した。
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